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英国史の調査のメモ2

以下のノートの続きである。

今回もこの文献を使って調べた。

今回は、第4章、第2節 「海に行く人びとの結社」(p237ーp252)の調査メモでそれは以下の通りである。

以下その内容。

まず,ここにでてくる,「海に行く人びと」とは,漁師や海上交易に従いつく人々と彼らと繋がって,海に生業を求めている人々のことである。

ここで,この当時の「密輸」の感覚について述べる。これは以下のとおりである。

まず,密輸について,あまり罪悪感がなかったようである。

その理由としては,国境が明確でないということと,「英国国家」として十分に結合されていないところがあるということと国境の管理が厳重ではなかったということが挙げられる。

このことから,国境と称されているものを超えて物を運搬することは別に犯罪ではないと民衆がみなしたのではないかということである。

また,各々の証言者の話を総合した結果,密輸に関して,当時の民衆(陪審員も含む)は密輸に間接的に協力的であったと思われる。例えば,以下のような例が挙げられる。

陪審員は密輸に関しては,密輸業者には,好意的で,被告人の弁明を聞く前に無罪の評決を出すということがあった。また,密輸業者以外の人々が税関役人の手入れを,事前に密輸業者に密告したということや場合によっては税関の役人に密告したものや密輸業者に非協力的な役人を襲撃するということもあった。

密輸団は暴力沙汰をおこすことを除くと「海に行く人びと」の間では社会的に承認されていたようである。

なお,役人の方の勢力は,人数が少ないということや海軍と税関が,
連携が取れなかったこともあり,劣勢だったようである。

また,出国者調査の対象がジェントルマンや貿易商であり,「海に行く人びと」は,ほとんど掌握されていなかったようであるお。
他にも,英国の海岸線を見張ることも困難だったということや英国には多くの島があることから取り締まり切れなかったのではないかと推定される。

ここで,当時,英国の植民地であった米国と密輸の関係を述べる。
当時,米国では密貿易は赤字を補うための重要なものである。実際,米国に対しての課税に対する法律であるダウンゼント諸法が施行された際には英国に規制緩和を嘆願した

また,このあたりの事情から米国は独立を考えるようになったようである。
以上より,「海に行く人びと」にとっては,密貿易は「伝統化」していて,これなしには生活が成り立たなかったように思えた。そのため,「海に行く人びと」は密輸団に手を貸したのではないかと推定される。この視点では,密輸は悪ではなく,むしろ税関の役人の方が異端の存在だったのではないかと思われる。

ただ,その一方,貿易が自由化された場合はどうするつもりだったのか少し疑問に思った。

この視点では,「海に行く人びと」は国家に依存せざるを得なかったのではないかと推定される。

結局のところ,密輸団の取り締まりがうまくいかなかったのは,「海に行く人びと」の抵抗と英国国家が,名誉革命後まで,あまり取り締まりに力を入れなかったことではないかという印象をもった。

以上

それにしても、この辺りはなかなか、興味深いところ。いくつかの文献で調べてみるというのも面白いのかもしれない。

実際、海賊に関してはいろいろなネタで出てくるし。

アサシンクリード4とか。

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