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【じじい放談Ⅲ 第12会 政教分離】予定

戦後憲法(1946(昭和21)年11月3日に公布、翌年5月3日から施行)で定められた「政教分離(原則)」です。

『日本では、憲法によって宗教と政治の分離が定められています。したがって、宗教による直接的な政治支配は行われていません。ただし、一部の宗教団体や宗教指導者は、政治的な影響力を持つことがあります。
日本の政治においては、宗教団体や信仰者は有権者として政治に関与することができます。宗教団体や信仰者は、自らの信念や価値観に基づいて政治的な活動を行い、政治家や政党を支持することがあります。また、一部の宗教団体は、社会福祉や慈善活動などを通じて政府と協力関係を築くこともあります。
しかし、日本の政治の決定は主に民主的な手続きによって行われ、宗教的な信条や教義に基づいているわけではありません。政治家や政党は、多様な価値観や利益を考慮しながら、国民全体の福祉や利益を追求することが求められます。
また、日本では宗教の多様性が認められており、憲法によって信教の自由が保障されています。このため、複数の宗教が共存し、政治においてもさまざまな宗教の信仰者が関与しています。この多様性が、宗教による政治支配を防ぐ一因となっています。
総括すると、日本では宗教による直接的な政治支配は行われていません。憲法によって宗教と政治の分離が定められ、政治は民主的な手続きに基づいて行われます。ただし、宗教団体や信仰者は政治に関与することがあり、その影響力は一部存在するものの、政治の決定は多様な価値観や利益を考慮して行われます。(出典 chatGPT 日本の宗教による政治支配)(出典: chatGPT 政教分離)』

宗教団体が自分たちの都合が良い、国(行政・立法・司法)にするため政治家や役人に近づき、希望を話すことは自然なことです。 信じる神仏の違う誰もが、安心して暮せる国(社会)に知恵を絞った結果が憲法の『政教分離(原則)』です。
米国CIAによる戦後冷戦の対共産化への政治工作を利用した旧統一教会の政治行政への工作活動は今も継続しています。 国民国家(国民が支配する国家)では、信者も国民で政治に参加し、異教徒や不信心者も当然政治参加します。 大きく違うところは、信者は政治に興味がなくても、宗教指導者の指導で統一した政治参加が行われ、政治権力に繋がりやすくなることです。
政治権力を持った信者に都合の良い法律や行政が行われ、「憲法で禁じている信仰の自由を侵す」ことになります。
民主主義では、「多数決」により国民の意志を決定しますが、「票割れ」による少数意志の黙殺が行われます。 「票割れ」による少数意志の救済は様々な制度が研究者により提案されています。 政治に無関心な票割れ国民が、一部の多数者により支配される社会構造が見えてきます。
高度な教育が普及した日本国民は、「買収」「汚職」「談合」などの悪性は知りながら、当面の生活が侵されるまで無関心でいれるのは、「和を持って尊し」争うことで傷つくことを恐れ、目先の危機を避け、膨れ上がった不都合を政治革命で解決(ハード・ランディング)するのでしょうか
民主政治は、暴力によらない政権移譲(ソフト・ランディング)で、時代にあった社会を維持する制度です。 できれば、ソフト・ランディングを重ねた社会改革で平和な社会でありたいものです。

政治家と一度も話す事なく、神様仏様とも縁遠い「じいさん」が「政教分離」を「じいさんの感覚」で話します。

収録 2023-6-1
【YouTube 配信予定】
限定公開      2023-6-5
公開        2023-6-21
ロケ地 久志の浜(竜神の宮)@名護市

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