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居心地のいい場所と居たい場所は違うということ

実は年末あたりから約3ヶ月、私は実家で過ごしていた。
数年前に異動で実家を離れたときから、もう実家に住むこともないだろうなと思っていたから、この3ヶ月は私にとってとても貴重な期間だった。

私は社会人になると共に地元に帰ったので、社会人の最初の数年は実家で過ごした。
その頃は家がなんともしっくりこなくて、大人げなくも親とぶつかったし、早くまた外に出たいなと思っていた。

でも今回の3ヶ月は、私も家族もこんなに長い滞在になると思っていなかったから
(最長でも3週間の予定だった)。
あとどれくらい一緒に過ごせるだろうとか、次にまたこうして過ごせる日はあるのだろうかとか。
たぶんお互い常に思っていたから、なんの衝突もなく穏やかな日々を過ごした。

そこでふと思ったのが、案外実家って居心地が良いなということ。
なんて言うか、ただそこにいるだけで家族からの愛に包まれていると感じる。
ひとりで東京の狭い家にいるよりも、ずっと満たされているんだなと、急にスンと感じた。

でも。
私はやっぱり、この場所に長く居たいとは思わない。
去ることへの寂しさは大いにあるのだけど、まだ見たことのない場所で暮らしてみたい、だから家を離れたいと思ってしまう。

どこで暮らしても、滞在が長くなればどんどん目新しさはなくなるし、それがまた日常になっていくのだということは経験としては知っている。
だけど、私はまだ経験したことのない日常を感じてみたいし、やっぱり国外にも出てみたいから、ここに長くいてはいけないなと思った。

ここに長く居てはいけないという感覚は住む場所だけではなくて、働く環境(会社)とかも含むなと思う。
いまの会社は居心地が良くて、波長のあう人が多いけど、でもこのままここにいたら甘えてしまいそうな気がして、一度は離れないといけないと思っている。

この、「居心地のいい環境に居続けてはいけない」という感覚って何なのだろう。
なんのために、みんな変化を求めて移っていくのだろう。
本能なのかな。
私は数日先の未来もイメージがつかないくらい、自分の考えがどんどん変わることは自覚しているけれど。
それがなぜで、なにが理由で変わってしまうのかは、自分でもわかっていない。

だけど、だから楽しいという感覚もある。
自分も知らなかった自分の考えや、価値観を知っていく楽しさというか。
そのために、ひとは新しい環境を求めて、どんどん動くのかな

オリンピックが決まった頃、7年後に自分はどこにいるのだろう?と想像したひとは多いと思うけど、例に漏れず私も考えた。
きっと海外にいるんだろうな、ひとが集まる東京には絶対に居たくないなと思ったけど、結果7年後に私は東京にいた。
まったく想像しなかった未来だった。

人生っていつ何が起きるかわからないから、自分がやりたいことにちゃんと気づいて、それを実現していくことのできる人でありたいなと思う。

それが、今の私にとっては住む国と働き方を変えること。
それは、私にとって必ずしも”居心地が良い場所“ではないのだと思うけど、そこに身を置き続ければきっと居心地の良い場所に変わるし、そうなったらまた離れたくなってどこかに行くんだろうな。

来年の私はどこにいて何をしているかわからないけど、自分がやりたいことに全力で挑んでいる私であれば良いなと思う。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️