見出し画像

貴方解剖純愛歌~死ね~#15【インスパイア小説】

意識を失った陽葵は救急車で病院へ運ばれた。完全に頭が真っ白になっていた僕は、救急隊員に聞かれたこともよく覚えておらず、気づけば陽葵のリュックを抱え、病室の前のソファに座りうなだれていた。

どれくらい時間が経っただろう。周りに窓がなかったせいで、昼か夜なのかもわからなかった。

頭は混乱し続けているが、これだけはわかる。きっと僕のせいだ。無理にジェットコースターに誘ったせいで陽葵は倒れてしまった。それが貧血なのか、最初から体調が良くなかったのか。もしくは、もっと以前から何かの病気を患っていたのか……。

とても苦しそうにしていた陽葵の姿が頭から離れず、ずっと握りしめていた拳の感覚はなくなっていた。

しばらくすると、速足で病室に向かって来る女性が現れた。僕の前で立ち止まると女性は少し息を切らしながら言った。
「すみません、私山井陽葵の母です。あなたが救急車を呼んでくれた方ですか?」

僕は素早く起ちあがった。目じりに皺が寄った物腰が柔らかそうな方だった。
「はい。陽葵さんと同じ大学に通ってる草野と申します。初めまして」
「それで陽葵は?」
「今は落ち着いて、まだ眠ってるみたいです」
その言葉を聞いて、陽葵のお母さんは少しだけホッとしたような表情になった。

「そう……。もしかして、あなたが蒼くん?」
「はい、そうです」
「陽葵から最近よく聞くお名前で、仲良くさせてもらってるみたいだったから」

僕はずっと考えていたことを聞いてみた。
「あの、陽葵さんはどこか悪いんですか?」
お母さんは一度逡巡する素振りを見せると、一呼吸おいて話し始めた。

「そうですよね、突然のことでビックリしてるわよね。陽葵にあとで怒られるかもしれないけど、仲良くさせてもらってる方なら説明するべきね。あの子がまだ小さい頃に心臓の病気に罹ってね」

心臓の病気。言われたばではその言葉が陽葵とうまく結びつかなかった。
「それは、重い病気なんですか?」
「ええ……。100万に数人の割合で発症する稀な病気で。二十歳を迎える前に病気が悪化して亡くなってしまう人も少なくないみたい。薬なんかでは根本的な治癒は無理でね。海外で手術する選択肢もあって。夫も私ももちろん手術することを望んだけど、肝心の本人がなかなか手術することをためらっててね」

「どうしてためらってるんですか?」
「主治医の先生からは成功する確率は七〇パーセントと言われてて、それも医療は日々進化してるから今ではもっと精度は上がってるだろうと言われてるの。でもあの子はもし失敗したら?ってどうしても考えてしまうんだと思う。この病気になる可能性は一パーセント以下なんだから、そう考えてしまうのも当たり前だと思う。それに手術を受けない理由はたぶん他にもあって、私たち親に気を遣ってるんだと思う。海外で受ける手術だけあってそれなりの費用がかかるから。もちろん自分たちで用意できない額ではない。でもうちは特に裕福というわけではないから、大丈夫と何度説得してもあの子は聞き入れてくれなくて。私たちには言わないけど、アルバイトをし始めたのもそういう理由があるんだと思う」

初めて陽葵を見た新宿の繁華街の景色が蘇った。そして、キャンプで話してくれた死者の日の祝祭のことを。陽葵がそんな状況にずっと置かれていたなんて、全然想像もしなかった。

さっきまであんなにはしゃいでいたのに。一緒に目一杯笑い合っていたのに。あの笑顔の裏で陽葵はこんなにも辛く苦しい現実を抱えていたなんて。いや、たった今知った僕なんかじゃ想像も出来ない程、深い深い苦しみだったと思う。

なぜ僕は気づいてあげられなかったのだろう。なぜ遊園地に誘ってしまったのだろう。何でジェットコースターに乗ろうなどと提案してしまったのだろうか。自責の念が次から次に溢れてくる。

「病気が発覚してからのあの子は変わっていった。元々は天真爛漫で、興味を持ったら何でも手を着けたがるタイプだったんだけどね。他の子と一緒に出来ない事や我慢しなきゃいけないことが増えて行って、それがとても見ていて辛かった。いつしか笑ってもどこか表面的になっていって、色んな事に無関心になっていった。辛い現実から逃げたくて、自分の心に蓋をしてしまったのだと思う。半ば生きることを諦めるように。それでも、あの子は私たち夫婦にはほとんど泣き言を言わなかった。それが逆に私たちには辛く応えた部分もあるんだけど……」
お母さんの目には涙が滲んでいた。

「でもね、ここ最近は以前よりもだいぶ明るくなってたの。食事中に大学での出来事なんかも話すようになって。生きることに前向きになってきたんじゃないかって嬉しかった。きっとあなたに出会ってあの子の中で何かが変わったんだと思う。さっき病院の方からいきさつは聞いたけど、以前のあの子だったら遊園地なんて、ましてやジェットコースターに乗るなんて考えられなかったもの。だからもし責任を感じているなら、自分を責めるのはやめてね。むしろあなたにはお礼を言いたい。ありがとう、陽葵と仲良くしてくれて」

「……いえ、そんな」
お母さんの言葉に胸が詰まり、なかなか言葉が出てこなかった。涙が溢れそうになるのを必死に堪える。

「それに、最近あの子が料理教えてなんて言ってきてね。今日も朝早く起きてお弁当作ってたから驚いた」
「え?」
僕の様子を見てお母さんが答える。
「もしかしてまだ?」

僕はソファに置かれた陽葵のリュックに目を向ける。
「はい。知らなかったです」
「そっか。あの子一生懸命作ってたから、よかったら後で食べてあげて」
そう言ってお母さんは陽葵のリュックを開けて、中からお弁当箱を取り出し僕に手渡した。

「あの、今までこうして倒れたり体調崩すことはなかったんですか?」
「いつもは薬で抑えられていたし、生活も気を付けていたと思うから大きな事故とかはなかったかな。でも成長するにつれて体が心臓の負荷に耐えられなくなってきているのは確か。あの子は私たちには言わないけど、段々と調子は悪くなってきてて、薬で抑えられるのも時間の問題かもしれないと先生からも言われてて」

あまりの現実にまったく気持ちが追い付いていけず、僕は崩れ落ちそうになる体を必死に抑えているのがやっとだった。

病室に入りお母さんと共に眠っている陽葵を、黙ってしばらく見守っていた。やがて仕事を早退してきたお父さんが病室に駆けつけると、挨拶もそこそこに再度先生と話をしてくるということで、二人は軽く僕に頭を下げ部屋を後にした。

僕は病室に残り、ベッドの脇の椅子に腰かけ、陽葵が目を覚ますのをじっと待った。窓の外は赤く染まり始め、間もなく夕暮れ時を迎えた。

 
陽がすっかり沈んだ頃、陽葵の目がそっと開いた。まだ空ろな瞳がこちらを向き僕に気づく。

「あれ……あー、私倒れて……病院に運ばれたのか」
「気分はどう?」
「うん、大丈夫。お母さんとお父さんは?」
「さっきまで一緒にいたけど、先生のところに話をしにいってる」

それを聞いた陽葵は天井を見つめ、少し間をおいて言った。
「そっか。はは、じゃあもうバレちゃったよね病気のこと」
「……うん。聞いた」

「驚いたでしょ?遊園地でデートしてた子が実は心臓病だったなんて。というか引いたでしょ」
「引くわけないだろ」
つい語気が強くなってしまい陽葵から目を逸らした。

「ごめんね、練習の途中で。でももう私の手ほどきなんて必要ないよ。美青とは上手くいってるんでしょ」
「今は俺のことはどうでもいいよ。それより何で病気のこと黙ってたんだよ?」

「……悪いけどさ、しばらく詳しい検査やらなんやらで入院しなきゃいけなくなると思うけど、病気の事みんなには黙っておいて。春香も詳しいことは知らないし、変に気を遣われるの嫌だから」

「そりゃ、言いふらしたりはしないよ。でも……」
「じゃあ私もう少し寝るからもう帰っていいよ。付き添ってくれてありがとう。もうここにも来なくていいから」
そう言って僕に背を向けて陽葵は横を向いた。僕はその場から離れず陽葵の背中に向けて話しかけた。

「手術のことも聞いた」
陽葵は横を向いたままじっとしている。

「手術受けないの?」
間をおいてくぐもった声で返事がくる。
「手術はしない」

「どうして?このまま何もしなかったらどんどん悪くなるんでしょ?成功する可能性の方が高いなら怖くてもその可能性に掛けてみるべきじゃないの?」

「……簡単に言わないで」
僕は椅子から立ち上がり陽葵に近づいた。
「ご両親もそれを望んでるんでしょ?」

「蒼には関係ないことだから。ほっといてよ」
「ほっとけないよ。友達なんだから」
背を向けていた陽葵がベッドから上体を起こしこちらに真っすぐ顔を向ける。

「何それ。言っとくけど、あんたなんて暇つぶしで一緒にいただけだから。たまたま同じ講義で会って、お人好しそうだったから利用したの。お金になりそうだから好きな子の為に協力するっていう名目で付き合ってあげてただけ。私は別にあんたのことなんてどうとも思ってないから。それにどうせ心の中では私の事憐れんでるんでしょ?自分と同じ歳で若いのに可哀そうだって。今までだってそう。でも私のことなんてしばらく会わなければみんなすぐ忘れるの。それで何年後かの同窓会で誰かが言うの。昔心臓の病気の子いたよね。あの子どうなったんだろね、まだ生きてるのかな?ぐらいのノリで話のネタにされるのがオチじゃん」

陽葵は考えるより先に反射的に出てくる悪態を、一続きに僕に浴びせた。これ以上自分の近くに人を寄せ付けまいとするように。

「それに大学にいる周りの人たちなんて、大半が親の金でのらりくらり何も考えずに、毎日能天気に生活してるだけでしょ。そういう人たちに心配されたってウザいだけなの。私より死んだほうがいい人なんてたくさん世の中にいるじゃん。どうして私がこんな目にあわなきゃいけないの?どうして自由に生きられないの?心配するんだったら助けてよ。このどうしようもない不自由な体交換してよ。ゴミくずみたいな人生から救って見せてよ。出来ないならもうどっかいって!」

陽葵が投げ捨てた枕は、僕の足に当たり床に落ちた。僕は黙ったまま枕を拾いベッドの脇に置くと、そのまま彼女の顔を見ずに部屋を出た。部屋の外には陽葵のご両親が悲痛な面持ちで立っていた。

「ごめんなさい。違うのよあの子……」
「はい、わかってます」
お母さんの言葉を最後まで聞かず、会釈をしその場をあとにした。

病院を出てどうやって家まで帰ったのかもよくわからないまま、気づけば自分の部屋の中に立っていた。右手にお弁当が入った手提げ袋を持っていた。弁当箱を開けると中身が少し偏っている。卵焼きに箸をつける。冷たくなった卵焼きはほんのり甘かった。僕は目から零れる涙を拭うこともせず、ただただ無心で陽葵の作ってくれたお弁当を食べた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?