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貴方解剖純愛歌~死ね~#2【インスパイア小説】

もう梅雨かと思うほど、朝からジメっと淀んだ空気に嫌気が差す。そんな日に限って、一限から必修の授業があり、会社員の通勤ラッシュと被る満員電車に乗らなければいけない。僕は二重で気分を落とした。

ごった返した駅のホームの行列に並ぶ。電車が到着し扉が開くと、テトリスのように、車内に隙間なく詰め込まれていく人たち。各駅に停止しては列が消え新たに補充されていく。終わることなくひたすら毎日繰り返されていくゲーム。

ブロックの役目を終え、改札を出て外濠通りを歩く。眼下を走る線路をけたたましく列車が通り過ぎる。横を流れる川は、以前健康の為に母が飲んでいた青汁みたいな色のをしている。地面には開花が遅れた桜の花びらが、散ったまままだ一部残っていた。

校舎は外から見るとオフィスビルのようにも見える。今から予行練習で慣れておけと言われているかのようだ。毎朝こんな気分で出社するようになるのだろうか。

今日の講義は必修になっている生徒も多いが、人気の教授が教鞭をふるっているので、1限にしては教室の席は埋まっている。僕は教室の後方の席で重たくなる瞼に必死に抗いながら、黒板に書かれた文字を無心でノートに書き写した。

しばらくすると一つ空けた僕の横の席に女性が腰を下ろした。僕との間の席にリュックをドサッと置く。女性がつけているものだろう。甘い香水の香りが漂う。

顔を少し女性の方に傾けると、視界の端にスカートからスラっとした脚が覗いているのが見えた。僕は反射的に視線を前に戻した。授業に集中しようと再びノートにメモを取りだす。

隣の女性の方から微かに声が聞こえる。どうやらイヤフォンから音が漏れてるみたいだ。曲名は忘れたが、90年代のJ-popだった。それにしても講義中に音楽を聴いたまま受けるというのは、出席数確保のためというのがバレバレだ。まあ自分も言えた立場ではないが。

僕はイヤフォンからの音漏れが気になり、さり気なく女性の方へ顔を向けた。僕の視線に気づいたのかキュッと彼女が睨みつけて来た。いや、単に目つきが悪く見えただけで、こちらを見返してきただけなのかもしれない。ただ怪訝そうだったのは確かだ。

僕はすぐに目を逸らした。だけど何か違和感を感じ、再度横を盗み見た。その時僕は思い出し「あっ」と声を漏らした。僕に気づき、イヤフォンを外し再びこちらを見返す彼女。


「え?何ですか?」
ひどく迷惑そうというか、不信感を露にした表情でこちらを見ている。咄嗟に返す言葉が見つからず、変な間が空いて余計に気まずくなっていく。

このまま黙っていても埒が明かないので、周りに聞こえないようボリュームを抑えて恐る恐る僕は答えた。
「いや、この前新宿で歳の離れた男性と一緒にホテ…いや歓楽街を歩いてた女性に似てたなーなんて」

先ほどよりも一層鋭く睨まれ(たように感じ)たのでたまらず言葉を繋げる。
「ごめんなさい。きっと人違いだと思います。いきなりなんか失礼なこと言ってすみません」
テンパる僕を見て明らかに引いてる様子の彼女は、再びイヤフォンを着けようとして、途中でその動きを止めた。


「あっ。あーはいはい、この前のあのキモイおっさんのことか」
その場面を思い出したのかしかめっ面になる彼女。


「え、私の事見てたんですかあなた?」
「見てたと言うか…たまたま目撃したというか…。ほんと偶然前を通り過ぎられてて……」


首を傾げながらなんとも歯切れ悪く返事をする。
「はあ。平大生に見られてたんだ。最悪」
そう言った彼女は言葉の割に、表情は淡々ととしてるように見える。


「あ、でも彼氏とケンカなんて付き合ってたらよくあることですしね」
と女性と付き合ったこともないのに嘯いてみる。すると何か地雷を踏んだのか、再び鋭い視線を僕に向け、彼女は言う。


「はい?あんなキッモイおっさんとつき合ってるわけないでしょ。ただのレンカノ」
彼女はキッモイおっさんを特に強調して吐き捨てるように言った。


「れんかの?」
僕が問いかけの表情をすると、面倒くさそうに彼女は答える。
「レンタル彼女。え、知らない?」
「あんまりそういうのは。でもたしか、パパ活みたいな感じのやつですよね?」
竜馬の言葉をそのまま借りる。


「はぁ?あんな売春みたいなやつと一緒にしないでよ?こっちはちゃんと会社に登録して仕事でやってますから」
彼女は心底迷惑そうに答え、前を向き黒板の内容をノートに書き写し始めた。


よくわからないが僕からすると、レンタル彼女というものも十分いかがわしいように聞こえた。もちろんそんなことは口には出せないが。なぜだかわからないが、女性と話すのが得意ではないはずの僕が、怒ってるかもしれない彼女へ続けて質問をした。


「でも彼女をレンタルするってことは、知らない男の人とデートとかするってことですか?」
彼女は手を止めずにぶっきらぼうに答える。
「そうですけど。何か?」


「あーいや……この前みたいなだいぶ歳の離れた人の相手もするんだなと思って」
「お金支払える人なら相手なんて誰でもいいでしょ。別にご飯食べながら、適当に楽しそうにしてればいいだけだし」
同じ大学生なのに、ずいぶんと自分より先を生きてる大人を見ている感覚になった。


「それは稼ぐためにしてるってことですか?」
溜息をつきながら彼女はボールペンを机の上に置いた。
「……別になんだっていいでしょ。あなたには関係ないことだし」
「……はい、そうですね」


気弱に返事をすると、気まずさを紛らわすように授業に集中するフリをした。確かに僕には何も関係がない。なぜ重ねて質問などしたのだろう。しばらくお互い無言のまま、前を向いて授業を聞いていた。

すると彼女がこちら向いて口を開いた。
「あなたもしかして使いたいんですか、レンカノ?」
 予期せぬ質問に僕はとまどった。
「え?」
「だって興味ありそうに色々聞いて来るから。私に相手して欲しいのかなって」


僕には全く興味なさそうな視線を向けて彼女は言った。
「いえ、全然間に合ってます」
「私じゃ不満って意味?」
「全然そういうんじゃなくて」
「彼女いる?」
僕の答えを無視するように言い終える前に質問がくる。


「あ、いやそんなのは全然」
なんかさっきから全然しか言ってない気が。
「ですよね。全然冴えないしそういうの無縁そう。もしかして童貞?」
「ちょっと」
僕は小声になりながら誰かに聞かれてないか、周りをキョロキョロと伺う。

僕が不快にさせた腹いせか。いきなり土足で人の秘部に上がり込んでくる真似をして。なんなんだこの人は。
「あなたに関係ないでしょ」
「あれ、ムキになってるってことは図星?好きな子もいないの?」


「それは……」
思わず前方の方に視線が泳いでしまったのが失敗だった。
「マジ?もしかしてこの中にいるの?」
先程まで全く興味なさそうなつまらなそうな顔をしていたくせに、急に喜々とし始め辺りを見渡す彼女。


「あ、違くて。そういうわけじゃ……」
「誰が好きなの?教えてよ!」
「ちょ、ま、声が大きいって!」
急にボリュームを上げた彼女の声に反応して、周りの学生の視線を浴びる。

思わず前方に座る”あの人”のほうに視線を走らせると、こちらを振り向いた彼女と一瞬目が合った。その瞬間、顔中の血液がバーナーで炙られ沸騰したかのように熱くなった。


「へー、あの子か。美人だね」
望遠鏡を覗き込むような仕草で彼女が言う。
「別にそういうんじゃないんで。彼女はただの高校からの同級生なんで」
焦って泣きそうな顔で懇願する僕をよそに彼女は意気揚々と続ける。


「じゃあずっと片思い?男なのに情っさけなあ」
今会ったばかりの彼女になぜそこまで言われなければいけないのか。でも確かにその通りなので言い返せなかった。彼女は何か思いついたように提案する。


「よし、わかった。私が彼女になってあげるよ」
「はい?彼女?」
急に何を言い出すんだこの人は。


「そ。そのままだといつまで経ってもどうにもこうにもならなそうだから、私がレンカノとして鍛えてあげる」
なんだ、そういうことか。いやどういうこと?


「いや別に頼んでないです」
僕の言葉を無視して彼女は続ける。
「その代わり、私がレンカノしてることは周りには秘密にすること。バラしたら彼女との仲引き裂くから。いい?」
サラっと恐ろしいことを言う。引き裂くも何も彼女とは何も始まってないのだが。


「え……いや勝手に決めな……」
「名前は?」
「え?あ、森川美青」
「違う。あなたの名前」
「俺は……草野蒼」
「何年生?」
「3年」
「一緒だ。てかうわー、名前まで草食系なんだ」


もう言いたい放題だ。自分の発言に特に気にする様子もなく彼女は続ける。
「彼女はみおちゃんね」
そして余計な情報まで言ってしまったようだ。もう逃げられそうにない。


「あ、私は山井陽葵。陽葵でいいよ。じゃあこれからよろしくね蒼」
訳の分からない展開に、思考がついていかない。
「いや、よろしくと言われても……」


いつの間にか授業が終わったようで、ゾロゾロと生徒たちが席を立って教室を出ていく。彼女もリュックを肩に下げ、教室の出口へと向かい歩き出す。しかし途中で立ち止まると、こちらに向き直り言った。
「もちろんレンカノ料は通常通りにお支払い頂きますので。悪しからず」
「はぁ!?」


こうして彩のなかった僕のキャンパスライフに新たな色が加わり、急速に景色が変わり始めていった。

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