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想像しなかった明るい未来


noteマイナビさんのキャンペーンを知り

私の#想像してなかった未来 は何か考えてみる

それは、今が人生で1番自由ってことだ。


学生でいたい、ずっと子供でいたい、楽したいと思ってた私は

今を、
今まで生きてきた中で1番楽しいと思う。

私の過去のnoteにも書いていたように

私の両親は2年以上前に離婚している。

私は現在25歳。

なので父と母は熟年離婚だ。


私の記憶のある限り、うちは低所得世帯らしく

修学旅行費や宿泊学習費かな?

低所得、ということで
小学生の時に費用が返された記憶もある。


なにかと“非課税”にうるさく、ケチくさい母は

私がバイトしすぎることや

トイレットペーパーの使い方。

排尿は一回で水を流してはいけない。

ペットボトルと缶、ビン、燃えないごみは
処分代がかかるので家で捨ててはいけない。

朝昼はガス代が高いからお湯を使っちゃいけない。でも長男である弟は使っても良し。

などなど。家の中ではたくさんの“決まり”があった。

昔からお金にケチケチした母を見てか、

私もお金にケチくさい性格だ。

だから、家の決まりへの違和感なく、
22歳まで過ごしていた。


23歳で付き合った彼氏は、どちらかというと
沖縄では裕福な家庭で育ったらしい。


私の家庭のケチくさい話はできず、
私が両親と不仲なことはよく話していた。

私は高校生の頃からお風呂と睡眠以外で家に帰らないことも話した。
そして一緒に居てくれた。


付き合って2ヶ月で彼氏は言った。

「俺と一緒に住むって選択肢はないの?」


は??


今思い返すと、
なんで今まで出てこなかったのかが不思議な考え


そうだよね、こんなに家に帰るの苦しいなら
出ればいいじゃん。

それを邪魔してたのが、多分、母からの呪縛。




元々私と馬が合わない母。

私は小学生の頃から門限もなく、
夜中だろうが次の日だろうが心配されたこともない。

勉強もできたし、進学校も塾無しで受かったし、
見た目は身長も高く色黒で健康で、
ザ・強い女。

かたや妹は18時を過ぎれば
毎分ごとに母から電話が来るほど
心配されていた。

私は妹が羨ましかった。

私は心配してもらえないのに。

服や下着代も携帯代も通学費も。
私は16の時から自分で払った。


妹と弟の分は18になっても母が払っていた。


片道、歩きで1時間半の通学路を、

母の機嫌によって車で送ってもらえるか
歩いて自分で行くかわからなかった中学時代の私。

妹と弟は学生時代、
毎日送り迎えして貰っていた。


こんな扱いをされていようが
私は母に愛されたかったのだろう。
母のことが大好きだったんだろう。

社会人になって正社員の給料を貰っても
家を出ようという思考にならなかった。


現実主義で不安症なので
一人暮らしするほど給料が無かったのもあるが。


本当に家が嫌だったら節約して出るだろう。


そうしなかったのは、私の母への未練。


断ち切れたのは今の彼の一言と存在のおかげ。
一緒に住んでみても続きそう、と思ったから。


離れて思ったのは、
母のいない空間は自由だということ。

彼氏と同棲ではあるので全てが自由じゃないのかもしれないが、

私にとっては100%の自由。

もうトイレは毎回流していいんだ!
家でペットボトルや缶を捨ててもいいんだ!
冷蔵庫に自分のものを入れてもいいんだ!
テレビも好きなチャンネル見ていいんだ!
朝風呂だってできちゃう!
仕事の合間にバイトもできる!


こんな感じで毎日が楽しかった。


以前の私もそれなりに楽しく生きていたが、

今はもっと、世界が広がった気がした。

無理にでも出てみないとわからない新しい未来。

それは自分だけじゃ難しい。

チャンスが来たら絶対波に乗った方がいい。

そうしたら、また新しい未来が近寄ってきた。


父と話せるようになったのだ。


小3のころから口を聞かなくなった父。


母と父が離婚し、私が家を出るとき

アパート契約のための連帯保証人を恐る恐る頼んだ。

父に頼んだのは、母には家を知られたく無かったから。

快く引き受けてくれて、それがきっかけとなり、
今では家にお邪魔する仲へ。


肝心の母とも、なにも音沙汰なく、
お互いに脅かされない生活を送ることができている。




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