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不思議な話:共同体を批判するほど共同体化し、共同体への従属するを要求するほど、共同体から離反する

最近、ネットの政治民を見ても、そうだが、不思議な傾向が有る事に気がついた。それは、共同体を批判する勢力程、無意識に共同体を作っている事に気がついていないという事だ。

例えば、共同体には、昭和の化石が幅を利かせているという事を喚いているが、結局、昭和ではないが、結局、AVといったものを礼賛し、その結果、同好が集まっていくという。そして、そういうAVに関する問題点を過剰に擁護するという。

結局、共同体を批判しながら、自分らも共同体を作っているという謎。

一方で、これはリアルでの体験になるが、私が今いる組織は、やたらと、結束主義が要求されている。みんなで一緒に、上層部(しかも政治屋や宗教者が絡んでいる恐れあり)の無茶な指示に従わざるを得ないという状況にある。

そして、特定の服装を要求している。その一方で、暖房冷房等の整備が出来ず、組織の末端の構成員が熱中症で倒れるケースもあり、はっきり言って、構成員の士気は、末端だろうが、中核にいる構成員だろうが、低くなっているが、特に、末端の構成員に結束を要求すると、しかし、それに従わないから、中核にいる構成員が頭を抱えるという・・・。結束を要求しているはずなので、結束が外れていくという謎が繰り返されている。

これは、(無茶な)結束を要求した結果、末端が離れていくし、新人の中核の構成員ですら、心理的に離れていくし、正直、長くいる中核の構成員ですら、組織への忠誠はなくなっている。

こういう有様。

結束を求めるほど、結束からどんどん離れていく。

では、結束から離れると果たして、どうなるかというと、結局、組織や集団を求めるようになり、結束を求めるようになるという謎が起きる。

やはり、結束と、そこからの離反は、完全に行なうべきものではなく、然るべき、組織に近づき、然るべき、距離を保っていくことが重要なのかもしれない。

もしかしたら、結束云々で語る事すら、おこがましく、別の視点も必要なのかもしれないけど。

注) なお、ここでいう組織は、企業、NPO、自治体、官庁、大学等を指す。

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