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未婚シングルマザー記①

 未婚子育てを文章にし始めたら、古い記憶のロックが外れ他の引き出しの存在にも気づき始めた。

癖になっていたあーだったこーだったという反芻をしない自分でいるために、そして歪んだ思考が創った過去をぶっ壊すために数年「今」に意識を向けることに集中する人生に移行した。


歪んだ思考を創り出したのは私の育った家庭が原因である。
歪んだ思考と歪んだ心とが他者との信頼、自分との信頼を遮った人生。
そんな中で出会った一人の男性に唯一心を許した20代。そして、嘘だと思い込みたかった彼との別れ。あれもこれもと過去を振り返れば色々な想いがあるけれど、その時には他の選択はなかったということ。そして、その過去があるから今がある。
過去の記憶はそのままであれ、今が幸せならそれでいいのである。

強制覚醒34歳


すさまじい威力だった。
人生の進むレールに強制送還という感じだった。
強力なエネルギーが大放出し、驚くほど内側の変容が起こったのだ。
それは、思いもよらぬギフトが私の元へ降り注いだからだ。

大好きだった彼と別れてからまともに異性と向き合えず、心の拠り所交際をするようになった私が、妊娠を切っ掛けに強制的に本物レールに乗ったようだった。


”子供を守るんだ!”と、自分の内側から感じる強さというものだろうか。
お酒が大好きな彼が養育費もお酒に費やしてしまうという直感が降りてきた途端「未婚で出産してひとりで育てる!」と、今世で最大の覚悟を一瞬で決めた。そんな強さが自分にあったのかと自分でもビックリするが、とにかく子供と私を守りたい一心で、お付き合いしていた彼に別れを告げ未婚シングルマザーの道を選んだが、命の重さを考え自分の思い切った決断に怖気づき毎晩泣いていた日々もあったが今は全てが懐かしい思い出。

私は未婚で出産し赤ちゃんを育てます!

34歳にして生まれて初めて魂と心と行動が一致とき。
自分の決意を母に告げた。

「産むなら家の敷居は跨がせません!」


想定内なアクションである。
心配と不安と世間体と、すべて受け入れることが出来ない母へ、ひとり親になることを告げた時、私はもうひとつ固く自分に約束をした。

親を頼る日はない。

そして親の同意ではなく決まったことの報告をしに実家に行っただけだったとを実感した。なにも問題ない。


どうせ誰にも頼るタイプの人間ではないから何も問題はない。孤独感はあったが強い覚悟と気合で乗り越えられる。いつもになく疑いがない私が強く感じた。
とにかく私は出来る!と呪文を唱え、不安をかき消すかのように妊娠中は朝から夜遅くまで働いていた。

本来は夫婦でやることを脳みそ1つ胴体1つでやるのがひとり親だ。

出産後にすぐに働き生活費を稼がないといけないし、買い出しはどうする。保育園はどうする。働き始めるまでの生活費はどうする。このアパートでどうやって子育てしようか。などなど。

兎にも角にも、先立つまとまったお金を働けるうちに稼ぐ妊婦生活。
終電に乗り遅れないよう駅まで走るわ、自転車立ちこぎするわ、マックのポテトと湖池屋ポテチが日々の食事だわの自覚なし妊婦。3回の母親学級は全部不参加。自分の体を妊婦さん扱いするゆとりがなかったのは事実。


出産のとき

出産初心者にとって陣痛は不安なもの。常にハラハラの連続。これが陣痛?いや違うか?痛いのか痛くないのかやっぱり痛い。など不安と戦いながらじっと耐える時間。夫婦で乗り越えることがどんなに心強いだろうと、パートナーがいる人を羨ましいと思ったと同時に、未婚ひとり親がどんなことなのかを理解した時だった。

いやいや、私には夫がいない代わりに素晴らしい友達がいる!

”自分のことは自分でやらなければならない”ルールを頑張って破り、上の階に住む友達に病院まで連れて行ってほしいとお願いした。友達は仕事を早退し病院まで送ってくれた。その後も面会時間終了まで病室で楽しい空間にしてくれた。この優しさが、これからお産に挑む私に勇気をくれたのは言うまでもない。

出産は朝の9時前。夜勤が日勤に切り替わった直後、挨拶に寄った看護師さんの誘導で分娩台へ移動した。0時頃から朝まで慎重に根気強く洞窟を掘る息子。”ショーシャンクの空”のティム・ロビンスを想いだす。息子の根気とは真逆で激しすぎる戦いに白旗を掲げ降参したかったのが私の正直な気持ち。

”母親学級に参加しておくべきだったなぁ”などと思っても時すでに遅し。
痛い・長い・辛いの三拍子揃った我慢大会。どんなことも初体験の日があるが、出産は他の初体験とは比べものにならないほど辛さオンパレードだったような記憶。
肉体も精神も苦しい状態が続く、いつがゴールなのかがわからない不安を抱えての戦いに疲れもピーク。気絶と目覚めを繰り返しての出産は、すぐに諦める私に忍耐力を教えてくれた。


「生まれてきてくれてありがとう」

いやいや、感動より安堵&疲労。
息をしていることや指は何本あるか。長く苦しめてしまったお産でボロボロになっていないかを確認した後は息子を脇に抱き、分娩台の上で気絶するように眠ったのが息子が出てきての初の共同作業。


お子様が数人いる方は記憶も曖昧になることもあると思うが、私の記憶は1つだけ。今でも鮮明に記憶していてる出産時が懐かしい。

目を覚ますと、出産時の立会いがないことを心配した担当医が親族に報告するようにと、分娩台に横たわる私の手に電話の子機を渡してきた。先生って優しいな。グッタリしながらも母ではなく妹に無事出産を報告した。続いて心配してくれていた友達にも連絡。
誰かに「頑張ったね!」と褒めてもらいたかったが、自分で自分と息子の頑張りを褒めた。

私のお産はとても孤独だった。
これから出産する方は立ち合い出産することをおススメしたい。
ところで、「家の敷居は跨がせません!」と言った日から会っていなかった母と出産翌日に病室で再開した。妹が連れてきたのか母から言い出したのか、何事もなかった演技。わかるんだけど、私はそれを受け入れることができなかった。憎いも嬉しいもない。気持ちがない。とっくに切り捨てているような感覚に近いものだった。
親は子供の心の支えになれる存在なんだと、こと体験からの学びが今の私の子育てを助けている。


子育ての始まり


病院では哺乳瓶ミルクやり方や母乳を吸わせる練習やお風呂に入れる練習をして退院だったか、まぁ不安だらけ。黄疸が出てるからと、退院後1週間毎日通院した。股から内臓が飛び出し引きずって歩いているような激しい痛みだったけど、やるっきゃない。無我夢中ってやつだ。たしか、相当辛かったんだった。

赤ちゃん初心者の息子と母初心者の私の生活。一人暮らしから二人暮らしへ。こうしなきゃダメも、こうしたほうがいいも何もない。自由な子育て親育て。おっぱいが張ったら母乳を飲ませ、なんとなく覗いてオムツ交換、息子が寝るときに私も一緒に眠る。上手くできなくて当たり前。そんな緩さが良かったのか、息子は泣くより穏やかな顔をしていた記憶が強く残っている。ニコニコ笑っていた。

ギリギリまで忙しく働きまくっていた私には、お腹も軽くなり仕事もせず息子とゆったりコロコロできるのは至福だった。息子も全然泣かず本当に穏やかな赤ちゃんだったのが幸いだった。
思い返せば、正解を知ろうとしないやり方が育児ノイローゼとは無縁の子育てになっていたのだろうと思う。


保育園

辛かった体が正常に戻り出産時の痛みを忘れていく替わりに、日に日に深まる息子への愛。わからないながらもお母さんを始め幸せを感じていたが、私は働かなくてはならない。現実に意識を向ける父親のような母親。もしパートナーがいたら分散できるだろうにと他者と比べたりもした。泣く泣く近所の民間保育園に息子を預け働き始めたのは息子生後3か月に入ったとき。朝、先生に預けるときに罪悪感で胸が張り裂そうな想いをする日が多かった。幸い保育園の幼児担当の先生方は愛の塊&ベテランさん。息子にたくさんの愛をくれた人たちだ。保育園での出来事をまるで私もその場に居たと錯覚するかのように見たこと感じたことを一部始終報告してくれたことで時差はあるものの息子の成長を一緒に見させてもらっているようだった。

出産した後って臓器が元の場所にいないのか、重い生理痛のような症状が続いたが、幸い仕事を始めるころは正常に戻っていた。しかし、息子が心配なのと母乳を飲ませてあげる時間とが睡眠不足となり、体力の低下での8時間勤務は本気で辛かった。休憩時間は食事よりも仮眠。息子を思い出すたびに”キュイ~ン”と発動する母乳スイッチが入るとトイレに駆け込み搾乳機タイム。息子に会うことだけを考えながらの8時間労働。肉体も辛いが、何より息子と一緒に過ごすことが出来ず辛かった。保育園は育児のプロだから、私が見るよりもいいだろうと自分に言い聞かせていたあの頃。
あの頃の私と息子を両手で包み「ありがとう」と伝えたい。



まとめ

夫がいるシチュエーションは体験していないけど、夫は妻の背中をさすり、陣痛が始まれば尾てい骨当たりを叩き、苦しんでいたら手を握ってあげて欲しい。あとお水はいっぱい持参すること!

もしひとり親で出産を選んだ場合は、それができるから故にその現実が目の前に現れたのだ。不安も多く大変なことだらけだけど頑張って乗り越えてほしい。
私にできたのだから誰にでもできる!

ちなみに、毒親持ちの私にとって結婚は墓場。結婚はしたくないけど子供が欲しいとオーダーをしたら、本当にそれが現実化したのだ。
既に決まっていたからそう思ったのか、どちらが先かはわからないが、自然にレールに乗るとすすすーっと良い方向へ動き出すものだ。


息子と出会うために付き合った彼ありがとう。
息子よ、私を選んでくれてありがとう。


読んでいただきありがとうございました。

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