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9月10月 上がったり下がったり

9月
小さいことに一喜一憂して
いやだなーとそっぽむきたくなったりでもやらなきゃいけないなと考える隙もなく気づいたら終わっていたり
自分たちを守るために決めたルールに虚しくなったり
笑い転げてたら前に進めていたり
落ち込んで切り替えて気づいたら戻っていたり
考えたって仕方ないときにはただ目の前のことをこなすことが必要だったり
楽しそうにうれしそうに話す姿にただうんうんと聞いてる時間がすきだったり

1人でぼーとしたり、会いに行ってよかった、一緒にいれてよかったと思える周りの人たちとの時間がくるくるした。

10月
笑いながら生活できるしおいしいご飯を作って満たされてもいるけど、ほんとうはすこしくやしくてかなしくてさみしい。そういう埋もれている気持ちにたまに気づいて、唯一できたことが静かなもう1人の自分に吐き出すことだった。受け止めるでもなく手を差し伸べるでもなく「ふーん、そっか。」とただ遠くからぼーと見ていた。

だれにも話せなくてもいい。全部を話せなくてもいい。それでも別に大丈夫だと思えるようになったくらいには生きやすくなったのだと思う。年を重ねて階段を登ったよう。

目の前の人の話を聞くことができたら、だれも傷つけず邪魔をせず、脅かされずに生きるスペースを確保できると思っていた。そんなときのことをたまに思い出す。今でも残像が心に浮かんでくることがある。
早く......なりたい。当てはまる言葉を探してもいまいちしっくりこない。その心象を直視しそうになる自分の頭を、違う方向にぐいっと変えて、目を逸らした先で新たなピースを集めようとするけど本当はがまんがまんとしている。
そんな自分に気づいちゃうもんだからくるしくてかなしくてさみしい。

大きく落ち込むのでなく、ただしんとしてそれを見つめる。あの頃のように誰かの胸にがばっと飛び込むことはないけれど、それくらいには生きれるようになったし、そうできなくてちょっとうら悲しいのだなと思う。

いつになったらじゆうになれるのか。考えたり考えなかったりしていた前半。

少し外を見る余裕が出たとき、
けろっと回復してることに気づく。

下がっても上がるタイミングがいつかくるってわかるようになったから、落ちているときの心もちもだいぶ軽くなった。

また繰り返すだろうけど、年を重ねるごとに、軽くなっていたらいいなと思う。


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