見出し画像

貴方解剖純愛歌~死ね~#9【インスパイア小説】

前期の講義もほぼなくなった昼過ぎ、僕はバイトまでの時間をクーラーの効いたラウンジで潰していた。隣に座る竜馬はジャンプを読み、向かいの新はノートパソコンを開いて画面とにらめっこしながらうーん、うーんと唸り声をあげている。

「なあ、この時期だとやっぱ海の近くでキャンプがいいかねー?それともひっそりと森の奥で、流行のグランピングのほうが女子勢は喜ぶか?って聞いてるお二人さん?」
リアクションのない僕ら二人を見かねて、新がパソコンの画面ごとこちらに向ける。

「おーい、蒼くん聞こえてますか?」
スマホでYoutubeを見ていた僕は、顔を上げずに生返事をした。
「んー、なに?それでいいと思うよ」
「はい、聞いてないー」

「おい、蒼。今週のチェンソーマン読んだか?展開やべぇぞ」
雑誌から顔を上げ、興奮気味の竜馬が言った。
「お、まじか。次貸して」
「そっちの話は聞こえるんかい。もういいわ、勝手に決めるからな」

「やたら張り切ってんな新。なに、陽葵ちゃん本気で狙ってんの?」
茶化す竜馬に、心外な顏してツッコむ新。
「いや、お前が俺を幹事に指名したんでしょうが」
「あ、そうだっけ?」
竜馬はそのことをすっかり忘れている様子だ。

「そうだっけ、じゃないわ。それに、陽葵ちゃん狙うとかじゃなくて。君たち冷静に見たまえ。陽葵ちゃんだけじゃなく、春香ちゃんも普通にかわいいし、美青ちゃんは美人な上人気者っていう。こんなメンバーでキャンプいけるなんて、テンション上がらないほうがおかしいだろ。蒼だってチャンスじゃん、なあ?」

急に振られて飲んでいた水が気管に入り咽た。
「ッゴホ、俺は別にそんなん考えてないから」
「嘘つけ。あの美青ちゃんと泊まりだぞ?体力のある若者たちが夜な夜な何をするのかな?」
新が不潔な笑みでこちらを見つめる。

「は?そんなことにはならないよ」
言いながら思い切り妄想のスイッチが入るのがわかった。
「そんなことってどんなことよ?俺は別にえっちなこととは言ってませんよ?」
先程よりも更にこれ以上ないという下品な笑みを浮かべる新。ほんとにこいつは、自分も大した女性経験ないくせに、人のこととなると急に強気にちゃちゃをいれてくる。

「とにかく、お前の想像するようなことは何も起こらないし、期待もしてない」
「ふーん。蒼は顔はそんな悪くないんだから、もっと自分に自信もって積極的にアプローチかけりゃいいのにね」
「お前はいきすぎだけどね。この一年で何人玉砕したよ」
「自分、後ろは振り返らないタチなんで。それに数打ちゃあたる戦法でやってますから」

実のところ、そういう新が時々羨ましく見える。僕だって積極的にいきたい気持ちはある。けれどどうしてもそのタイミングが訪れると、心も体も壊れた時計の針のように硬直して次の一歩が踏み出せず、打席にすら立てない。

「竜馬は最近はどうなん?そっち関係?」
新が向かいで漫画を読んでる竜馬に話しかける。
「んー、俺はもともと彼女は作らない主義なんで。来るもの拒まず的な?でも、バットはけっこう振ってるよ」
最後のセリフだけ雑誌から顔を上げ、どや顔で決めて言った。
「うざ」
負け犬二人が同時に口にする。

「じゃあ新あとは頼むわ」
「あとはってまだ何も決めてないじゃん」
バイトまでまだ少し時間はあったが、この手のトークが苦手だったのもあり、新の問いかけをスルーしそそくさとラウンジを出た。

先程の新の言葉が蘇る。森川さんと泊まりがけのキャンプ。みんなで顔を合わすことは増えたものの、大学を出て一夜を共にするというのはまた全然実感がわかない。その日が早く来てほしいようなほしくないような、心の準備がまだ出来ていなかった。


正門を出て駅に向かっていると、車を所有したことがない僕でも知っている高級外車が、前方の路肩に止まった。助手席のドアが開き、森川さんが車から降りて来た。心臓が大きく跳ね、思わず足が止まる。なにやら運転席のほうへ向けて話かけているが、こちらにも怒りのこもった声が聞こえてくる。何を言ってるかまではわからないが、そのまま勢いよくドアを閉めてこちらに向かって歩いて来た。

車はすぐに勢いよく走り去っていった。その様子を立ち止まって見ていた僕だがふと、これは見てはいけないものを見てしまったと物陰に隠れようとした。だが、開けた通りには身を隠す場所など都合よくなく、そうこうしてるうちに、ただただそわそわしている僕に森川さんが気がついた。一度立ち止まり、そしてまた僕の前に森川さんは向かってくる。

「草野くん。今の見られてたよね?変なところ見せてごめんね……」
少し照れたような、どこか物悲しそうな表情の森川さんを見て、とても申し訳ない気持ちになった。

「ううん。あー見たことは見たけど全然謝られるようなことじゃないっていうか……その……今のは彼氏とか?」
何を言えばいいかわからず思わずモゴモゴとした口調になる。聞くまでもないことを聞いてしまう。森川さんはちらっと後ろを振り返る仕草をしたあと、俯き加減で答えた。

「そう。見られちゃったから言うけど……浮気されて。それで問い詰めたら言い合いになってケンカしちゃった」
「そうなんだ」

彼氏と一緒にいるところを目撃したことと、今目の前に森川さんがいて二人きりなことが合わさって、胸がチクチクしてドキドキする。それに森川さんみたいな人が浮気をされるということが理解できず、自分がこんなシチュエーションに遭遇したこともないのでそのまま黙ってしまった。なんとも気まずい空気が流れる。周りの人の話し声やバイクの通り過ぎる音、木々の葉が風で靡く音などが妙に耳に響く。一秒が永遠と長く感じられた。

「草野くんもう帰るところ?」
いつも通りの口調に戻った森川さんが聞いてきた。
「そう。森川さんはこれから大学?」
「ゼミのことで用事があったんだけど。急ぎでもなかったし、なんか気分乗らないからサボっちゃおうかな。ねえ草野くんこれから予定ある?よかったら一緒に付き合ってくれない?」

「あーっと、もう少ししたらバイトがあって」
「そうなんだ、それならしょうがな……」
「あ、でもまだ時間あるから少しなら大丈夫」
森川さんが言い終える前に食い気味で僕が答えると、その様子がおかしかったのか、彼女の口から優しい笑みがこぼれた。僕らは微妙な距離感を保ちながら、隣り立って歩きだした。


今【Buzz】で森川さんとこうして二人きりで向かい合って座っているのが未だに信じられず、僕は席に着いてからもずっと落ち着きなくそわそわしていた。大学のラウンジや学食でみんなで集まっている時とは全然別の緊張感にに体が強張る。森川さんの方をチラ見しかできないが、彼女はいつも通り凛としながら、カフェラテを飲んでいる。

マスターがまた面倒な絡みをしてくるかと危惧したが、今日はひどい二日酔いらしく、だるそうに注文を取り、お盆をひっくり返しそうになりながらドリンクを持ってくると、すぐに店の裏に消えていった。ある意味助かったが、そんな状態で店を開けている、相変わらず緩い経営体制を少し心配した。

「今更だけど、なんか二人きりでいるの不思議だね」
もう会ってから数十分経つのに、不意に話しかけられたことでまた脈が上がり始める。森川さんも少なからず二人を意識してるみたいだ。
「高校の時はほとんど話さなかったのにね」
「うん、そうだよね。森川さんはみんなのマドンナだったから、俺みたいのは気軽に話しかけられなかったよ」
僕は正面を向かず、アイスコーヒーの入ったグラスについた、水滴を見つめながら答えた。

「でも草野くんは知らないかもしれないけど、私の方からは3年で同じクラスになってから、何度か話かけようとしたときあったんだよ?でもなんだか避けられてるみたいでなかなかタイミングなかったけど。私嫌われてるのかなって思ってた」

「え?それは全くの誤解だから」
思わず語気が強くなってしまった。でも森川さんから話しかけてくれようとしてたなんて知らなかった。と同時に当時話しかける勇気がなかった自分が情けなくなる。

「それならよかった。三年の文化祭の時写真撮るの手伝ってもらったでしょ?あの時も嫌われてて冷たく断られたらどうしようって思ってたんだよ。
「そんなの全然なかったよ」

「でもあの時撮ってもらった写真どれも素敵だったね」
森川さんにそんな風に褒められると、全身が粒子になって昇華してくようなフワフワとした感覚になる。
「そんなことないよ。必死にシャッター押してただけだから。森川さんこそ弓道部で何回も表彰されてたし、勉強も出来て俺なんかからしたら完璧だったよ」

「私なんて全然だよ。弓道ももうやめちゃったし、大学入ってからも講義の内容わからないことだらけで。試験の結果だってそんなによくないもん。草野くんて林田教授の現代美術論取ってるよね?私すごく苦手でいつもちんぷんかんぷんになる」

「あれはみんな難しいって言ってるよね。それに話し方に特徴ありすぎて、真似したいがためにみんな授業そっちのけで話し方に見入っちゃってる」
といって教授のモノマネをすると森川さんは声を出して笑ってくれた。
「草野くんうまい。私もクセ強いなーって思ってたの」

クリームソーダの上のアイスクリームのように、先程までの緊張は少しづつ解けていった。普段通りの自分が出せるようになってきた僕は、これまで共有できなかった3年間を埋めるように、自分の事を話し森川さんのことを聞いた。

もしかしたら、これから僕らはたまにこうして二人でお茶したり、同じ講義を一緒に受けながら徐々に距離を詰めて、最終的に付き合うなんて日がくるのかもしれない。いや、それは宝くじが当たるくらいありえないことだ。

でも、人生で一度も女性と付き合った経験のない僕は、好きな人とただ談笑しているだけでこんなにも幸福な気持ちになれることを知った。それと同時に、恋人同士になったらこれ以上一体どんな素晴らしいことが起こるのか。それを知ってしまうのは少し怖いことのような気もした。それからバイトまでの時間は夢のような速さで過ぎていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?