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貴方解剖純愛歌~死ね~#6【インスパイア小説】

一旦竜馬たちと別れ、僕は一人落ち着かない気持ちで講義を受けていた。なんとか断る理由を探し出そうとしたが、一向にいい案は出て来ず、無情に時間は過ぎていった。

仕方なく教室を出ると【Buzz】に向かって歩き始めた。実際のところネガティブな気持ちだけじゃなく、これから森川さんと同じ時間を過ごせるということに、高揚してる部分ももちろんあった。だけど、うまく話せる自信なんて一ミリもなければ、いつも通りの自分でいられる気も全くしない。そもそも高校の時から一度もまともに話せた試しなんてないのに……。

高校に入学した頃から、上学年でも話題になるほど森川さんは人気だった。1年生の時から生徒会に選ばれ、美人な上、明るく飾らない性格で、男女問わず彼女の周りにはいつも人の輪が出来ていた。そんな彼女に不釣り合いとわかっていながらも、密かに淡い想いを抱いていた。

それは恐らく僕だけではなかったと思う。現に何組の誰々が森川さんに告白した、という話は在学中何度も耳にした。近隣の高校生からも告白を受けたと噂で聞いた。僕は遠巻きから彼女を見つめるその他大勢の一人だった。

それは3年で同じクラスになっても変わりなく、会話をしたのも数えるほどだった。でも一度だけ、森川さんから話しかけられたことがあった。あれは文化祭の準備で、僕が床に座ってカッターで段ボールを切っていた時だった。


「草野くん今大丈夫?」
顔を上げると、膝に手を当て屈みこみながら僕を見下ろす森川さんがすぐ側にいた。思わず固まってしまったが、森川さんは続けた。
「草野くんて写真得意だって聞いたんだけど」
誰から聞いたのか、僕の唯一の趣味を森川さんが知っていることに驚いた。
「得意……というか、ただ好きなだけだけど……」
目を合わせられなくて、下を向いてぼそぼそと答えた。

「あのね、生徒会の広報誌に毎年文化祭の写真を載せるんだけど、広報担当の人がこの間の体育祭で、脚立に乗って写真撮ってる時に、誤って落ちて手怪我しちゃって。その時一緒にカメラも壊しちゃったみたいなんだよね。だからもし草野くんがよければ、文化祭の写真を撮るの手伝ってほしいんだけど、どうかな?」

顔の前で手を合わせ、お願いする森川さんの勢いに押され、というか可愛さに見惚れ、思わずわかった、と返事をしていた。
「ほんとに?ありがとう、助かる」
そう言って嬉しそうに微笑んだ森川さんの顔が、冗談ではなくこれまで見てきたものの中で、一番美しかった。あの瞬間、淡い想いは確かな熱を持って、僕の体の中を駆け巡りはじめた。

だが、その後もこれといったアクションを起こせず、関係は縮まらないまま高校を卒業した。同じ大学に進学することが分かったときは胸の高鳴りが抑えられず、その夜は枕を思い切り抱きしめて眠った。大学生になったら今度こそ積極的にアプローチするぞと心に誓った。はずだった。

入学したての頃、同高という共通言語でお互いの心細さを埋め合う為に何度か会話を交わしていた。ただそれも、大学生活に慣れてきてからは自然と顔を合わせる頻度も減っていった。きっと今では、同じ高校だった顔馴染みというだけで、僕の名前さえ忘れ去られてしまってるのではなかろうか。

それにしても竜馬のやつは、いつの間に森川さんと仲良くなっていたのか。確かに大学でも、森川さんがいる輪の中に交じって、二人が話している姿を何度か見たこともあるが、チキンな自分はその輪の中に入っていけるわけもなく、毎回気づかないフリをしてその場を去っていた。森川さんとまともに対面するのはいつぶりだろうか。そんなことを逡巡しながら歩いていたら、いつの間にか店の前に着いていた。

店内から人の声が微かに漏れてくる。もうみんな集まっているだろうか。扉を開ける勇気が出せず、しばらく店先で固まっていると、急に後ろから話しかけられた。思わずビクンと体がのけぞる。

「店の前でボーっと突っ立って何やってんの?」
春香と連れ立って歩いて来た陽葵が、不審者でも見るかのように怪訝そうな表情で言った。
「カラオケで歌いすぎて喉カラっからだから早く入ろうよ」
僕は気持ちの整理がつかぬまま店内に押し込まれた。

夜はバーにもなる店内は、既に顔を赤らめて楽しそうに盛り上がるお客さんもいて賑わっていた。バーカウンターでお客さんと話していたマスターがこちらに気づいた。
「よう、いらっしゃい。お、蒼が女の子連れてくるなんて初めてだな。しかも両手に花。童貞かと思ってたら、いつの間にかヤリちんになってるとはな」

クルクルのテンパ―に無精ひげのマスターがニヤける。ここで働く人間は、どいつもこいつも開口一番余計なことしか言わない。
「違うって。大学の同級生。3人じゃなくて新たちと一緒だし」
僕は努めて冷静に切り返した。

「わかってるよ、んなこたあ。相変わらずそういとこ真面目くさってんだよな蒼は。一緒にいてもつまんないでしょこいつ」
と言ってマスターが後ろの二人に話を振った。
「はい、付き合い短いけどそうですね」
陽葵がしたり顔で言った。
「ほら、言われちゃってるぞ蒼」
「自分でも面白いなんて思ってないんで」
まったく面白い返しも出来ず、ぶっきらぼうな態度を取った。そんな僕にはお構いなしで陽葵が更に余計なことを言う。

「あとおじさん、彼の本命は私たちじゃなくて、あっちにいる子なんで」
陽葵が店の奥を指差す。そちらを向くと、新が立ち上がりこちらに手を振って合図していた。心拍数が上がっていく。新の隣には竜馬、そして向かいの席には森川さんが座っている。陽葵と春香ちゃんがテーブルに向っていく。僕は手の震えがバレないよう、ジーンズのポケットに入れた。

「おい蒼、あの子もめちゃくちゃ美人じゃねぇか。大穴狙いかよ。それと俺はおじさんじゃなくてマスターな」
マスターの言葉は僕にはもちろん、前を行く二人にも届かなかった。

「おー意外に遅かったじゃん。先に飲み始めてたわ。蒼ならダッシュで来るかと思ってたけど」
目だけで竜馬を牽制して席に着く。
「コピー機が混んでたから少し遅くなった」
「草野くん久しぶり」
対角線上にいる森川さんが笑顔で話しかけてくれた。久しぶりに聞くその声が、僕の胸の真ん中をノックする。必死に自然を取り繕って返事をした。

「久しぶり」
一言挨拶を交わしただけで、この場にいれたことに心から感謝した。先程まであんなに後ずさりしていた気持ちは跡形もなく消えていた。
前を向くと、僕の正面に座った陽葵がにやけながら、頑張れ、と口の動きだけで伝えてきた。この子は特等席で他人の恋愛を楽しんでるようだ。

一度カウンターに戻った新が人数分の飲み物を持ってきた。竜馬が音頭をとる。
「ではでは勢ぞろいしたところで、改めて新しい出会いに乾杯!」
「カンパーイ!」
シンクロする皆の声と、グラスの合わさる音が店内に響く。喉が渇いていたので、ビールを半分程一気に飲む。緊張を紛らわす為に、普段あまり飲まないお酒を飲んだので、胃袋がカッと熱くなる。

「ところで乾杯はいいけどさ、今日勉強会だよね?見た感じノートも教材も見当たらないけど?」
僕の言葉に竜馬が溜息をつきながら、ジョッキをテーブルに置いた。
「かー、お前はほんとクソ真面目というか、いきなりシラケること言うよなあ。もっとさ大学生らしくキャンパスライフを謳歌しろよ」

「いや、竜馬が勉強会って言って誘っただろ。それに学生の本文は勉学でしょうが」
「なわけないだろ。こうやって男女入り乱れるグループ交際こそ、大学生の醍醐味でしょうが、蒼くん。『オレンジデイズ』見てないのかい君は」
「知ってるけど古いだろそれ」
「ばーか、名作ってのはな何年経っても色褪せないものだろ」

僕と竜馬のやり取りに新も加わる。
「その通り。不朽の名作というのは時代が変わっても、変わらずそこにあり続けてくれるわけよ。アルマゲドンやトランスフォーマー、ザ・ロックだってそうだろ?」
マイケル・ベイばかりなんだが。ここで働くようになってからマスターに感化されて、すっかり新も映画オタクになっている。そこにマスターが料理を持ってきた。

「お嬢さんたち、イタリアで修得した本格ピッツァだよ。どうぞ召し上がれ。そうそう、イタリアと言えばゴッドファーザーで有名な……」
「おじさん、ありがとう。カウンターのお客さん呼んでるよ」
新がマスターの言葉を遮る。
「お、おう……ごゆっくり。あと、おじさんじゃなくてマスターな」

こうやって会話をしながらも、僕は視界の端に映る森川さんのことが気になって仕方なかった。食べ物の味も薄いのか濃いのかよくわからない。森川さんは料理を取り分けたり、話を聞きながらよく笑ったり、たまに口元をナプキンで拭ったりしている。こんなに近くで森川さんの一挙手一投足を見ることはなかったので、ついつい目で追ってしまっていた。時折、森川さんと目が合いそうになると、僕は慌ててグラスを手に取り誤魔化した。

結局僕らはその後試験勉強のしの字も出ず、きっと明日にはうろ覚えになっているだろう、くだらない話で盛り上がっては、たらふく食べてたらふく飲んだ。

「さっきの名作の話じゃないけど私もわかるな。それの影響なのか、子供の頃大学生に憧れみたいなの持ってたし」
少し頬を赤らめた春香ちゃんが潤んだ目で、手に持ったグラスを見つめて言った。

「でもさ、実際大学生活を送ってみると、何か思ってたのとは違ったよな」
竜馬が冷めきったポテトをつまみながら話す。それに春香ちゃんが答える。
「確かにね。当たり前かもしれないけど、ドラマの世界みたいにもっとこう、ザ青春してるな毎日って感じじゃないよね。なんとなく大学来て単位の為に講義受けて、お金ないからバイトでせっせと稼いでさ。カレンダーの空白に怯えるように、友達との予定入れて。時々思うんだよね。あ、私今埋もれていってるのかなって。この先気づいたら就職して、毎日が砂のように流れていって。気づいたら身動きできないくらい埋もれていって。その先には何があるのかなーなんて考えたり。砂時計みたいに逆さにすることもできないし、ゲームみたいに戻ってコンテニューすることもできない。そう思うと人生って割とハードモードかもなって。あ、ごめんなんか私ばっかり、盛り上がらない話して」

「わかるよ。俺地元が都会でも田舎でもない、いわゆるハイソな郊外だったんだけどさ。仲のいい友達もそれなりにいて、不自由なく生活はできてた。でもその中で暮らしてると、たまになんだか窮屈な箱に詰め込まれたみたいに息苦しくなって。母親は主婦。父親は聞く人が聞けば知ってるような会社に勤める平凡なサラリーマンで、趣味もなく休みの日は家で酒ばっか飲んでるような人でさ。別に悪くないよ。けどなんかずっと頭の中にもやがかかってて、大学に行けば何かが変わる、もっと自由になれる。そういう漠然とした期待があったんだけど、いざ蓋開けてみたら、また違う箱にいてもやがかったままなんだよね」

春香ちゃんと竜馬の話を聞き、皆思い思いの表情を浮かべて黙った。そんな空気を察してか、竜馬が口を開いた。

「そんな俺らに比べると美青ちゃんはすごいよな」
竜馬に急に名前を呼ばれた森川さんは驚いたのか、グラスに手を伸ばした。新が間髪入れずに質問する。
「あー聞いた。アナウンサーの仕事でしょ?」
森川さんは慌てるように、顔の前で手を振りながら答えた。
「違う違う、アナウンサーなんてちゃんとしたものじゃなくて、深夜にやってる数分の情報番組にちょこっと出てるだけで」
「それでもテレビに出てるなんてすごいじゃん。ツイッターもインスタもフォロワー1万超えてるもんね」

新はそういってスマホをいじって、森川さんのアカウントを見せようとした。それを森川さんが手で遮りながら言う。
「本当やめて。SNSも更新しろって口うるさく事務所に言われてやってるだけだから。番組も元々事務所の違う人に話が来てたのが出演できなくなって、それでたまたま人員不足で私に話が来ただけらしいから。お願いそんなもち上げないで」

気恥ずかしそうにする森川さんを眺めながら、自分との立ち位置の違いを痛感させられていた。手を伸ばせば届きそうな距離にいるようで、その背中は遠く、遥か先にいることを改めて思い知る。

「お前も前から美青ちゃんの事自慢気に話してたもんな蒼」
竜馬からいたずらなスルーパスが飛んできた。
「そんな話したことないだろ。何で俺が自慢気になるんだよ」
森川さんの視線を感じて、思わず早口になる。
「そうだよ、自慢できることなんて一つもないから」
森川さんが間に入る。
「いや、森川さんのことは本当にすごいと思ってるんだけど。俺が語る資格なんてないっていうかその……」

「資格ってなにそれ。何をテンパってんの?」
陽葵が意地悪な顏で茶々をいれてくる。何か言い返してやりたいのに、あたふたしすぎて何も出てこない。
「ありがとね、草野君」
そんな僕に森川さんは優しく微笑みかけてくれ、お酒とは関係なく顔が熱くなる。

「陽葵ちゃんは大学生活どうなの?何かハマってることとかあるの?」
「ううん、私は別にないよ。大学生ってこんなもんでしょ」
竜馬が話しかけるも、陽葵から返ってきた返事はどこか投げやりに感じた。
「こんなもんか。さすが大人な意見だね」
僕は先ほどの仕返しとばかりに、嫌みな言い方で陽葵を茶化す。
「私は大人になんかなれないよ」
倍返しで弄られるかと思いきや、そっけなく返されてしまい思わず戸惑った。

「まあさ、夢に向かってる人もなんとなく時間過ごしてる私たちもさ、限られた大学生活なんて気づいたらあっという間に終わっちゃいそうじゃん?なんかもっとキャンパスライフ最高!みたいなことしたいよね」
「そうだよな。あと数年したらスーツ姿で毎日満員電車でぎゅうぎゅう詰めで揺られてるかもしれないしね。今しか出来ないようなことしたいよね」

いい感じで酔いの回ってそうな春香ちゃんと竜馬が宙を見つめ、漠然とした未来に耽っていると新が提案する。
「それじゃあさ、みんなでキャンプなんてどう?」
「お、いいねぇキャンプ。ぽいよ、それぽい」
竜馬が食いつく。春香ちゃんがそれに続く。

「ぽいって何?でも季節的にも気持ちよさそうだね。バーベキューとか楽しそう」
「私そういうアウトドアなこと今まであまりしたことないかも。なんか憧れちゃう」
森川さんまでもなんだか乗り気みたいだ。
「よし、じゃあ言い出しっぺの新が幹事な」
竜馬が新の肩をポンポンと叩く。

「俺?わかったよ。でもみんなも手伝ってよ」
とんとん拍子で話は進んだ。否が応でも流れゆく現実から目を背ける為か、または見えない未来に手を伸ばし何かを掴み取るためか。僕らは期待と不安を織り交ぜながら、再びグラスを重ね合わせた。

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