これは、ある会合に行った時に書いたレポート。

(以下)

テーマ:教育とは何か?(+α)

教育とは何か?知識を教授することだけではなく、人を導くことも含まれており、これが最も教育の本質をつくものであると思う。

例えば、やる気はあるのだが、学ぶことをあきらめかけている人や何かしらのトラウマをもっている人々を、導き、本来、その人がもっているものを引き出すことである。

これを行なうためには、本当に学生と信頼があり、かつ、その学生に本当に合うように、うまく誘導し、自信をつけさせるようにしなければならないのではないかと思う。

(以上)

これに関して、知人はこんなことを言っていた。

(以下)

①”教育とは何か知識を教授することだけではなく人を導くことも含まれており”という部分が共感した。私も教育とは知識だけを与えただけのものではない思っているからだ。また、本来その人が持っているものを引き出すことは、1番大切なことだと思う。

②このような人々を導くということは教育ができる大変意義のある部分だと思う。でも、あきらめたり、トラウマをもったりしている人の多くは、メンタル面で弱いケースが多く感じる。このような人を引っ張っていけるような人というのにはやばい人としての魅力が必要なのではないかと感じた。

③”本当に学生と信頼があり”とあうが、どのように信頼関係を気づくのかが気になりました。また、その学生に本当に合うためには、自分自身がその学生のことをよく知らなければならず、誘導するには自分のことを信用してもらうことが大切だと思います。

(以上)

という感じのことを言われた。

そして、この時から、かなりたった今、これを見ると、非常に「信頼」を得るというのが難しく、そもそも、「信頼を得よう」という考えに至るのですら難しいと思っている。

例えば、高校まではないが、大学になると、試験で「騙し討ち」のような問題を出してきたりすることもある。

講義でほとんど触れられていないところだったので、まったく、ノーマークになりがちだったりする。その講義の「過去問」を持っていると、その「騙し討ち」が見破れたりする。

ただ、こういうことを続けられると、「なんのために講義にでているのかが分からなくなる。」

まあ、単に、相当偏っていても、その教授の話したいことを話しているのを聴いているだけという話なら、まだいいのだが・・・。なんとなく、職務の関係で、よくわからんことを説明しているだけというのがあったりするので、疑問に思っていたりすることもないわけではないな。

研究者として優秀だけど、教えるという意味で優秀かどうかは別問題なので、そうなのだろう。まあ、大学では、あり得ない(国試受験がやたらと多いところだとどうもそうではないらしいが)とは思うけど、これで、受験指導をしたりするとなったら、相当悲惨なことになるだろうな。

メンタルの強さのいかんにも関わらず、おかしなことが多く起きれば、その教科に対するトラウマが量産される。

トラウマが量産された後に、その先生を見限って、自分で本を読み漁るまでできるなら、まだいいが、実際は、その講義というか、その学問自体から遠ざかったりする場合の方が多い。

学問を教えている人の問題と、その学問自体の欠点(弱点という言い方の方が近いか)は別の話なのだけど、それを混同したりすることに繋がるので、やはり、教えるというのは大切なのかもしれない。

まあ、学問はできるようになれば結構楽しいのでね。

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