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ドイツワーホリの記録|フリーランス1年目31歳ギリホリの1年

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ドイツワーホリの記録を始めます。ドイツに来るために、大手企業のマネジメント職を手放し、フリーランスのライフコーチになりました。やりたいことを妥協しないをモットーに、韓国留学を経由…
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#今こんな気分

ベルリン5日目、31歳になりました!

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嫌なニュースばかりが目に入るのをどうすればいいか

最近の私はSNS依存が加速している。SNSが好きで、お仕事にも積極的に使っているのはいいとして、ちょっとSNSを見過ぎだなぁという気がする。 それで、特にTwitterを見ていると、なんとも嫌なニュースばかりが目に飛び込んでくる。この先の日本はどうなるのだろうと不安が加速する。 SNSの見過ぎなのか、あるいは問題が大きくなっているのか。わからない。嫌なニュースばかりが目に入るのを、私はどうすればいいのか。 海外に住んで思うこと 日本円で収入を得ながら海外に住む私は、円

愛をもっと大事にされたい

インターステラーを見た。2014年に公開されていたと知って、私は長い時間差でこの映画を見たのだなと思った。 私はあまり映画を見ない。対して、恋人は英語がネイティブだし、映画をよく見る。今回も恋人の影響で、そして日本語字幕がない代わりに恋人の通訳で見た。私が知らない世界に、私は恋人を通してたくさん出会っている。 インターステラーのストーリーは、宇宙にいくことになった父親とその10歳の娘を中心に進む。地球とは時間の経ち方が違う宇宙で過ごす父は、何十年も地球に戻らない。 欧米

しわしわの手のこうと寝違えた背中

何歳だって歳を取りすぎたということはない、いつからだってなんでもできると思っている私、今年で32歳。 童顔なうえにドイツに住み始めたから、人に会うとたいていは年齢よりもずっと若く見られる。髪も半分金髪だし。 だから私はまだまだなんだってできると思っているけど、どうにも年齢を重ねていると思わされることがある。それは、体に何かが起きたとき。 最近の私は、2週間前の日焼けをきっかけに手のこうがしわしわ。今朝は二度寝をしたら背中を寝違えた。 どうも私は、何をしても体が大丈夫と

夏が去りそうなベルリンで夏にしがみつきたい

私の住むベルリンは、どうやら今週までが夏のようだ。来週末からは20度くらいまで気温が下がる予報だから、もう秋が来るのだと心構えをしている。 というのも、つい先週までの1か月、ベルリンはもうまるで秋だった。春ほどの陽気な感じではなく、どんよりくもる冬に近いような天気だったのだ。 だからもう、ベルリンの夏は終わってしまうのだと心構えをしている。寒くてどんよりする冬に向かっていくことを認めたくはないけれど仕方がない。 それで、今日はきっと今年最後の夏日だ。30度を超えていて、

今年の8月15日のこと

8月15日。今日は弟の誕生日であり、終戦の日。ちなみに私の誕生日は、12月8日で真珠湾攻撃の日。 今年の8月15日を、私はベルリンで過ごした。今日という日は私にとっては週初めの仕事の日、そして他の日から振り替えたドイツ語のレッスンの日。 なんの因果か、日本から来た私はベルリンに住んでいる。ベルリンというのは、第二次大戦のことが、今でも街のあちこちに刻まれている街。 私はこの街のそんなところが好きだ。 今日のこと 朝からバタバタとお仕事をして、午後にはドイツ語のレッス

ベルリンに半年住んだ私と言語習得に焦る気持ち

ドイツに住み始めて半年以上が経ち、私はいよいよ言語の習得ということに焦っている。 というのも、この国に来てからもう一度本格的に学んだドイツ語はいまだに思うほど上達しないし、ここでは思っていた以上に英語も必要なのだ。 ドイツ語も英語もいつかは話せるようになりたいけれど、自分がやらないことにはそのいつかは来ない。 私の周りには言語に自由なひとがすごく多いように見えて、私はどうも焦る。はやくあのレベルに到達したいと、気持ちだけ焦っている。 言葉ができる感覚 10年前に初め

日本に住みたくない私がこの国の日本人街に行ってきた

女性として日本に30年ほど住んだ結果、私は日本に住みたくなくなりました。そんなことがあって、私はいまドイツに住んでいます。 ドイツという国は私が思っていた以上に人が多様で、アジア人女性な私でも暮らしやすいです。自分だけがマイノリティーと思わなくていいというか。 日本にいたら「日本人」というマジョリティがあるけれど、「女性」という大きな弱さを持っています。嫌な経験をたくさんして日本を離れました。 悲しいけれど、私には日本の嫌なところばかりが目につきます。そんな私が、ドイツ

日本に早く帰ってこいと言われなくなった

ドイツに来てもう7か月、ついに本格的に次のビザの準備を始めた。ドイツに住むことは決して簡単ではないけれど、私はドイツに居続けたい。 ドイツに来る前、私はうまく準備をしたと思う。何の準備かといえば、両親に止められない準備。少なくとも10年以上は、ドイツに来ると言い続けた。 家族と通話をしながら、3年のビザを申請すると話した今日。もう何とも否定をしなくなった父がいて、私は何だか嬉しかった。 私の家族 いま私はベルリンにいるけれど、実家は高知という田舎にある。 田舎出身の

私は性別がほしくない

女性として生きてきて、最近は女性として恋愛に参加をしている私だけれど、私はやっぱり性別がほしくない。そう思うこの頃です。 女性のような見た目でいることや、自分の思うかわいいをまとうことは好き。でも、”女性”として扱われることにはなんとも違和感があります。 私は自分の体を女性的に使いたくありません。しばらく前の記事にも、そんなことを書いたことがあります。 すごくセンシティブなことで、声に出してしまうことに抵抗もあるけれど、私は女性としてではなく、ただ私としていたいのです。

差別を目にするのは悔しい

どんなに仲のいい友人でも、人としては好きな相手でも、思想が合わないことがある。そんな記事を、2年ほど前に書いた。 この葛藤にぶち当たることは多くないその後だったけれど、最近私はまた「人として好き」と「思想の違い」に葛藤している。 たわいなく友人付き合いをする程度には、楽しくてなんの問題もない。ただ、少しこみいって思想の話になると、決定的に異なることに気づく。 そんなことが、相手を知れば知るほど起きる。大事な友人だからこそ、相手を深く知るからこそ起きうるこの問題に、私は矛

旅行をするとは、人との付き合い方を学ぶこと

2泊3日のプラハ旅行。孤独なのは苦手だけど、誰かとずっと一緒にいるのも苦手な私は、旅行のたびに相手との付き合い方に向き合う。 失敗をしたこともあるし、これはとても良かったと思える旅行をしたこともある。 その場では気づかず、一緒に旅行をしてくれた人はきっと大変だっただろうなと、あとから思うこともある。 コーチングを学んでから、ひととの付き合い方の視野が広がった。付き合い方の手法が増えた。 でも、私が人であることには変わりないので、いつでも完璧にふるまうことはできない。そ

ドイツ語を話せるようになりたいから、語学学校を変えると決めた

ベルリンにきて4か月。ゆるりと延ばしながらきた今の語学学校を、今月で卒業すると決めた。 正直最近は、スケジュールに疲弊していて、これでいいのかと悩んでいた。 韓国で語学学校に通った時は、学校は6か月間だったけれど、間に1か月の休みがあったから気持ちを保てた。 でも、ドイツではぶっ通しでの半年通うことになっていた。これは正直キツいなぁと、折り返しあたりで感じはじめた。 学校を変えることで、私が求めていた形を、想像よりもいい形で実現できそうで嬉しい。 明日の自分もわから

戦争が始まって、1年が経ってしまう

2月24日は、ロシアが戦争を始めた日。母の誕生日なのでよく覚えている。 私は12月8日生まれ、弟は8月15日生まれ。日本で育った方なら、この日が何の日なのか、即答できる方が多いのではと思う。 ついでにいえば、末っ子の誕生日は平成の天皇が即位をした日。私たち家族のこの縁はなんだろうと思わずにはいられない。 ともかく、ロシアが戦争を始めてから1年が経ってしまう。戦争とは、やめるのがもっとも難しい。心の痛む、とっても悲しい新たな歴史のこと。 あるシリーズを見た 少し前に、