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フラットに定まる(息子(14)との対話①)

こんにちは。
ライフストーリー インタビュアー/心理カウンセラーの 真中愛です。


私には夫と、15歳になるひとり息子がいます。

根本師匠のお弟子講座を受講したのは2021年9月から2022年3月の半年間で、当時中学3年生だった息子の高校受験とドン被りでした。

とはいえ、もともと「私が受験するわけじゃないし」というスタンスだったので、彼が受験生であることが受講の懸念材料になることはまったくなかったのですが。
その受験生と夫の理解と協力のもと、私は月に一度の講座がある週末には都内に1泊し、それ以外も実習やらセミナーやらで家を空けることが以前より格段に多くなりました。
普段の生活でも、課題をはじめとして自分自身と向き合うことにみっちりと取り組むことのできた半年間でした。


それでも今振り返ってみると、この時期にお弟子講座を受けたことは私(と家族)にとってものすごく深い意義があった、これ以上ないほどベストのタイミングだった。
そう思わざるを得ません。

まず、息子はびっくりするほど、本当にまったく受験勉強をしていませんでしたが、自分のことに集中していた私もまた同じくらい、そんな彼にまったくお構いなしでした。
そしてなによりも、講座や実習や課題を通してカウンセラーになるための訓練に日々どっぷり浸かっていた私は、家族と向き合う日常でもカウンセラーモードになっていたのです。


一向に受験勉強する様子のないまま年が明けた1月のある晩のこと。
始まりは寝る前の息子とのなんということもない会話だったのですが、やがて彼は自らの胸の内をはじめて語ってくれるに至りました。

受験勉強って、いったい何なの?
受験や学校というシステムに対する違和感、自分が学びたいことを自分のペースで好きなように思う存分勉強できない辛さや憤り。
一方でそんな自分に抱いている罪悪感や、それらのシステムに収まるようになんとか自分を納得させる考え方や解決方法を見つけ出そうとする苦しさと虚しさ。

「受験のために勉強するのは、自分に嘘をついているみたいで嫌なんだ」
最後に彼はそう言って、ちょっと泣いていました。


彼は知的好奇心旺盛で学ぶことがとても好きな子どもです。
本好きに育てたい、というのが私たち夫婦のほとんど唯一の教育方針?みたいなもので、彼が幼いころからたくさんの本を一緒に読み、どの家でもリビングには大きな本棚を置いて、小2で日本に帰国してからは貸出期間である2週間ごとに図書館に通いました。
毎年4月に進級して学校から新しい教科書をもらってくると、ひとりで全教科ひと通り読んでいました(理解するしないは別として)。
中学に入学した時点で私としては、もう親としてのミッションはほぼ終わったな、くらいに思っていました。
あとは自分の好きなものを自分から学びに行ってくれればいい、自分の好きな世界に自分で飛び込んで行ってくれればいい、と。

そんな彼の姿を見てきたので、学習への意欲を失って志望校も持てず、部屋でずーっとパソコン画面のゲームや動画ばかりに向かっている彼には違和感やもどかしさがありました。
ゲームや動画を本当に楽しんでいて、好きなことに思う存分時間を使えて幸せ、というのならそれはそれでいいと思っていたのですが、やはりそういう様子ではなく明らかに鬱屈した雰囲気を醸し出していたので、それが悲しくもありました。
もしお弟子講座を受けていなかったら、彼の心の内を聴く機会を得られないまま、自分のもどかしさや悲しさを押し付けてなんとなく嫌味っぽくなったり何かしら一方的な物言いをしていたかもしれないな、と思います。

しかし自分のことに忙しかった私は、そんな彼に構わずにいられた。
母親という最も影響力の強い外野にあれこれ言われることなく自分の中で葛藤を抱えられたことが、彼にじっくり自己と向き合う機会を与えてあげられたんだ。

彼の話を聞いて、そう思い至りました。


そしてそれまでの私には、息子14歳(当時)の内面でどれほどのことが起こっているのかが分からず、また、現時点のお互いで一体どこまで話が通じるのか?ということも分かりませんでした。
ここ数年、お互いに探り合うようにゆらゆらとさまよっていた親子間の目線が、この日の対話ですーっとフラットに定まってゆく感覚がありました。
あ、これからは、この目線で彼と向き合えるんだ。
彼は、ここまで成長したんだなあ。
そして、私も。
息子とフラットに目線を合わせられる私になれたんだ。


「受験勉強したくない」を、ではどうしたいのか?
それについて息子と話してゆく中で、「したくない、というのは本心である一方で、本当はしなくてはいけないんだと思っている自分もいる」という葛藤や、「落ちたらどうしよう」という不安(とはいえ勉強する気はないけど!笑)があること、だからといってその他の選択肢を含めた進路を考える気力は今は湧かない、といったことが分かってきました。
最終的にその日は
「受験勉強して少しでもレベルの高い高校に入らなきゃいけないっていうのは、世間から植え付けられた思い込みだよね?」
「勉強せずとも受かる高校に合格することで受験をやり過ごす、というのが、今の自分にとっての本音で理想だと思っている」
というところに行きつきました。

こうして日付けも変わるころ、彼は清々しく改めて受験勉強の放棄を宣言しました。


そんな話をする中で、私には否が応でも気がついたことがありました。
「(受験や学校という)システムに収まるようになんとか自分を納得させる考え方や解決方法を見つけ出そう」
息子のこの姿勢は、まさに私の姿勢そのものでした。
そうやってついつい枠に収まることを優先し、自分の力を抑え込んで本当の自分を出し切れない、エネルギー抑圧問題。
ああ、私たち親子、同じ問題を抱えているんだわ。
心の中でその事実をずっしりと受け止めました。

そんな抑圧なんて取っ払って、彼には少しでも早く自分の能力を発揮して自由に生きてほしい。
心からそう思いました。
思うそばから、そう願うのなら私自身が自分への抑圧をもっと取っ払うしかないのだということを、私は静かに受け止めました。


と真摯に受け止めたところで、さらなる自分のエネルギー解放へ!
講座は終わってるんですが、これからもずっと「自分に集中」で邁進してゆく所存です。

そうして私がまたひとつ自由になれたなら、きっと大切な人も自由にしてあげられる。
私がまたひとつ自由になれたとき、それは大切な人が私を自由にしてくれたのかもしれない。

そんなふうに思っています。


■真中 愛【ライフストーリー インタビュー/カウンセリング】

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