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やはり、学問は楽しくなきゃ

いきなりだけど、私は高校まで勉強というのは楽しいと感じたことがなく、ただ、やらされているという感じがしていた。

実際、高校に上がる時に、地元も県立の某高校に周りは行けと行っていて、そのために勉強せいと言われていたけど・・・なんか違うなと思っていた。実際、共学ではなく、同姓だけで集まっているようなところは後々、社会に出ることを考えるとどうか?と思ったし、そもそも、あまり名門(それもホントか疑ってるが)だからと言って魅力が湧かなかったというのが本当のところ。

まあ、高校は結局そこを落ちて別のところに行った。そこでの生活は、まあまあ、良かったけど、その「名門校」以外の公立高校にいくことを考えてもよかったような気がする。

その後、大学に入ったが、もともとやりたかった分子生物学が主に学べそうな学部は落ちたし、なお、そのころ、その手の学部の偏差値は高かった。まあ、本当は滑り止めの1つが受かったのだけど、少し違う気がしたので行かなかった。

結局、自分の考えていた学部とは違う学部に行って最初はエンジンがかからなかったが・・・

そこの学部の教養課程の時に、いろいろと面白い話が聞けた。

化学では、ギブスの自由エネルギーに関する話などを聞いたけど、その際に、フリッツ・ハーバーが晩年にやっていた海水から金を析出させ、取り出す研究の話と、どこかの大学でそれをやっているといった話を聴いたり・・・、

後、心理学の講義では、マインドコントロールに関することを習った。

マインドコントロールを用いて、どういう風に説得・・・というかいいくるめをしてくるかとか学んだ。

マインドコントロールが成立するには、「好意性」「返報性」「一貫性」「権威性」「希少性」が必要だと言われている。

社会的証明という項目だけは知らなかったけど、ほとんど、それ以外は、教わった。

実際、このマインドコントロールに対する知見は、後々、交渉や修羅場の時に、自分の冷静さを保つ際に、しばしば、役立った。

一見すると好意を持って近づいてきたように見えても、実は裏があるのではないか?と冷静に見れるようになったり、権威が勧めるのは別にいいが、具体的に具体的にどういうメリットがあるのか?いや、そもそも、コイツは本当に権威か?、別に一貫性がなくてもいいか、申し込みしたけど、別に次行く必要を感じないし、なんか行くとヤバい感じがするとか、返報性については、うん?なんで、この人、急にこれを渡してきたんだろ?相手が面倒だったからとか、向こうだけで完結する都合ならいいが、なんかこっちにさせようとしている?という疑念がわくようになったりした。

実際、ちょっと、危ない宗教的なものに引っかかりそうになった時に、この考えが働いて逃げることに成功した・・・特に好意性をついてくるものは知らないと危なかったりする。

まあ、こういった心理学の面白い話や後は哲学というかある意味論理学の一種だと思うけど、「○○の格率」とか、いろいろとならった。ちなみに、同様の内容の本を古本屋で見つけた。それがこれ。

実際問題、会話の際に、かみ合わなくなったりした場合に、立ち戻って考える際に、この手の本を読む習慣ができた。

といった感じに、学問の面白さを教養の時に知った。それから、勉学にも身が入りやすくなり、いろいろと、手を出すようになったというわけ。

ある意味、私にとってエンジンがかかった瞬間は・・・

大学の教養課程の時だった。

なぜ、そうだったのか?

ある意味、教育的な言葉でいうなら、高校までは内発的動機付けよりも外発的動機付けの方の効果が大きかったが、大学から先は内発的動機付けの方が外発的動機付けの効果が大きくなったからではないかと考えてる。

ある意味、それまでは、大学に合格するということだけだったが、そこから先は、単位をとるとか、総代になるとかそういったものだけでは、うまく回らないことがある。実際、高校のようなお仕着せの教科書だけを使っているわけでもないので。そして、偶然、学問の面白さを教えることができる先生がいたので、私はエンジンがかかったのだと思ってる。

人生にはこういったエンジンがかかった瞬間が来るので、その日のために、まずは外発的動機付けでも構わないので、いろいろとやってみるといいのかもしれない。

#エンジンがかかった瞬間

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