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春と秋の山

 かつて炭鉱で栄えていた町はすっかり村になってしまった頃、残された水力発電所のそばには、一本の桜が変わらず春を愛でていた。
 そんなある日の厳しい冬に、珍しく雷鳴が轟き、高地に位置していた桜に、残酷にも稲妻が落ちた。
 また同じ春がやって来た時にはそれはすっかり焼け焦げたばかりで、これはもうだめかもな、なんて一人の男性が呟いた。
 だが、彼にとってこの場所はかつての青春であり、後世に語るべき歴史の地であると固く信じていたので、焼けた桜と古びた発電所周りを整備し、周りに紅葉を植林した。
 それはやがて発電所公園となり、観光客が紅葉狩りに来るようになった明くる日、焼け焦げた大樹から一本の細い枝が伸びていることに気がついた。
 男性は見様見真似で大樹を保護する活動をした。といっても、焦げた部分を切り落とせば、まだ未熟な枝が枯れてしまうかもしれないと、切り株に薬を塗布することしか思いつかなかった。
 そうしてしばらく経ったのち、細かった桜の木は、別から伸びた木から支えられてかなり成長をしていた。これでようやく、またあの桜が見られるのだろうと思ってふと、桜を支えている木が、別種の木であることを知った。
「紅葉の木だ」
 桜を支える木が紅葉の木であることがいいのか悪いのか男性には判断がつかず、とりあえずそのままにした。
 なぜなら、焼け焦げた大樹をそのままにしたからこそ桜はさらに細い枝を伸ばしたのだから、人間の手はいらないだろうと思ったからだ。
 自然は自然のままに。
 そうして数十年経った日には、春と秋に観光客が往来する賑やかな公園となった。
 その場を任意で整備していた男性はすでに腰が曲がり切ってしまっていたが、お互いを支え合って再び大樹となった象徴を見上げる彼の表情は誇らしげだった。
 やがて、公園を取材にやってくる記者も殺到して、そこを管理していた男性にこう質問をする人がいた。
「なぜ、周りに桜ではなく紅葉を植えたんですか?」
 すると、男性は決まってこう返事をした。
「なんでだろうなぁ、今考えても分からないんだが、きっと神様のお告げだったんだろうなぁ」
 なら、その神様はあの大樹だったのですね、と記者が返すと、男性は苦笑いしながら足元の私と目が合った。
「おっと、そのカタクリに気をつけな。春の大事な命だ」
 水力発電所を動かす滝から風が吹いた。私はそろそろ散る時だったが、それは頭上の桜も同じだった。
 それに、ここはすぐにはまた冷えて、紅葉になって、春になる。彼はもう歳を取ってしまったけれど、すぐに散ってしまう私となんら変わらない気がした。
 いいや、違う。彼こそがここの神様なのだ。
 カタクリと呼ばれた私は早々に眠りについた。地中で人間たちの会話を聞きながら、次の春を待った。

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