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【story】金管楽器 ~新大久保駅

今日も来てしまった。
新大久保は楽器屋の穴場的場所。
休日にちょっとでも時間が出来ると、すぐ楽器屋に行って楽器の試し吹きをしようと出かけてしまう。以前は御茶ノ水へも行っていたが、ここ最近は新大久保の楽器屋を散策して、コリアン通りを物色して帰るということをしている。

演奏する楽器は、ホルン。
楽器は何を演奏するの?と聞かれて、ホルンと答えると
「ああ、あのカタツムリみたいな?」
と、ざっくりとした回答が多い、マイナーな楽器だと思う。

家で練習することもあるが、サイレントミュートを使ってじゃないと家で演奏することが出来ないため、この楽器屋にある防音室を借りて練習するか、試し吹きで新しい楽器を触ったりしている。

自分が所有しているホルンは、ヤマハなので
試し吹きには海外製のものを選ぶ。
もちろん、将来的には新しい楽器を買おうと貯金をしているけれど…
社会人になってまだ3年目の、下っ端の下っ端なんで、今すぐ買える訳がない。
愛用のホルンは、大学時代にバイトして購入した。
中学から吹奏楽部に入って、あの丸っこい、何とも言えないフォルムの金管楽器を吹きたい!と思ってから、ホルン歴13年目となる。
つまりは、ホルンが彼女…なのかな。
中学時代から一心不乱にホルンを吹いていたこともあってか、高校も大学時代も彼女を作るとかまったく考えていなかった。
社会人になって、職場の先輩に誘われて合コンに参加したこともあったけど、楽器経験がある人がいないため、僕の話なんて数分も保たない。

よく行く新大久保の楽器屋に、マイ楽器持参で入店。
いつものとおり防音室を借りて、練習しようと思った。
店内に入ると…あ。今日も来てる。
自分が休日に楽器屋に行くと、決まって楽器屋に来ている1人の女性がいる。何度か顔を合わす度に、会話をするようになった。

「あ!こんにちは!今日も練習ですか?」

その女性は、僕の1歳年下。毎回楽器屋で何やら物色しては、時間を潰している。楽器経験者ではあるが、何の楽器を演奏しているのかをまだ教えてもらっていない。何度か楽器を聞いたのだが

「金管楽器なら全部吹けますよ!」
「購入したいとは思っているんですけど…なかなかお金が貯まらなくって。」
「ユーフォニアムがアニメで人気になって羨ましい。」

とか、ヒントは教えてくれるのだが、確実なのを教えてくれない。
金管楽器の種類的に、順番に聞けば必ず当たるはずなのに、全部首を振る。
つまり、金管楽器を全種類経験している彼女が、初めて購入する金管楽器を何にするかでずっと迷っているというのだ。
ある意味、彼女は変わっている。

「今日はホルンを試し吹きしようと思って。」
「ハンスホイヤーですか?それともアレキサンダー?」
「今日はハンスホイヤーかな。手が届きそうなのがそれだし。」

「今日こそ、楽器を買いに決めたんです。」

お?今日こそ購入するんだね。
彼女の楽器遍歴は、小学校時代にコルネットとメロフォーンを経験。メロフォーン経験者なんて珍しい。中学時代はトランペットとホルン、最後はトロンボーンにシフトしたそうだ。高校時代にユーフォニアムとチューバ。大学時代はサークルでトロンボーン、別の楽団でホルンと…。
ただでさえ、楽器で音の管が違うのに、よく楽譜が混乱しないよなと感心する。つまり、彼女は僕より上手い訳だし、ある意味プロだ。
彼女が何の楽器を購入するか気になるところだけど、とりあえず僕は防音室に向かう。まずは自分の楽器で基礎練習をする。
僕が入った防音室の小窓から、彼女がお店の人と談笑しているのが見える。
結局何を買うんだろう…すごく気になる。

すると突然、その彼女が僕がいる防音室にやってきた。

「私も手が届くとしたら、ハンスホイヤーって思ってたんです!」

彼女が手にしていたのは…ホルンだった。
しかも、それ僕が以前試し吹きしたものだ。

「あの時、ホルンの話を聞かせてくれて、ありがとうございました。おかげでホルンを買おうって決まりました。」
「そうなんだ。」
「これで、デュオ出来ますね。」

え?僕と?デュオ?するために…ホルンを購入したの?

「もしフリーだったら…」

え?

「もしフリーだったら、うちの楽団来ませんか?ホルンがいないんですよ~。」

あ…そういうことか。何だ。
ちょっとだけでも期待した僕自身恥ずかしい。

「楽団の話、聞かせてもらえれば。今特段楽団には所属していないんで。」

彼女はニコっと笑って

「へへ。楽団員ゲット!」

とまるでいたづらっこみたいに答えた。なんかしてやられた感があるけど、いいや。

「ちょっと待っててくださいね。今ホルンの購入手続きと、もうひとつ購入したチューバを配送手続きしてもらうんで。」

え?!チューバも買ったの!?

「私、ホルン兼チューバなんです。」

どうやってホルン兼務でチューバを演奏するんだよ(笑)

「どうやって演奏するか?って思ったでしょ。だからホルンに誘ったんですよ。チューバは一応他に1人いるんで。メインはホルンですよ。うちの楽団、まだ出来て新しいんです。よろしくお願いします!」

完敗だった。
ちょっとでも楽器屋で恋が始まったらと思ってしまったのが運の尽きだったのか…。
まんまと楽団勧誘に捕まってしまった。
けれど、合奏が出来るからいいかな。

「この後、コリアン通りに行くんですよね?ホルンは持ち帰るので、私も一緒にコリアン通り行ってもいいですか?楽団の説明もしたいし。」

はい。こちらこそ、よろしくお願いします。

「へへ。やったー。デートも出来る~。嬉しい!」

…ん?
聞き逃したけど、ま、いいや。

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