デザイナーになったきっかけ①

こんばんは、Aimiです。

さて、初回の記事を書いてから早数ヶ月。予想していた最悪のパターンが起こっています。つまり、三日坊主ならぬ、1日坊主。
こういう発信系がいかに苦手か思い知りました。笑
気を取り直して書いていきます。


「どうやったらデザイナーになれますか?」

これは、会社員のときにスタッフや周りの人に本当に頻繁に聞かれていた事です。質問してくる人は、販売スタッフでデザイナーという職業に憧れていたり、実際にその職業を諦めた経験がある人が多かったように思います。
答えから言うと、私もわかりません。笑
強いて言えば、服飾系の学校に通えば、道はあるのかな?くらいです。
自身の周りを見ても、服飾系の学校を卒業したからってデザイナーになった人がたくさんいる訳ではないですし、実際、何百人〜1000人単位で同級生がいますが、業界の第一線で仕事ができているのはほんの一部の人たちだけです。なので、「どうやったらなれるのか?」と聞かれたら「わかりません」になるのです。
ただ、一つだけ言えるとしたら、行動すること。です。

ファッションで仕事する予定はゼロでした

私は小さい頃から、人より感受性も強く、いつも自分の好きな世界の中で生きていたい子供でした。感受性が強いというのは色々なタイプがあると思いますが、幼少期はこの世のものでは無い、霊的なものが見えていたりしたのを覚えているので、もしかしたら不思議ちゃんだったのかもしれません。
それは小学校に上がる頃には薄れていたのですが、中学生の頃、あるきっかけで霊的なものに追われる生活をし、夜全く眠れなくなって学校に行かなくなってしまった事もありました。笑(昼間に寝ないと体がもたないから)
本気の御祓をしてもらったので、もちろん今は落ち着いていますよ!
現在もそういう感受性は強いようで、その話はまた別の機会に。

その経験が大きなきっかけになり、夜眠れないので当時スケルトンのmacを買ってもらい、夜な夜な、PCで絵を描いたり、HTMLを勉強してみたりして趣味でホームページを作ったり、オンライン上のチャットで知り合った高校生や大学生のお友達と夜更かしして遊んでいました。当時、97年〜98年ごろだったので、まだまだインターネットも普及していなくて、ネット代金がすっごい高額になって、しこたま親に怒られました。笑
義務教育卒業後、デザイン系の高校を経て、4年制の専門学校へ。
まずここ、デザイン系の高校を卒業している部分を話すと、その選択をしないといけないのかと聞かれますが、全くそんなことありません。
この高校は工業デザインや陶芸に特化していたし、同級生にファッションデザイナーはいません。同じ学校の卒業生でいうと、陶芸家が多いかもしれません。私がこの学校を選んだのは、制服が可愛かったからです。笑

大学推薦という道もありました。デザイン系というのもあり、美術系大学への推薦枠も用意されていた学校だったので、進路の際には担任の先生にしつこく言われたのを覚えています。
私が選んだのは、大阪モード学園でした。
(モード学園はこんな学校です→https://www.mode.ac.jp/
関西には他にもいくつかファッション系の学校がありますが、モード学園を選んだ理由は、ファッション以外の学科も充実していた事
私はアパレルデザイナーになりたいと思っていなくて、もともとグラフィックデザインやキャラクターデザインを得意としていたからです。
1年目は基礎学科になるので、いろんな学科がこちゃまぜになっていて、2年からそれぞれの学科に分かれ、3年からさらに専門コースへ進学していく流れです。なので、私は2年目からはグラフィック学科に行こうと考えていました。

グラフィック学科への進学希望を拒否された

1年の後期に出した進路希望で書いたのはグラフィック学科でした。
そしたらすぐ呼び出され、担任の先生に説得され、当時のグラフィック学科の先生もいて「君は来なくていいよ。学べることあまり無いから!」と。
そんなことあります?びっくりしました。
確かに、成績は優秀だったと思います。もともと絵を描いたりデザイン自体は好きで趣味でやっていたので、基礎があったのも大きかったと思います。グラフィック学科の先生曰く、グラフィック学科に進学しなくてもすでに基礎があること、グラフィック学科は2年で卒業になるので、今のスキルだと1年目はほぼおさらい(だから暇だよ)、2年目は応用(あとで個人練習でいいよ)だから、面白くないと思う。って、はっきりと。笑
今となっては、いろんなソフトやアプリがあるので授業内容の幅も広がっているはずですが、当時の状況では、ファッション学科に進学して、趣味でスキルを磨きない、との判断でした。
19歳の私はややモヤモヤしながら、ファッション学科に進学しました。

ファッションデザイナー専攻とアパレルデザイナー専攻

3年からは、さらに専攻でクラス分けされました。
ちなみに、モード学園はスパルタ教育がモットーだったので、毎日大量の課題があり、絵を描きまくりパターンを引きまくるスタイル。入学には筆記試験など無く、誰でも入学できます。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、都会の中心にある綺麗な校舎で設備も整っているので、専門学校の中でも(おそらく)一番学費が高いで有名です。笑
そのせいもあり、お金持ちの坊々やお嬢、ちょっとおバカな人(ごめんなさい)も多くいましたが、出席率や課題の提出率にものすごく厳しいので、志が曖昧な人や、社会性にかける人などは進級できなかったりして1年ごとに脱落していくので、3年に上がる頃には入学当初の半分くらいになってるんじゃないかってくらい減っていました。今はどうなのかな。
2年まではファッションデザイン学科のみだったのが、3年になると
・ファッションデザイン学科ファッションデザイナー専攻
・ファッションデザイン学科アパレルデザイナー専攻

の二つに分かれるのです。※他に、パターン技術専攻もありました。
シンプルに、何が違うの?って思いますよね。
経験で言えば、ほぼ同じ。私はアパレルデザイナー専攻なのですが、一部、コンセプトメイキングの授業があったのが違うのかな?という記憶。
学校側としては、いわゆるDCブランドみたいな独創的なデザイナーになりたい人はファッションデザイナー専攻へ。いわゆるアパレル企業に就職したいビジネスタイプはアパレルデザイナー専攻へ。って感じだったと思います。
当時のクラスメイトの印象は、ファッションは好きだけど、めっちゃ独創的なものを作りたいとは思ってない人たちの集まり。笑
逆に、ファッションデザイナー専攻は変わった趣向の集まりで、いわゆる黒いビックシルエットのDCブランドを着てる人達っていう印象だったかもしれません。今はどうなっているのか気になりますね。


②につづきます。


Aimi.

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