【子育て】4人の子どもを平等に愛せるのか。
2回目の出産の時、私には不安があった。
「子どもが2人になるけれど、平等に愛を注げるのだろうか」と。
長女が生まれた時、長男は2歳2ヶ月だった。
言葉で意思疎通はできたけれど、「やりたいけど、できない」もどかしさや悔しさを体で表現する「魔の二歳児」の時期だった。
私はまだまだ、家事や育児の手の抜きどころがわからず、かといって夫や周りに「助けて」と言うこともできず、勝手に一人孤独を背負って毎日イヤイヤ期の長男と格闘していた。
「これで、子どもが2人になって、果たしてどうなるのだろう」
「自分が生きるだけでも精一杯。愛情がわいてこないんじゃないかな」
長女の妊娠中から、そんな不安がこみ上げてくる。
「愛を注ぐ」という言葉がある。
辞書を引いてみると、
とある。
看護学生のころ、「ミルクピッチャー理論」を学んだ。
という理論だ。
「私、母親としての自信も、愛情も、気力も体力もカラッカラだから、子ども達に愛を注ぐなんて、難しいな。どうしよう」
長女の妊娠を白紙に戻すわけにもいかず、でもカラッカラな産後の自分を想像しては、お先真っ暗だった。
不安でいっぱいだった私でしたが、紆余曲折ありながら、今は4児の母をやっている。
4人も子どもがいると、「子どもに注ぐ愛が足りないのでは?」と思われるかもしれないが、そんなことはなかった。
私は気がついたのだ。
どうやら愛情は、「注ぐもの」ではない。
自分のミルクピッチャーから、子どもに愛情を注ぐのならば、注いだ分の愛情をまた自分に補充してあげないと、少なくなってしまう。
「均等に注がなきゃ」と配慮も必要かもしれない。
実際に子育てをしていて、愛情は「分け与える」というイメージよりも、「にじみ出る」「醸し出す」「温める」ようなイメージに近いのではないかと感じている。
入れ物の中に注がれて満たされるものではなく、暖炉の火のように暖かさと明るさを放つようなもの。
だから自分自身は、自分らしく燃えていればよくて、暖かさを誰かに与えたからといって、自分が枯渇することもない。
特別なことをしなくても良くて、ただ自分として存在していれば、それでいい。
「均等に与えなければ」と思わなくても、近くにいる人は必要な距離を保ちながら、自分が心地良い程度の暖かさをもらうことができる。
「子ども達に、平等に、愛を注がなければならない」
と肩に力が入っていた私。
「私が、私として燃えていれば、それでいい」
そう思えたら、とても気持ちが軽くなった。
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