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物語-日記/noteを書く意味についての思案

物語を書くということについて最近よく考える。
小さい頃から、捉えた感覚を言葉で紡ぐことが好きで、ずっと好きだと思い続けられていることを聞かれたら"書く"ことと答えると思う。

大学生の時はいろんな場所に行って、たくさんの人と出会った。心が動く出会いが多く、「今しか感じられない温度感のあるうちにこの熱量と気持ちを記録したい」と日記などに留めていた。

社会人になっても、育てられて磨かれて、蓄積された感性はもち続けていたいと思いながら過ごしている。切り取る世界はだいぶ変わったけれど、社会に出たからこそ感じられることもある。
感じたことを言葉に起こすことで、あの時の忘れたくない、でもほっといたら奥に埋まっていってしまいそうな感覚を掘り起こして、握り直すことができる。そう思って書いていたけれど、最近はそれだけではない気がしていた。

そんなことを片隅で考えてたら、「物語をかく」ことについて記した本たちに出会うことが増えた。

僕は、このようなひどく現実離れのした、ある意味では荒居無稽なファンタジーを書かないわけにはいかなかったのだ。現実から目を背けどこかに逃避するということが目的ではない。むしろ逆で、今ここにある現実にもっと深く突っ込んでいくためには、物語という通路を使って、このような心の「とくべつな領域」に下りていく必要がどうしてもあったのだ。

村上春樹 初めての文学

新海誠がすずめの戸締りをつくる際、影響を受けたという村上春樹の作品。新海さんの言葉のようにも見えて、きっと近いものを二人とももっているんだろうなと感じざるにはいられなかった。考えを深めるには「下りる」プロセスが必要である、この表現とてもしっくりくる。

その恐怖や悲しみを受け入れるために、物語が必要になってくる。......つまり物語ることによってようやく、死の存在と祈り合いをつけられる。物語を持つことによって初めて人間は、身体と精神、外界と内界、意識と無意識を結びつけ、自分を一つに統合できる。人間は表層の悩みによって、深層世界に落ち込んでいる悩みを感じないようにして生きている。表面的な部分は理性によって強化できるが、内面の深いところにある混沌は論理的な言語では表現できない。それを表出させ、表層の意識とつなげて心を一つの全体とし、更に他人ともつながってゆく、そのために必要なのが物語である。物語に託せば、言葉にできない混遠を言葉にする。という不条理が可能になる。生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げてゆくことに他ならない。

生きるとは、自分の物語をつくること/小川洋子

小川さんの考え、もっと知りたいなと思ってしまうくらい、一つ一つ腑に落ちた。
人生で深く落ちていた時期に、何回も見ていただいすきなドラマがあった。きっとどんな人でも、外で見えるその人と、ひとりである時のその人で違う一面がある。
当時の自分は、表層的に生きなければ外で生きていけない、ということをわかってはいたけれど、深いところのかなしみや機微を蔑ろにできなかったのだと思う。

表層的なものと底流しているものがつながっていないことは、小川さんのいう"心を一つの全体"にして生きられてない違和感だと感じていて、だからあの頃はドラマを通して表層と心をつなげていたのだなと。
「外界と内界」を結びつけ統合し、ドラマの中の彼らとつながっていたのだろう。そして物語の中の彼らに自然と投影され、癒され、救われ、そのことに惹きつけられていたのだと思う。

人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うようにその人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。

生きるとは、自分の物語をつくること/小川洋子

ドラマから与えてもらっていたことがまさにこういうことだった。
書こうとすることで、下りることができ、心と向き合うことができる。それがしっくりくるのだと思う。

誰もが生きながら物語を作っているのだとしたら、私は人間であるがゆえに小説を書いているのであって、「なぜ書くのか」と聞かれるのは「なぜ生きるのか」と問われるのに等しい。まさにその問いこそが表層の鎧の奥に沈む混沌であり、それを現実的な筋道で説明できないのも当然なのだ。
.....同時にまた、現実とフィクションがこれほどまでに強く関わり合っているという事実に驚いたのでした。思い切り想像の翼を飛翔させ、どんなに遠く現実から離陸したつもりでも、物語は宙にふわふわと漂う単なる妄想ではなく、根は必ず、現実を生きる人間の内面と結びついているのです。

生きるとは、自分の物語をつくること/小川洋子

ぱっとことばでまとめられない感情がたくさんある。そこに下りてアクセスできるのが物語なのかもしれない。書くことは自分やだれかを救うことでもあり、表現することでもあり、生きることでもあるようだ。

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