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歴史が動いている~第2弾『格差社会の「のろし」があがった?!~決して悲劇は悪夢だけではない!』

私>モーちゃん!!※

やっぱり、モーちゃんからも教えてください~!
(><;)/

※モーちゃん:モーセ意識のこと。対話しているマスター意識のことを親しみを込めてこう呼んでいます。

これからとか、社会情勢的にとか、何を気を付けていればいいですか?
このままでいいのかとか、どう生きて行けばいいのでしょうか?
( ´•д•`; )オロオロオロオロ…

教えてください~!

モーセ意識>>さて、今回一体何が起きたのか?

そなたたちは整理がついているであろうか?

関係各所は今、目の前のことに注力しないといけないであろう。

ではそうではない、しかし何が起きているのか知りたい者たちに話しおこう。

これは一体、何が起きているのであろうか?

【格差社会への「のろし」があがった】

いいかね。

こうしたテロめいた案件は、今に始まったことではないし、繰り返し起きている。

それは、電車で、それは医療機関で、それは民家の中で…。

そして、それは一介の市民が被(こうむ)ったものであれば、事故に巻き込まれたこととし、その対策をその目線から講じるのであろうが、今回は訳が違う。

これはテロだと断定してもおかしくない事案であろう。

では、その対策は市民が犠牲になったものと同じ温度感でいいのか?ということだ。

違うであろう。

つまり、今回のことで「格差社会ののろしが上がった」ということになる。

日本は、その「国」としての対策が考えられなければ、「なぜ起きたのか?」「これからどうすればいいのか?」の答えが導き出せないであろう。

では、一体何ののろしがあがったのであろうか?

それは、今回のことで誰のスイッチが入ったか?である。

つまり、国防についておざなりに考えていた者たちに、一つスイッチがいれられてしまったということになる。

国防は何も外国にだけではない。

これからもっと厳しい締め付けと、怪しいグレーゾーンへの人間に対しての「管理社会」にGOを出してしまったといえる。

つまり「私はここにいいるよ」と、そのグレーゾーンの人間が自ら自分で言ってしまったことになる。

自分の首を絞めるとはまさにそうで、そうした人間たちは(自分はグレーゾーンだと思う人間だな)この犯人に怒らないとならないな。

この者はもう捕まったからいいのであろうが、似て非なる人間は、何かしらの差別や被害を受けるであろうな。

【する側?される側?「それ」が格差を生む】

では、格差社会、管理社会とは一体どういうことかと言えば、それは「管理される側」と「管理する側」に分かれるということだ。

管理の締め付けが厳しくなるとはそういうことだ。

日本国民という当たり前の共同体感覚が、例え同じ国民であっても、管理される側と、管理する側になることで、格差社会となり、管理社会になるということだ。

もう、平等は本当になくなると考えた方がいいであろうな。

どっち「側」に入るかで、生き方が決められ、絶対に行き来はできない。

それも個人情報の考え方があるからな。

一度握ったデータを、誰も開示するわけがないであろう。

データを持つ側と、持たれる側といってもいいかもしれないな。

つまり、管理する側のスイッチが一つ押されてしまったということだ。

これにもう、誰も文句が言えないところまできてしまったということだ。

住基カード制に反対していた頃が懐かしいなぁ。

それは、管理社会とは「監視社会」ということであるからな。

今回のことをどこまで取り返しにくるか、今国民はその未来を知る由もないのであろうな。

【スピリチュアリティへのフェーズの引き上げ】

さて、ではそなたたちは一体これからどうしていればいいのであろうか。

それは「管理」されても、「監視」されても、なんら問題のない生活様式でいるしかないのだよ。

つまり、これはスピリチュアリティへのフェーズの引き上げであり、こうした鬱屈した想いを抱えているからこそ、大事件が起き、それは繰り返し、繰り返し、いつでも人類はそうなのだよ。

さて実は、無気力な人間が、大事件を起こすわけではない。

気概のある人間こそが大事件を起こすわけだ。

そのパラドックスに気付けるであろうかの。

それは、幸せな人間は一見「無気力のように」見えるからのう。

欲がない…というのであろうか。

そして、気概のある血気盛な人間は、そうした生ぬるい状況を嫌う。

それは、「幸せ」の本当の姿を知らないからだ。

だから、「本当に無気力な人間」と「幸せな人間」の区別ができない。

何か事を成している人間ほど素晴らしいように見えてしまい、何者でもない本当の成功者たちの実情を知る由もない。

それでは、その者の世界観はゆがむであろうな。

であるから、幸せな成功者こそが、もっと、もっと、分断の向こう側へと降りてゆき、本当の幸せな姿を見せて欲しいと思うがな。

では、それ(本当の幸せな姿)はどんなことかと言えば、

ただ家族といるだけで、幸せな時間がある。

ただゆったりとしているだけで、至福を感じている。

ただ目の前の仕事に当たっているだけで、豊かな時間を過ごしている。…

一見、無味乾燥に見えるその事象も、心のあり様は誰にも分からない。

(それは、ただ家族といて、のほほほんとし、するべき仕事をただしているにしか見えないということだ。それをつまらないと思う人間がいるからな。心までは分からない人間には、その豊かさは分からないからな)

それは、本当は「心のあり様」が大事であり、幸せの極意なのだが、それを当の本人たちも知らないからだ。

【いつでも「無知」が格差と分断を作る】

もうすでに持っているのに、「幸せ探し」をしている者たちのなんと多いことかのう。

であれば、格差を本当の意味で作る分断とは何かといえば「幸せを知る者」と「知らない者」との分断なのだよ。

幸せを知る者は、特別な物だなんて思っていない。

日常は代わり映えしないからな。

みな、そこを誤解しているのだよ。

今、自分の与えられた環境が普通の環境だなんて思わないで欲しい。

それこそが、極上で、最高の環境なのだと気づいて欲しいのだよ。

気付けた者から、分断の向こう側へと行くことができ、伝えることも、共有することもできる。

しかし、

「いや、こんなものはたいしたことはない。自分だって、これが足りない、あれが足りてない」

「いや、私はこれに困っている、これがひどいんだ」

と、持っているにも関わらず、ないもの探しをし、そこにありったけの表現力を使うのであれば、分断が進む。

しかし、今あることがどれだけ豊かなのかを、ありたっけの表現で表した者は分断を救う。

分断とは、幸せを知らない「無知」から作られるからだ。

知れば、ちゃんと作ることができる。

知らなければ、作ることなど永遠に叶わないであろう。

であれば、当たり前の日常を皆過ごしていないのであろうか??

ほとんどの人間が、代わり映えのない当たり前の日常を過ごしているではないかね。

それがどれだけ、極上で最高の日常なのか?そこを豊かに感じ入るのだよ。

分断を止めるには、その感じる力と、表現力を養うしかない。

とすれば、それは一見「無気力」のような、しかし豊かな心のあり様を感じ入っているその姿でしかないのだよ。

それが穏やかさであり、成熟しているということなのだよ。

管理社会、監視社会を変えることなく(野蛮な人間は、誰でも排除を願いたいであろうからな)しかし不当な管理をされずに、今を豊かに過ごすのであれば、これからの未来はしっかりコンピューター制御された、住みやすい街となるであろう。

もしそれに不安を抱くのであれば、その「心の不安の話」を聞いてやって欲しい。

【監視されるだけではなく、監視もすること】

手放しにしろと言っているのではない。

そなたたちだって、不当な扱いにはしっかりと監視しなくてはならない。

監視されるだけではなく、そなたたちだって行く末を見守るということは、事象に興味をしっかり抱き、無視しないということなのだよ。

いいかね?

いつでも、監視もせずに「いい人信仰」で相手をただ「妄信」するから、こざかしい人間はそのスキをついてくるだけだ。

こざかしい人間に付け入るスキを与えないことこそが、心優しき人間がしっかりと生き抜いていく術となる。

格差社会ののろしが上がった今、それでも大丈夫だと思え、未来をいい形だと思え、しっかり自分たちの方怠慢をしないと思える人間たちが、よりよい未来を生きられることとなる。

【幸せな未来へのパスポート~それは量子的思考】

今回の一件は大変残念なことであるが、これからの未来がいい方向へ向かう足がかりの「のろし」であるとしたら、彼が身を捧げた今回の一件は報われることであろう。

是非、国民皆が未来の行く末を考え、もう未来を無視しないと思いなさい。

悲劇は決して、悪夢だけでない。

ハッピーフューチャー(幸せな未来)への次元シフトだとしたら、歴史がまさに動いた瞬間だと言える。

その未来を生きるかは、そなたたちの視線どこへ向き、何を見ているのか?にかかっている。

今がどうであろうとも、未来を無視せず、未来に興味を持ち、そして今の営みを信頼し、今を生き、そこからさらに未来へ爽やかな期待を抱きながら、また改めて今を感じ入りなさい。

それが、ハッピーフューチャー(幸せな未来)へのパスポートとなり得るであろう。

いいかね、分かったかね。

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私>はぁ~!!なるほど!

本当に今回のことは怖かったですし、あってはいけないことが起こってしまったので、

「未来も何もないよ~!!」
。°(´ฅωฅ`)°。

と思っていました。

でも、マスターにこうして話してもらって、少し落ち着きを取り戻しました。

何が起きたのかも、なんとなく分かってきました。

今、時代は進んでしまっていますけど、やることは本当に変わらなくて、今の現状が例えどうであろうとも、未来を見据え、爽やかな期待を抱きつつ、今感じていることをちゃんと感じて(癒す必要があれば癒して)、そして今ある「自分の」豊かさを腹落ちさせることなんですね。

それが「ハッピーフューチャー(幸せな未来)」の入り口のような気がしました。

それが分からない限り、どんな未来でもいい未来だとは感じられないなぁと思います。

今、目に映るだけのものではなく、それをどう心に映すのか?という、視線の先を選ぶのは「自分でしかない」と思いました。
(ง ˙˘˙ )งウン!!

そうした、「見たい未来を見る人たちだけ」が、その先の未来(ハッピーフューチャー)を生きられるんですよね。

それが、量子力学的な発想ですよね?(難しい~ですけれども!)

「…今が豊かなんて思えないよ~!」って思うこともありますけど、でも絶対今豊かなんですよね。

うん!!その先から未来を見つめていこうと思います!

もう17年も前から言い続けていますが、今回も言わせてください!

ん~、モーちゃん!

いつも勉強になります!!

꒰* ॢꈍ◡ꈍ ॢ꒱.*˚‧アリガトウゴザイマス!

これからも「スピリチュアル・カウンセラー」の地位向上と、良質なカウンセラー育成のためにまい進していきたい思います!是非、ご賛同していただけると嬉しいです♪