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太刀魚釣りは秋の夜

秋の夜釣りといえば、太刀魚釣りだと相場が決まっている。少なくともうちでは。

夏の間は「暑い」という理由で、父が釣りに連れて行ってくれないから、涼しい季節がやってくると嬉しかった。やっと釣りに行ける。

父が試行錯誤した結果、
最初は塩鯖をただ切ったものだった餌は、
塩鯖を切って、さらに某調味料に漬け込んだものへと進化を遂げた。
スーパーに行った際、良い大きさの塩鯖があれば、父に報告していた。

太刀魚釣りは秋の夜だ。

少し大きい竿を3本(私、父、弟の分)と網(タモ)などを車に載せ、いつもの釣り場へ向かう。途中のスーパーに寄って、キビナゴやイワシがないかチェックする。売っていれば、そちらも餌として買っておく。

釣り場に到着する。
明るいうちに仕掛けを作る。夜には真っ暗になる場所なので、照明もセットする。
そのうち、知り合いも合流する。名前は知らないけれど、父の釣り仲間だ。

少しずつ日が沈み始める。夕間詰だ。
特製の餌の入ったタッパーを開ける。塩鯖の身の上と下あたり二ヶ所に、目立たないように針をつける。
準備ができたら、竿を持って海へ。ヒュンッと遠くへ投げる。シュルシュルと糸が海底へ引かれていく。糸の動きが止まったら、竿を持ったまま少しリールを巻いたりして、常に糸が張っている状態にしておく。暗く遠くても、ルアーに付けたケミホタルの光で、糸の落ちた場所がわかるようになっている。
たまに場所や深さを変えたり、餌を動かしてみたりするが、太刀魚釣りは基本的に「待つ」ものだ。退屈な私は、最初のうちは竿を持って移動したり、少しずつリールを巻いたりしているが、そのうち竿を置くようになる。

近くに駐車した車を拠点に、弁当を食べたりしながらアタリを待つ。竿先やウキの動きを見つめる。目が夜の暗さに慣れて、光る波が見えるようになる。
(ウキが沈んだ!)と思ったら、ただの波のせいだった。うまく魚が食いついた時は、もっとしっかりと沈む。アタリなんて、よっぽど運が良い時以外、すぐにくるようなものではない。当時小学生や中学生だった私達は携帯も持っていなかったから、ただ時間もわからないまま暇を潰していた。

「向こうの釣竿、来たんやね?」
少し離れたところに置いていた釣竿に目を向けると、たしかに竿先が曲がっている。ウキも沈んでいる。きた。
急いで竿を手に持ち、少し動かしてみる。
「ひっかかった」のではなく、「食いついている」。待望のアタリだ。
リールをゆっくりと巻き始める。
太刀魚釣りは、独特のグイッと持っていかれる感じが堪らない。しかし、急ぎすぎると針が外れたり、まだ餌を食べてるだけで針に魚は引っかかっていなかったりする。確実に、焦らずにが肝心だ。
腕にたしかに重さを感じながら、緊張感と高揚感とともに、リールを巻いていく。

獲物が近くまでやってきた。
水面に銀色の光が見えて、近づいてくる。
太刀魚だ。
地上では、網の準備もできている。
水面くらいまで糸を巻き上げ、網で掬う。
太刀魚が釣れた!

鋭く細かい歯に、なんといってもこの体。
本当に刀のように鋭く光る銀色で、陸にあげると、危うささえ憶える。
こんな美しい生き物が、すぐ目の前の海で生きている。興奮で胸がいっぱいだ。
途中で針が取れてしまうことや、引っかかってしまうことも多いから、無事釣れた時の感動もひとしお。
父にうまく処理してもらい、この日の初めての釣果が出た。

誰かの竿に一尾食いつくと、たいていは他の竿にもアタリがくるものだ。逆に言うと、そのタイミングを逃すと全く釣れないことだってある。
続けて数本の竿にアタリが来た時は騒がしい。全員が静かに魚と格闘しながらも、内心興奮している。こうなると網係が1番忙しないのかもしれない。

こうやって釣りをしていると、たまにイワシの群れに出会すことがある。
イワシの群れは、一眼見ればすぐにわかる。水族館によく展示されているあの銀色の渦巻が、水面からも見えるのだ。
しかし水族館と違うのは、目立つのは群れの構造ではなく、色だというところだろう。
イワシの群れは、一際キラキラと光って見える。水面すれすれのところを、銀色に細かく光る小魚たちがすばやく泳いでいるのだ。

とても綺麗な光景だが、ゆっくり眺めている暇はない。今こそ生き餌を捕らえる時!
群れをよく見て網を入れると、イワシが漁れる漁れる。
用意していた水槽にうつしては、また網を海へ。網からイワシが水槽へ。金魚すくいよりも簡単だ。
私はこの瞬間の美しさと興奮が大好きだった。
そしてそのイワシを針に掛け、太刀魚用の竿をまた海へ投げ入れる。まだ生きて泳ぐイワシのせいで、糸やウキが細かく動いている。

イワシは漢字で「鰯」。文字通り、海から揚げるとすぐに弱ってしまう。網ですくうだけで鱗がたくさん落ちてしまい、手も網も小さな鱗だらけになるくらいだ。水槽の水はこまめに変えてあげなければいけない。酸素だって必要だ。
太刀魚を待つ間に、イワシの様子を見たり、世話をする。

私たちが海から捕まえてしまったイワシたち。
一尾一尾に体格差があり、すぐに息絶えてしまいそうなものもいれば、元気に泳ぎ回っているものもいる。ちょうど良い大きさで元気なものは、太刀魚に食べられるために、身体に針を刺されたまま、海中を漂い、自分の運命を任せることになるのだ。

誰にもアタリが来なくなったあたりで、釣りは終了。
肌寒い秋の夜風の中、片付けをして帰る。
太刀魚が釣れた日の気分は上々。私は身の締まった刺身も、あのふわふわの天ぷらも大好きだ。帰ってすぐに食べたい。
イワシだけ持ち帰る日も、何も持ち帰れない日もある。仕方ない。私たちの負けだ。

秋の夜は、銀色に輝く魚たちに出会える。
あの神秘的なまでの美しさを、私はずっと忘れられないだろう。

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