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翌朝のピザ

もともと人間関係は深く狭くな思想を持ちがちではあったけど、コロナを経て、家に呼ぶ人のことは本当に厳選するようになった。自分の心をまるはだかにして、たぶん相手もほぼまるはだかで、そうして話し、食べ、飲むみたいな、その時間が心地よく思える人しか、無理なくその時間を作り出すことができる人しか、家には呼ばなくなった。

昨日は、前職の先輩3人が家にきた。集まったきっかけ、というか口実は、うち2人とわたしがハマっていたアメリカのドラマ。重く美しく深いそのドラマについて話すことを目的に、ドラマを見ながら寛げる場所がないかということになり、わたしの家に白羽の矢が立ったのだった。

アメリカのドラマを見ることが目的なら、やっぱりピザがなきゃいけないな、と、大好きなヴィーガンのピザ屋さん、HOMECOMING VEGAN SICILIAN PIZZA でホールサイズのピザをテイクアウト。あとはチップスだったりサルサだったりゆでたとうもろこしだったりを用意した。

案の定、ドラマの話はほぼなく、笑
仕事のこと、デザインのこと、生と死のこと、結婚のこと、本のこと…次々に転がり広がる話題に、納得したりひっくり返るほど笑ったり、考えさせられたり。あぁ懐かしいな、この空気の中で仕事をしていたな、と、たゆたう濃い時間(といい感じにお酒が回った頭)の中で感じていた。

翌朝、お酒はまあまあ飲んだけど気持ちはすっきりと目が覚めた。ヨガをして、朝ごはんに残りのピザを食べようと、冷蔵庫を開いた。
温めるためにグリルにいれようとしたけれど、ふと思い立って冷蔵庫から出したまま、冷たいままのものを食べてみた。

冷たいピザは、なんというか、その存在感の密度が増すような気がする。ひんやりとしたソースとヴィーガンのチーズは、あたたかいときよりずっとジャンクで、よりはっきりと口の中で自己主張をする。ソースと合わさった生地は外側がすこしかさついて、内側のやわらかさを強調する。できたてのピザにはない、どこか背徳的なおいしさ。

キッチンで立ったまま食べながら、翌朝のピザのこの密度は、昨夜の時間の密度を吸収しているがゆえではないかと考える。冷たいままの残り物のピザに閉じ込められた、濃く深いけれど淡い思い出。温めたらきっと、溶け出してしまう。

そんなことを思いながら、ピザを噛み締めた朝だった。




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