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「休校」で傷ついた私達がいる

うちには今年小学校を卒業する子供がいる。コロナ対策の突然の休校であまり心の準備も出来ないうちの小学校卒業になりそうだ。

休校が決まったころ、子供たちは「巣立ちの会」の準備が大詰めだった。

準備していた劇はどうなるの?練習していた演奏は?歌は?練習しまくった伴奏は?父兄の出し物も…

となった時、とっさに私が子どもに掛けた言葉は「仕方ないよ」だった。

仕方ないよ、病気を蔓延させない為なんだからどうしようも無いし。

練習したことは無駄じゃないから。ね。

結局、学校の対策としては、4日までは休校せず、巣立ちの会は父兄の参加と他の先生方の参加は無し。卒業の子供達だけで会の開催となった。首相の表明の次の日だった。

その様子を撮影したので各家庭に後で配ってくださるとのこと。

良かったね、練習したこと形に残せて。直接見られないのは残念だったけど、先生たちの対応早かったね。と子供と話した。

そして今日、学校はこれで終わり。色々な大量の荷物を持ち帰ってきてどさっと部屋に置いてある。

ほら、片付けなよ などと声を掛けながらも二階を覗いたら

巣立ちの会で使うはずだった息子の手作りの席表があった。参加予定だった旦那と私の名前が、招待者として、いつになく丁寧に綺麗な字でマジック書きしてある。……様。と。

それを見たら、涙が出てきて止まらなくなった。あれれ?その字の丁寧さに、息子の気持ちが感じられて感動したのだろうか…

でも何故止まらないんだろう?涙はポロポロとほおを伝っていくらでも下へ落ちる。普段はそんなに泣いたりしないのに。子供達は一階で楽しそうにテレビを見てる。

意思と関係ないかのようだ。どうしたんだろう?

そうか、悔しいのかも。子供のその気持ちを、私達の気持ちを、誰も受け止めてはくれないしもしかしたら気付きもしない事に。

お世話になった大好きな先生に見てもらう為、親に見てもらう為に作り上げてきた。子供達の健気なその気持ちは、無かった事になっていないだろうか?

そうか、傷ついたであろう息子を通して、私も傷ついていたんだな。

見ないふりをしてた。

納得はしてた。

でも悔しい気持ちはあった。

知らないふりして、すぐ諦めて、子供には仕方ないよって言った。蓋をした気持ち。

別れ別れになる前に、思い思いに、そして濃密に、過ごせるはずだったのに。急に取り上げられた6年間の最後の3週間。

子供達にとってどれくらい大切かは誰にも分からないし量れない。

仕方のない理由はあるにせよ、子供に残るのは取り上げられたという感触ではないだろうか。

卒業式のそこまでが、誰もが受ける事を許されているべき教育だったんじゃないのか。

もしかしたら何よりも大切な事を学ぶチャンスを、何だか一方的に奪われたように感じるけど、これで良いのだろうか?

もう一つの「6年生を送る会」は内容を簡素化して行われた。本当は1年生からメダルを掛けてもらって在校生と沢山遊ぶつもりで楽しみにしていた。先輩の6年生をずっとそうやって送り出してきたし、下級生達を可愛がって慕われていた学年だった。

給食も最後は6年生だけ特別なバイキング形式になるはずで…まるで最後のパーティーみたいで、それも皆んな前々から楽しみにしていたんだ。

確かに給食費は返ってくるらしいけど。

大人から見たら小さな楽しみに見えるかも知れないけど。

子供は素直に「残念だ」と言った。そして「まぁでもいいよ、良い6年間だったから」と。

それを、仕方ないね、と流した数日前の私。

その事にもショックだった。平気なフリして流しちゃうつもりだったんだ私。

子供の気持ちに寄り添うと自分も辛くなるから。被害者のふりした加害者のよう。

どうせ抵抗しても変わらないなら、大人しく受け入れたら、楽かと思った…。

こんなに時間が過ぎてから悲しいのか自分に怒りたいのか分からず泣いている私はバカみたいだ。1人で母の誕生日のケーキを買いに出た、車の中でも涙は出る。旦那から今どこ?のメール。帰ってきたら引かれるな。

私達の県では、まだコロナの患者は出ていない。卒業前の大切な3週間、教育を受けられない不幸と、コロナを予防出来ないかも知れないリスクと、どちらが大きいだろう?分からない。

比べられることではないかも知れない。それに対策する事の大切さは分かる。でももっと早くに出来る事が他にあったんじゃないのかな。

こんな時に割りをくうのは弱い者じゃないかという気持ちが拭えない。

きっと置かれた立場で思う事は全然違うだろう。自分が正しいとは思ってない。

正当な措置かも知れない。でも議論はあっても良かった。議論したかったし、自分達の事として一緒に決めたかった。

もっと色んな声があるのが自然なのに。

考えないで受け入れる事にこんなに慣れている。

1番守られるべき存在の子供が1番被害を被っていないだろうか。

泣いた顔の私に、帰ってきた旦那が驚く。そして、ナニ泣いてんの⁉︎と子供と一緒に笑いに変えてくれた。そして私の母の誕生日をお祝いに行く為の車に乗せながら、困った顔で慰めてくれた。

分かるよ。俺もそう思うよ。

息子の気持ちはもう半分新しい中学校へ向かってる。本当に子供には学ぶ事が多い。そうだよね。もう過去はどうでもいい。卒業式も、出来ればまあラッキーだろう。

県に罹患者が出れば卒業式もなくなるかもなんだって。その時は直接、教育委員会と校長先生に気持ちを伝えてみようっと。そう思ってる保護者がいるってこと。

でも、この涙を越えなければ私には未来に向かう気持ちは生まれなかった。

このお休みは、宿題たくさんあるからそれと、お散歩でもしようか一緒に。

いいね!と下の子供。お昼ご飯作ってみたい。と息子。

今年卒業の子供達の心には一体何が残るんだろう?

帰りの車の中で旦那に聞いたら

お母さんが泣いた事、と息子が言った。







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