「〜べき」の話②
で、続き。(「べき」ゲシュタルト崩壊してきた…)
じゃあ、「〜べき」を使わないにはどうすればいいの?
自分がされて嫌なことは他人にするべからず(これもある意味「〜べき」だなあ…)。
前記事で書いたように、個人の尊重がなされていない事が問題であるなら、尊重できるような言い回しにしてみよう。
「私は、〜したほうが好きor気持ちいい」
好き、気持ちいい以外でもいいんだけど、大事なのは
「私は」ってつけること。このような主張の方法をIメッセージといいます。
この言い回しにすると、自然と「それで、あなたはどう思う?」といった考えになりやすい。頭に「私は」とつけて自分固有の意見であることをはっきり言語化することで、他者が自分と違う意見を持っている可能性に気づき、受け入れ易くなる。
また、言われた方もきちんと自分の意見を尊重してもらっている気持ちになるので、円滑にコミュニケーションが取りやすいです。
「〜べき」に限らず、「〜は善いor悪い」、「〜は正しいor正しくない」の議論のときにも有効。
データがはっきり出るものとか、数学のテストの答えとかでない限りは、善悪や正誤だと思ってるものって、意外と個人的な好悪や快・不快だったりするものです。
いろんな情勢が大きく動いて、物事の価値観が様変わりしつつある現代において、自分の中の価値観に囚われず、他者との価値観の交換を行うことで、時代に乗り遅れないようにしていきたいですね。
(うそ…、なんとなくの思いつきで書き始めたのに真面目やん…)
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