受け入れ不可能

※前回みたいな文を真ん中にやるやつめんどくさいので通常に戻します笑

それは生まれた翌日。

父は東京から2時間で駆けつけてくれた。

普段2時間でつく道のりじゃないから、どれだけスピード上げたのよ、という話は我が家の思い出話。


あの頃、よく捕まらなかったな、と父は今でも言う。


ほんと、多分捕まったらキレてたろうなうちの父。


ちなみにその時に車内で流れていた音楽は平井堅の瞳を閉じて。

未だに聞くとウルっとくるらしい(笑)


そんなこんながあった訳だが、現実は相当厳しかった。


出産した病院の担当医から一言、


うちでは器材が無い。これ以上受け入れられない。


そこで提案されたのはその病院から1時間半ほど先にある県立のこども病院。


その日の昼間、


生後わずか2日あまりで私は人生初の救急車に乗る、という体験をした。




そして、その日。


そこで見てくれた担当医(後の主治医)から説明を受けた。


まず、心臓病であること。


そして、とにかく今から緊急手術するから同意書にサインしてくれ、と言われた。


大動脈狭窄症だったため、血管を広げるための手術。


手術時間、

五時間。


その時にできた傷跡は今もあって、左脇下30センチの傷。

ちなみに神経に触れたため、


そこに感覚というものは無い。



そして、手術を受けた後、両親に担当医は話がある、告げた。





手術しますか、それともおうちに帰りますか。


何を意味しているか、わかるだろうか。


手術しますか。


どうなるかは分かりませんがこの子の生命力に賭けますか。


それとも。


おうちでゆっくり穏やかに、余生を過ごしますか。




たとえ手術したとしても、しなかったとしても、





この子の命の灯火は、一週間ない、



担当医は淡々とそう告げたと言う。




痛い思いや辛い思いをさせても、意味が無い、という意味にも聞こえたその言葉。




生まれて、4日目。



いわゆる、余命宣告というものを受けた。




賭けるか、賭けないか。


生まれた子に迫られた究極の決断に両親は相当悩んだだろう。


 〜つづく〜

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