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かわいそうという言葉

こんにちは😊今日は初めて行った美容院で上手に髪を切って頂けてご機嫌です✌️「アイロン普段使います?」って聞かれて「絶対おでこ火傷するので使えないです」と答えたら笑われましたが。不器用すぎて、全然出来ないんですよね...世間の女子の皆様、すごい。練習頑張れ〜って応援して貰えました☺️

今日は「かわいそう」という言葉についてお話したいと思います。日常的によく出てくるワードですよね。でも私はこの言葉を聞く度にちょっともやっとするのです。私が体験した2つのお話から、「かわいそう」について考えていきたいと思います。

父から言われたこと

まずは小学校中学年の頃のお話です。断片的な記憶しか残っていないのですが、父が虐待を始めて間もない頃のことです。父は突然私の前にたちました。そして、私が身構える間もなく「お前はかわいそうな子だ」と言って泣き始めたのです。

目の前で大の大人が泣いてる。第1のショックはそこでした。私はその頃、両親の泣いた姿をほとんど見た事がなかったのです。父に至っては、今まででこの時を含め2回しか見たことがありません。

それを見て慌てた母が私を他の部屋へ連れて行きました。

暫く時間が経って、父に言われたことが頭に残りました。「私はかわいそうな子なのか」私はそれに感情を入れず、事実として受け取ったように思います。まだ虐待が始まったばかりだったので、何が「かわいそう」なのか分からなかったのだと思います。そして、父は私の将来や自分が家族に向かって何をしてしまうのか、予感していたのかもしれません。私が初めて「かわいそう」と人から言われたのは、この時でした。

友達から言われたこと

中学生の頃の話です。私はクラスメイトから突然「あいりはかわいそうだね。障害のある弟の面倒を死ぬまでみなきゃいけないんだもんね。」と言われました。

この言葉が、ただの悪意から言われた言葉なら、私はきっとすぐに忘れていたでしょう。私自身を傷つけようとして吐き出した言葉なら、お子ちゃまだなぁ...と流してすぐに記憶から抹消していたと思います。しかし、その友達が「善意」で言っていることを、友達の表情から読み取ってしまいました。「私良い事言ったよね、友達思いだよね」そんな風に思っていることが、すぐに分かってしまいました。端的に言うならば、ドヤ顔してました。

その時何と返したのか、言葉が出てこなかったのか、分かりません。それでも、その言葉を言われるまで私は弟のケアを「やらされている」ものだとは微塵も思っていなかったのです。でぃーちゃんが大好きだから、可愛いから何でもやってあげたくなっちゃう。私はそう思っていても、他人からは「世話をやらされている」「かわいそうなきょうだい児」に見えていたのだと、気づいてしまいました。そして何よりも障害のある弟も「かわいそう」な存在だと思われていることに気づいてしまい、かなり傷つきました。

私はかわいそうなの?

この2つの経験を振り返って、「私って本当にかわいそうなの?」と考えるようになりました。その結果「いや勝手に決めつけんなし」と若干いらっとしました笑余計なお世話じゃ、と笑

確かに親には恵まれなかったかもしれない。怖い思いだってしてきたし、何度も死にかけた。

弟にもし障害がなかったら、一緒に出来たこと沢山あっただろうなぁと考えたことだって何度もある。一緒に映画に行ってみたい、同じ学校に通って遠足とか一緒に行ってみたい。

そんな風に無いものを数えてしまうこともあるけれど、それでも私は決して「不幸」ではなかったのです。

本当に辛い時、親身になって話を聞いてくれた人。少しでも力になれたら嬉しいと言って助けてくれた人。暖かい言葉で励まし続けてくれた人。私は周囲の人達に恵まれていました。大好きな人達と今まで沢山出会うことが出来た。その人達と、楽しいことも嬉しいことも、沢山の幸せな思い出を共有することが出来た。

弟とも幸せな思い出を沢山共有することが出来ました。ずっと練習していた事が何年もかけて当たり前のように出来るようになったこと。通じ合えた時ににこりと笑ってくれたこと。私が悲しい時、何とか笑って欲しいと泣き真似をして笑わせてくれたこと。障害があったからこそ出来た時の幸せが何十倍にも感じられたこともあります。

私も弟も、生きてきた中で「不運」なことは沢山経験してきたかもしれない。それでも、決して「不幸」ではないのです。私達は、私達のことを「かわいそう」なんて思ったことは1度だってない。私達を「かわいそう」な存在にするのは、いつだって善意を振りかざしながら偏見に気づかない人。「かわいそう」という言葉の中には、「私はそうじゃなくてよかった」「私の方が上にいるわ」という無意識のマウントが隠れているんじゃないかなと感じます。

このことに気づいてから、私は「かわいそう」という言葉を絶対に使わないようにしています。
ちなみに母は日常的によく「かわいそう」と言うのです。テレビを見てても「かわいそう」人の行動を見ても「かわいそう」そして恐らく自分のことも「かわいそう」だと思ってるんだろうなぁと感じます。典型的な悲劇のヒロインタイプになってしまっています。
自分自身をかわいそうだとおもってしまったら、「だって私はかわいそうだからしょうがない」「私はかわいそうだからみんな私を励ますべき」という思考にも繋がってしまいます。「かわいそう」という言葉は、自身の価値すらも落としてしまう。恐ろしい呪いの言葉だと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました☺️真面目な話が長々と続いてしまって申し訳ありません💦発する言葉に気を使えるようになったというのは、私の武器にもなると思うので、磨いていきたいなと思います。対人援助職を目指すなら尚更必要なスキルになりますよね。「ピンチをチャンスに」「悲惨な経験を強みに」をスローガンとして生きていきたいですね。
また見に来てくださると嬉しいです😊

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