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小さな世界を愛せるか"この世界の片隅に"
戦争のことを、知らない。
置かれた環境のそばにある、今ある愛する人たちとのちいさな生活。それは、抗うことのできなかった歴史と、そこで確かに生きた人の犠牲の上に横たわっている。
違う世界に見える、その過去を知らない。当時のことを知らないといけない、と迫られる。
ミュージカル「この世界の片隅に」を観てきた。
その後気になって映画も見終えた。
当時役割を背負わされた人たちは、自分の暮らし方を選べない。離れたくなくても個人や家族の気持ちでは選べない。
そうしたいわけじゃないけれど、避けることのできない役割を全うする人。
家を守りながらその人の帰りをじっと待つ人。
隣で手を握っていた子の生命の終わりに立ち会わされる人。
住居の安全もままならない、燃え尽きていく光景を前にして、なにも手の施しようがない現実。
そんな中でも小さく、生活は続いている。
食卓を囲み、暮らし、出かけ、同じ家に帰る。
大切な人を大切にする。
本当はそれができるだけでも十分なのに。
それを私たちは見落としてしまう。そういう世界に触れているときだけ、気づかされるものでいいのか。
小さなことで喜び、誰かに思いを馳せ、愛し、哀しみ、誰かを妬み、恥じ、怨み、気にかける。
悲惨な環境でも人を想い、人に煩わされ、惑わされ、生きる。それは遥か昔も、今も、いっしょだった。
そんな近くの人と離れることになっても、環境や社会が変わっても、記憶や思い出は消えない。当たり前のように家族とそばにいられない彼らは、記憶や思い出を過去にするのではなく、それを胸にして、今を生きる力に変える強さを携えている。
やがて記憶になる瞬間を、大切に共に重ねることができれば、その関係性が居場所に変わる。前に進まなければいけない状況の中で、思い出を築こうとする。
厳しい世界と、小さな手元にある世界。その対比が残酷で、家族は力強く、生活は尊かった。
片隅に確かに存在する、目の前に見えるそれぞれの世界をどう愛せるか。その向き合い方を見させられた観賞だった。
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