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気づいたこと日記

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日々の気付きを日記にして残していきます
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#エッセイ

年間読書0冊の私が、2週間で1冊を読むようになった理由

小学生の頃、私は読書が好きだった。でもそれは、読書自体が好きというよりも、aimiちゃんすごい!と言われたくてやっていた読書だった。 そんな動機なので、大人になるとまったく本を読まなくなった。読むとしても、たいていが義務感で読んでいた。 でも今年になって、初めて『楽しく読む』感覚がわかった。年間読書0冊だった私が、なぜ読書ができるようになったのかを書いていく。 読書とは、『一言一句逃さず読むこと』では無い 私はずっと、読書とは筆者が書いていることをすべて理解するように努

「選ばれること」で自己肯定感を満たさない私に

「選ばれたい」という感覚は、男性も女性も持っているものだと思います。 例えば仕事で認められて昇進したいとか、恋人に結婚したいと思われたいとか。 誰かに認められることは自尊心を満たしてくれるので、「選ばれたい願望」はひとのベースにあるものだなと思います。 「選ばれたい」と思っていた私 最近思うのは、「選ばれたい願望」に支配されないことの大切さです。 アラサーの女性として思うのは、生きてきて約30年、「選ばれる」感覚に影響されすぎてしまったなということです。 男性が結

コンプレックスを抱えるきっかけ

私の足には、小さい頃にクラゲに刺された痕があります。 すごくハッキリしているわけではないけど、そこにあるとわかる痕。ふくらはぎにあるので、着る服によってはわりと見える位置にあります。 このことはもちろん知っていますが、存在を意識したことは実はあまりありません。数日前、日課のヨガ中に痕が意外と濃いことに気づき、久しぶりに意識をしました。 クラゲの痕を見て思ったこと しっかりと見える場所にあるこの痕。小学生の頃に刺されたので、もう20年ほどここにあります。 だけど私はこの

気を遣う友人は親友ではないのか

最近気になることがあります。 どちらかが気を遣うことで成り立っている友情を、親友と呼んでも良いのかということです。 定義はひとそれぞれなので、思い悩むことではないとわかってはいる。だけど、親友を親友と紹介するたびに「私は本当に親友と呼んでもいいのだろうか」と考えてしまいます。 10年来の親友 私には大事な親友がいます。 ずっと女性の友人が少なくて、2人で会える友人はもっと少ない私。なぜなのだろうと思っていたのですが、スクールカーストの強かった中高時代のおかげで、女性

時間をあえてなくすこと

私はいま毎日noteを書いています。先日noteを書いて90日を超えました。 noteはたいてい朝の始業前に書くのですが、今日は時間がなくてランチタイムに書いています。いつもよりも始業時間が早いことと、昨日夜更かしをしてしまったせいで、今日は朝書くことができませんでした。 それで、気づいたことがあります。 あえて自分の時間をなくして、無理やりにでもやるのは大事だなということです。 noteは日課にしたいので、今日noteを書かないという選択肢はありません。 だけど、

お互いの人生を観測する

みなさんは、お互いに人生を見ていきたいなというひとはいますか? 私は最近、そう思うひとが増えてきました。 「人生を観測する」という感覚はつい最近気づいたことです。 ただ単に報告をしあうだけではなくて、ここが変わったね、私たち大人になったね成長したねと気づき合う感覚。 また、自分が実現できない、違う人生を擬似体験する感覚が楽しいなとも思っています。 人生観測をし合っている友人 私にはもうかれこれ10年以上、お互いに人生観測をしては、自分と違う人生の話を楽しんでいる友人

歳をとること

私には83歳の祖母がいます。 10年ほど前に祖父が亡くなってからずっとひとり暮らしだったけど、いまは実家で私の母たちと一緒に暮らしています。 私たち兄弟は共働きの両親に代わって祖母に面倒を見てもらう時間が多かったらか、みんなしっかりおばあちゃん子です。 体が弱くて働けなかった祖父に代わり、1人で働いて家族を養ってきた祖母。家を守っていて、私たちを褒めては叱ってくれる強い女性。そんなイメージをずっと持ってきましたが、いつの間にかしっかり「おばあちゃん」になっていました。

私はわたしを幸せにすることにした

長いこと私は、幸せとは自然にやってくるものだと思っていた。 まじめに働いていたら幸せになれる。まじめに生きていたら恋人ができる。欲深くならずほどほどに、でも人から感謝されるように生きてさえいれば、自然と幸せがやってくる。そんなふうに思っていた。 もちろん、そうやって生きていても幸せだった。仕事はやりがいがあって仲間も好きだし、そこそこ好きな恋人もできた。趣味の旅行に行けるくらいにはお金があるし、充分な生活だと心から思っていた。 でも、それはどうやら違うらしい、幸せとは待

評価をもらうためではなく、じぶんのために努力をすること

私はずっと、誰かに評価をされたくて努力をしてきた。逆にいうと、評価されづらいことは努力の対象から外してきた。 会社で評価されるから。お客さんに喜んでもらえるから。子どもの頃だったら、先生に褒めてもらえるから、親が喜んでくれるから。 私の行動の軸は、「他者の評価」だった。 中学生の頃の友人の話 中学2年生のとき、ある女の子と友人になった。 素朴で明るくて軸があって、人気のある女の子。何も取り柄がなく、基本的に他人軸だった私は、その子と行動をともにできるだけでとても嬉しか

世界で2回目の、今までとは違うGWの幕あけ

今日でGW前の仕事納め。休み前にやっておきたいことが多くて、やることに押されつつもなんとか仕事を納めることができた。 去年のGWは、コロナの先行きが見えないなか、異動で引越しをしなければいけなかった。 知らない土地に旅行することと、ひとに囲まれて過ごすことが大好きな私。コロナから身を隠すような生活も、たったひとりで都会に越すことも、自らのキャパシティを大幅に超えるストレスだった。 今年のGWも昨年同様、緊急事態宣言下でのGWとなってしまった。でも、去年と今年のGWは、私