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寛容な子どもの居場所の話。

80年代〜ここは学習塾、ピアノ、習字など子供達が集う、近所の小さな寺子屋。僕は小1から小6まで毎週土曜日、ここで習字をならっていた。習字の先生はいつも着物を着て綺麗に髪を結っていたおばあちゃん。その先生は僕らのことをたったの1度も叱らなかった。『拓ちゃんの字は力強い』『〇〇ちゃんの字は伸びやか』『〇〇ちゃんの字は個性的で先生大好き!』どんな字でも手放しで褒めてくれた。みんなそれが嬉しかった。それぞれが好きな時間に来て、習字を書き終えると先生が用意してくれたお菓子を『1人1個』もらって帰る。ビックリマンチョコ、プロ野球チップスetc....終わったらもらえるお菓子がとにかくみんなの楽しみだった。

わんぱくざかりの少年たち

ここに通うこの中には、机の上に乗ったり、墨のついた筆をブンブン振り回したりして教室を墨だらけにする子もいた。そんな時も、先生は『あらあら』と雑巾で拭いてくれていた。特にやんちゃだったひとりの聞かん坊を時には「おい!静かにしろ!」と疎ましく思う高学年たちもいたが、絶えず動き回るその子の後を、額に汗を光らせながらも柔和な表情で追いかける先生との原風景。今思えば、その子の個性を認め、大きく包み込んでくれていたのだと気付かされる。だからこそ僕らは、大人になったあとも、83歳で生涯を終える時までその人のことを「先生」と呼んで慕っていた。当時、この地域に暮らす僕ら子どもたちの人格形成において、紛れもなくその習字の先生は、多様性を受容してくれる、大きくてあったかくて懐の深い一人の大人だった。

地域の文化がつくられる場所

さくら文化教室内部。さくらさんの旦那さんと息子のあっくんが修繕している


今僕が経営する古い特別養護老人ホーム「ミノワホーム」から徒歩20秒。あらためて「さくら“文化教室”」って良い名前だなぁと納得した。「さくら」は先生の娘さんで、僕の幼馴染あっくんのお母さんの名前からきてる。この看板はその先生が書いた当時のまんま。1980年初頭から、ここにはこの地域の小さくも豊かな子どもたちの「文化」が形成されてきた。ここで注目すべきは馬場少年が、あの場所の本当の意味と価値に気づくまでに30年を要することと、そのわんぱくだった子は今は立派で素敵な青年になっているという事実。近視眼的で即効性を求める「教え」ではなく、合理的配慮のキャパを担保しつつ、寛容で、分け隔てない伸びやかな「場」を再提供していくことが、いま、僕ら大人に求められていることなのではないだろうか。そして、先生が教えてくれていたように、このまちの小さな「文化」をつくるのだ。


「分ける」ということ

近代以降の社会は合理化のために「分ける」ことをしてきた。もっと身近なことでいえば僕らもそうだ。これはいる物、これは要らないもの。この服はお気に入り、この服はもうそろそろ捨てよう。そうやって、分け、整理する。しかし、物事を分ければ分けるほど、整理すれば整理するほど、僕ら人間は同一の価値でその二者を見れなくなる。区別をするようになる。ダライラマ14世の言葉に「砂の上に一本の線を描いた途端に、我々はこちら側とあちら側という感覚を育てる」というものがある。福祉事業なんかをしていると、まさにそうゆうことだなぁとよく思うことがある。


カミヤト凸凹保育園

社会福祉法人愛川舜寿会が運営する児童福祉施設「カミヤト凸凹保育園」では、障害のある子どもたちが通うための支援事業が提供されている。この園の理念を練っていた開園前、僕は「インクルーシブ」という言葉ではなく、いわゆる「障害」のある子どもたちと健常な子どもたちが共に過ごすことができる環境を実現したいと考えた。保育園は「分ける」ことのない場所でありたいと願っている。しかし、福祉施設は行政システムに影響を受けるため、障害福祉課と保育課に分けられてしまっている。これでは同じ年齢の子どもたちでも「分かれてしまっている」という感覚がある。だけど、僕らは現場でなんとかできることを工夫して実現したいと思った。行政システムを変えるには時間がかかるが、僕らの場合、現場力を結集すれば移り変わることもできる。そして、それが地域社会はもとより、子を持つ親御さんたちに小さくも、一筋の希望になることだってあるんだ。


名前にはわずかに意味を含ませたい

カミヤト凸凹文化教室のはじまり

何をするにも、言葉にはこだわりたい。“人は伝えきれない想いを伝えるために言葉を覚えた”と何かで見たことがあるが、そのプロジェクトが何かを表すことのできる名称には「わずかにでも」意味を含ませたいと考えるほうだ。言ってみればこれは、我が子に名前をつけるときと同じようなものだ。僕の「拓也」と言う名前は「開拓」の拓を使ったらしい。(母親が幼稚園教諭だったときに拓也という可愛い子がいたということが第一歩らしいが)。
障害児通所事業であるこの事業所の名称を考えるとき(法的には事業が異なるので固有の事業名称が必要)、同じ園舎なので同じ名称で良いのでは?つまり「カミヤト凸凹保育園」で良いのではとも考えたが、中には中学生や高校生も通うことから、必ずしも放課後に乳幼児のいる「保育園」に通うことが彼らにとって誇らしいことになるかはまた別の視点が必要だろうという想いに至った。そのことから、単独の名称を考えることになったのだ。そこで色々思案する中で、最終的に行き着いたのが、前述の「さくら文化教室」という名称とその存在。まさにこれだと思った。そんな経緯を辿って、厚木市認可保育園「カミヤト凸凹保育園」の中に障害児通所支援事業「カミヤト凸凹文化教室」が爆誕したのだ。天国にいる先生もきっと「あら、いい名前ねぇ」と昔のように目尻の垂れた柔和な顔で喜んでくれているように思う。

1980年代のあの頃、僕らわんぱくな子どもたちを先生が額に汗して追いかけ、それでも笑顔で包んで抱きしめてくれたそんな時間と時代。子どもたちの健やかな成長と、本当の意味で多様性を認め合う肌感覚を育むような毎日を重ねていたあの子どもの居場所「さくら文化教室」と同じように、僕らもそんな毎日を丁寧に重ねていきたいと思い、願っている。

先生、ありがとうございます。

*1 障害児通所支援事業・・・障害のある児童や発達に心配がある児童に、療育を提供する障害福祉事業。※カミヤト凸凹文化教室では、児童発達支援(未就学児)・放課後等デイサービス(就学児)を展開。


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