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気づいたこと日記

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日々の気付きを日記にして残していきます
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#最近の学び

年間読書0冊の私が、2週間で1冊を読むようになった理由

小学生の頃、私は読書が好きだった。でもそれは、読書自体が好きというよりも、aimiちゃんすごい!と言われたくてやっていた読書だった。 そんな動機なので、大人になるとまったく本を読まなくなった。読むとしても、たいていが義務感で読んでいた。 でも今年になって、初めて『楽しく読む』感覚がわかった。年間読書0冊だった私が、なぜ読書ができるようになったのかを書いていく。 読書とは、『一言一句逃さず読むこと』では無い 私はずっと、読書とは筆者が書いていることをすべて理解するように努

田舎出身だけど、車の運転を手放すことにした

日本で暮らしていると、首都圏などの都市部出身でない限りは車の運転からは逃げられない。田舎出身者としてそう思っています。 電車が通っていないほどの田舎出身なので、実家に帰ると車がなければどこにも行けません。地元に帰るたびに実家のミッション車を借り、ひとりで運転をしてはおばあちゃんに会いに行っていました。 地元では、車がなければ生活ができない。だから帰省をした時だけでも運転をして、運転の感覚を鈍らせないようにしないといけない。ずっとそう思っていました。 だけど、案外「私」が

とまり木を飛びまわる

すこし前、会社の同僚と話していた時に、私はずっととまり木を探しているようだと言われました。 自分ではそう思ったことはありませんでした。でも確かに私の人生や恋愛とはそんな感覚かもしれないと、スッと腑に落ちる感覚がありました。 どこかに定住する未来はいまのところ見えないし、恋愛は1対1よりも複数愛のほうがしっくりくる。 常に自分の居心地の良い場所を求めて飛び回りたい。私の人生の根底には、この考えがあるんだろうなと納得しました。 私にとってのとまり木 私にとってとまり木とは

コンプレックスを抱えるきっかけ

私の足には、小さい頃にクラゲに刺された痕があります。 すごくハッキリしているわけではないけど、そこにあるとわかる痕。ふくらはぎにあるので、着る服によってはわりと見える位置にあります。 このことはもちろん知っていますが、存在を意識したことは実はあまりありません。数日前、日課のヨガ中に痕が意外と濃いことに気づき、久しぶりに意識をしました。 クラゲの痕を見て思ったこと しっかりと見える場所にあるこの痕。小学生の頃に刺されたので、もう20年ほどここにあります。 だけど私はこの

私はわたしを幸せにすることにした

長いこと私は、幸せとは自然にやってくるものだと思っていた。 まじめに働いていたら幸せになれる。まじめに生きていたら恋人ができる。欲深くならずほどほどに、でも人から感謝されるように生きてさえいれば、自然と幸せがやってくる。そんなふうに思っていた。 もちろん、そうやって生きていても幸せだった。仕事はやりがいがあって仲間も好きだし、そこそこ好きな恋人もできた。趣味の旅行に行けるくらいにはお金があるし、充分な生活だと心から思っていた。 でも、それはどうやら違うらしい、幸せとは待

たくさんの後悔がある私が、もし人生をやり直したら

みなさんは、じぶんの人生のなかで後悔をした選択はありますか? 私は、あります。例えば家族との関わりかたとか、大学時代の時間の過ごしかたとか、社会人になってからの仕事との向き合いかたとか。もちろん恋愛面もたくさん。 数えたらキリがないほどあって、ふいに記憶が浮かんできては後悔にさいなまれる瞬間があります。 これは私の自己肯定感の低さとも関連しているように思っていて、今でこそ少し減ってきたのですが、少し前まではよくあることでした。 ◆自己肯定感との向き合いかたについてはこ

ひとの価値は、既婚かどうかで決まらない

会社の同僚や高校の同級生、芸能人に親戚とか、ある程度の年齢を超えると「それであの子、結婚してたっけ?」という話になる。 「結婚をしているかどうか」はすごくプライベートな話のひとつだと思う。なのにいつから当たり前に「評価の対象」になったのだろう。 例えば血液型とかも、ものすごくプライベートな話だと思う。なのになんで、初対面のひとにも答えないといけないのだろう。 なぜ、結婚や血液型のようなプライベートな項目で、勝手に評価をされないといけないのだろう。 なぜ結婚が評価の軸に

評価をもらうためではなく、じぶんのために努力をすること

私はずっと、誰かに評価をされたくて努力をしてきた。逆にいうと、評価されづらいことは努力の対象から外してきた。 会社で評価されるから。お客さんに喜んでもらえるから。子どもの頃だったら、先生に褒めてもらえるから、親が喜んでくれるから。 私の行動の軸は、「他者の評価」だった。 中学生の頃の友人の話 中学2年生のとき、ある女の子と友人になった。 素朴で明るくて軸があって、人気のある女の子。何も取り柄がなく、基本的に他人軸だった私は、その子と行動をともにできるだけでとても嬉しか

好きなものは、アピールしたもの勝ち

自己肯定感の低い私は、いままでじぶんが好きなものを堂々と口にできずにいた。 好きだと言ったとしても、「ミーハーなので深く知ってるわけではないんだけど」とか「そんなにできるわけではないのだけど」とか、必ず謙遜をする。 謙遜を添えてしか、じぶんが好きなことを打ち明けられずにいた。 ”好き”という感情の強さを知る そんな私が年始からBTSにハマった。いままでアイドルにハマった経験はなかったけど、彼らを好きになったことがきっかけで、じぶんの価値観がどんどん明らかになった。

『誰かのため』なら、83歳でも毎日ヨガができる

リモート勤務な毎日で、肩こりと頭痛に悩まされる日々です。外を走りまわって働くことが、こんなにも健康な体づくりに役立ってたんだなあとしみじみ感じています。 そんな私なので、体を動かすことを習慣づけたいと思い、年始からヨガを始めました。それも、ひとりだと続かないから、遠くに住んでいる家族も巻き込んで。テレビ通話をつなぎ、毎日一緒にヨガをしています。 『じぶんのため』から『家族のため』への変換 最初はじぶんの健康のために始めたヨガ。もともとやってはいたものの、毎日ヨガをするよう

毎日noteでじぶんを固める

3月14日から毎日noteを書いてきたので、今日でちょうど1ヶ月。 上達には練習しかないと思い、毎日書いてきた。 私にとっての書くとは毎日noteを書いているとわかったことがあって、書くって自分を知ること、自分を固めることだなということ。 毎日毎日、今日はどんなことを書きたいかなとか、どんな言葉で書こうかなとか、1つの記事を書くにも意思決定の連続だった。 極端にいえば、この単語はひらがなにするのか漢字にするのか、どこで文章を切るのかとか、そんなことも小さく意思決定をする。