A VS Tの会話

第一話「専門性とはなんなのだろうか」

A: ところで、専門性とはなんなのだろうか?

T: 最低限必要な基礎学力を大学卒業までに身につけておき、それを必要に応じて拡張、応用して、現在の仕事を成し遂げられる能力?

A: さすが、実は私も同じことを考えていた。ちなみに、本来、文系でも、これはあてはまる。但し、こういう意識を持つ人は非常に少ない。正直、教育学の一部ぐらいではないかと思う。

T: 専門とは、常に変化するもので、化学、物理、計算、実験問わず、広い視野でみるために用いられるもの。例えば、某Jさんは、化学科卒だが、現在は、光のことなど、バリバリ物理よりのことをやっている。

A: 最近、文系の連中と似たような傾向が出てきた。それは、「狭く、深く」を重んじている風潮がある。しかも、最近、企業は専門性を求めているとかいうよくわからん風潮もある。しかも、先ほどの専門性の定義とは違う。というか、定義が不明瞭になってきている。
たぶん、ここでいう「専門性」は都合がいい時にかってに使う、免罪符のようなものではないかと思う。

T: 都合がいい時、という例は、たとえば就職の時に情実人事であることを隠蔽したい時
などが考えられる。専門があわない、低い、狭すぎる(Drなどの場合)と理由で、採用しない場合が考えられる。

第二話「ドクター」

A: なるほど・・・。ところで、最近、企業も変な方向に行っていないか?
最近、米国と欧州の方と取引する際に、ドクターの称号が必要とかそうでないとか、奇妙なことを言っている輩がいるのだが。

T: 欧米では、ドクターがないと研究者としての「市民権」が得られない。

A: ここでいう「市民権」とは?

T: ドクターの称号をもっている人、もしくは取得予定の人=研究者という認識が欧米では強い。

A: なるほど、だから欧米と取引する際に、「ドクター」の肩書がないから、取引の際、追い返されるわけか、なんともね・・・。

T: 課程博士は、本人にとってもリスクが大きく、また、研究者の属する“社会”にとってマイナスになる場合がある。学生の側から見た場合のデメリットは、就職が困難になる。(①企業側から“専門が異なるので役にたたない”等の色眼鏡で見られたり、実際に研究室の中で洗脳されてそのようになってしまったりすることもある。②教員によっては、使い捨ての兵隊として博士課程の学生の卒業を引き伸ばすひともいる。まだ、博士号をとるには内容が未熟であるという口実で、延長させるのはたやすいことである。)
社会的なデメリットは、本来、論文が論文誌に数本採択されるべき、という基準があるのに就職の関係で、1本も採択されていない(せいぜい国際会議で話した程度)でごまかして卒業させる教員もいるため、博士号を付与された“研究の質”にばらつきがでてしまい、不公平が生じることである。

A: 最近の学生の中には、大学で取得するドクターを外で取るドクターよりも、高く評価する学生がいる。恐らく、社会人ドクターを見ているためではないかと思う。社会人ドクターの場合、大学と企業を行き来することで、時間が少なく、あまり研究をしていないという印象が与えられ、また、企業の場合、目を引くような研究は、企業秘密になる可能性があるため、「あまり目を引かないテーマ」の研究でドクターを取らざるを得ないので、
あまり、良い印象を持てないのではないのではないかと思う。けど、これってただの「80%の迷信」では?

T: 社会人ドクターは、論文博士をなくすという仮定のもとに作られた制度なので、論文博士が存続することになった現在では、あまり必要ではなくなってしまった。しかし、P社のO博士(工学)の例のように、大学と連携して研究するきっかけをつくり、企業の研究
テーマの行き詰まりを解消するきっかけとなった例もあり、どのように利用するかが問題。その反対に、教官が世間知らずで、社会人コースの学生も、普通の学生とおなじく、毎日、研究室に来ることを要求したため、本人の負担が大きくなってしまった例もある。企業では、実用化することを重視するため、旬な話題は隠したがる傾向にあるのは事実だが、論文には具体的なノウハウを書くわけではなく、また、ある程度実用化にめどがついた段階で、実用化できてもできなくても、博士論文にまとめることはできる(論文博士でも社会人博士でも同様)。博士論文は“学術的”なものと考えられているので、実用化に失敗しても、まとめることに意義がある。具体的にいえば、いったん、実用化に失敗していても、あとから論文を読んだ人がそれをヒントに別の角度から検討して、実用化に成功したり、有益な知見を得たりすることもある。したがって実用化に失敗した研究テーマは無価値である、という考え方には、賛成できない。温故知新という考え方は、研究者にとって非常に大切なものである。(最近、皆が、騒いでいるテーマ、つまり“目を引くテーマ”ばかりを猫も杓子も追いかける人がほとんどなのは、実に嘆かわしい。)

最終話「某大学の大学院」
A: 最近、変な「専門性」のため、明らかに視野が狭くなっている学生がいる。例えば、学部の研究と院の研究を同じ分野でやりたいとか、そういうことだ。だが、社会に出たら、そんなことは言っていられないはずだが、これは研究室洗脳だろうか、それとも、”他大学の院”に行かせたくないための反日勢力の洗脳だろうか。
そして、T大学の研究環境は、どこの大学でも言えることではあるが、イマイチだろう。
それだとしても、R大学よりも果たして優れている点はなんだろうか?
人脈? MNDからの庇護?
そして、ドクターコースに行ってしまいそうな女子に声をかけるとしたら?

T: 良い悪いは別として、参考までに話しておくと、Tの電子では原則として、4年時と修士は別の研究室に進学することになっている。たぶん、研究の視野を広めるためだと思う。研究環境の良し悪しは、研究室依存性が大きい。例えば藤井研は、超貧乏だったが、その反面、人材は豊富で、しきいが低いため、企業の人たちが自由に出入りして有益な議論ができた。そういう意味で、すばらしい人脈をもっていたと言える。現在はこのような研究室はほとんどないが、それでも、研究室の先輩で、研究分野で活躍している人が多い、とか、出入りの企業が多い、という点では、東大は得をしていると思う。(一般人の過大評価も含めて。)ドクターコースへ進みたがっている女子学生には、とにかく定職(ニクトなど)を必ずみつけるようにアドバイスするべし。理工系で定職を見つけるのは、年々、困難になっているので、医転できればそれに越したことはない(国立大に学士入学という手もあり)。教職ぐらいは念のため、とっておくこと、ポスドクは本当の意味で、研究のプロとはいいがたいし、いつ首になるかわからない(特にT大では、近々、かなりの数のポスドクが首をきられる可能性あり、プロジェクトがつぶれて財源がなくなった)ため、ポスドクになるのは絶対に避けること。

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