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卒業式事件

これは私が小学校の卒業式で体験した、未だに忘れられない出来事です。

卒業式の前日、父は私に「明日会社休んで卒業式行くから」と声をかけました。
この前のnoteで書いた通り、私は10歳の頃から父に虐待されていました。そのため、父に対する恐怖心が強く、私はこの時点で父のことが嫌いでした。なので来て欲しくないな...と思っていたのを覚えています。

次の日、私と父が先に車に乗り、後から母が来たことを覚えています。私達家族は小学校へ向かいました。

卒業式自体は何事もなく終わりました。その後も先生達や友達と沢山話し、写真を撮りました。母もママ友や担任の先生と挨拶をし、父だけが少し離れた木の下で立ちつくしていたことを覚えています。

事件が起こったのは、卒業式から家に向かう車の中です。その日は道が混んでいて、運転をしている父に母が「こっちの道じゃない」「この道で行ったから渋滞にはまったんだよ」と文句を言いました。すると、「うるさい!!」といって、父は突如怒り狂ったのです。怒鳴り散らした後、父は車を路上に停め、外で食事をとると出ていきました。

私はその時、楽しかった日が最悪な日になったことに呆然としました。母が余計なことを言ったから、この後どうしよう、また気を遣う日々が続くんだ、と
父は1度怒りを爆発させたら、一週間以上その状態が続きます。その間、私達は物音1つ、会話行動全てに気を遣わねばなりませんでした。

母は状況を理解すると同時に、泣き出しました。ごめんね、せっかくの卒園式だったのにママのせいでごめんね、と繰り返しました。私はそれを聞いて、「ママのせいじゃないよ」と励まし、元気な振りをするしかありませんでした。

強要された謝罪

次の日、母の態度は一変しました。父に何故怒ったのか聞いたところ、父が「俺がせっかく仕事を休んでまで行ってやったのに、あいりが嫌そうな顔をした」と言ったと言うのです。それを聞いた母は「あんたのせいで!」と物凄い勢いで怒鳴り始めました。あんたが悪い、余計なことするからまたこんな生活をしなきゃいけない、と。
今であれば、誰も来てくれなんて言ってないわ!と思えたことでしょう。むしろ来られて迷惑だと。しかし、当時12歳だった私はそれを真に受けました。私が全ていけなかったのだと、何故嘘でも喜ぶ振りをしなかったのかと。

そして、ヒステリックな母のお説教が数時間続いた後、母は私に謝罪文を書くように命じました。父に謝り、中学の入学式にまた来て欲しいと言うようにと。

また行事をめちゃくちゃにされる。そう思い、謝罪はするけれど入学式には来て欲しくないと言いました。しかし、その要求は無視され、母の監視下の元無理矢理手紙を書かされました。

そしてその後、父は入学式に来てしまいました。私はただただ、嬉しそうな演技をするしかありませんでした。

ごめんねということ

この事件があってから、私は「ごめんね」という言葉を直ぐに使うようになりました。それは私に非がある場合も、ない場合もです。「どうして謝るの?」「ごめんねって言い過ぎだよ」と何人かの友達に言われました。私の為に、友達との間で「ごめんね禁止デー」なるものが月一でできた程です笑

もちろん、適当にその場を収めるために言ってるわけではないのです。理由を聞かれたら、きちんと答えられますし、1回1回に誠意を込めています。これは私の生き残るための術だったのだと思います。ごめんね、と言わないと生きていけなかった。全てが自分の行いのせいなのだと思っていた。そしてそれは21歳になった今となっても全て消えたわけではありません。自分に非がないことで謝って、「謝らなくていいんだよ」と教えて貰えないと、それが私に非のないことだと気づけない。

保育においても、「ごめんね」と言えない子どもが話題になることがあります。お友達と喧嘩してしまった時、わざとじゃないけど謝らなければならない時。子どもは「ごめんね」と言いたくない。でも、周りは「ごめんね」と言うことを強要する。
悪い事をしたら謝るというのは大切なことです。でも、どうか子どもに無理矢理「ごめんね」と言わせないで欲しいと思うのです。その辛さは、きっととてつもなく長い時間、その子どもの中に残ってしまうから。子どもがちゃんと納得した上で、「ごめんね」と言えるような援助をして欲しい。その場を収めるためだけに言わせるのではなく、本当にその子どもにとって必要だと判断した時だけ。そして私は、そのような援助ができる保育士になりたいと思っています。

ここまで読んで下さりありがとうございました🙇‍♂️
また見てくださると嬉しいです。

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