2020/05/05 その1

ねむい様な、目がはれぼったい様な。
対策さえしておけば、もはや何も恐くなどないのだ。
【もしこれで失敗しても大丈夫】という保険の安心感。
何の利害関係も生まれないような、安寧、自然な場所。

本当に動いているのかな?って呼吸を確認する。
これが私の人生だ。
代償はもう支払っている。命を売ったようなものか。
それで命と向き合い、ここでまた生きている。
親となんの因果関係もなしに、私もあなたもここにいる。

いやとにかく「嫌われているのではないか?」と言葉の脅威に怯えている。

私が何かを感じるとき、嫌うなんていうのはまったくなく、ただ作り上げた幻想に対して、バリゾウゴンを並べ立てているだけなのだ。
だから、誰かが作り上げた幻想の上に並び立てられているその言葉を、ただ観賞会でもするかのように見上げていて、時折面白い人々の内面が引き出せたり垣間見えたら、取り入れるラッキーチャンスなのだ(ひねくれてるかな笑)

つまりは、他者や人間関係においての個人でいることをやめたいと言っている様なものだが。私は自分の寿命が短くありたい。旅路は見えているのだが、要塞に閉じ込められた都市をくぐり抜けて、君に会いに行こう。

否定されるように感じるのはやはり辛いが。
どちらにせよ、これまで、幼い頃から経験したように、人々は、まったく関係のないところから、まず始めにタワ言を並べ立てるのである。
その後その後になって、ようやくその人々、相手と個人との心情が察せられ、分かるようになるのである。
ほほえましい笑みを浮かべられるようになるのである。これが優しさか。

さて、私はこれから夢想にふけろうと思う。
どっぷり浸かってる。人間を忘れてしまった。
なつかしさの彼方に押しやり、今目の前にある夢想にふける。
その背景にあるあれこれは別の誰かが分かっていればいい。

ねむくなってきた…
不幸の最中でもモナカアイスはおいしいし、あとはささいなよろこびなのだ

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