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6月24日「自転車」

自転車を停めている倉庫から出ると小雨が降っていた。本降りとまではいかないけれど、徐々にうっとうしくなってくるような予感がする程度の雨。玄関まで戻って傘を取るのも面倒なので、そのまま駆け出すことにした。
サドルに体重を預けて気がついたのだが、後輪のタイヤの空気が抜けてきていた。これではスピードが乗らない。立ち漕ぎでペダルを踏み込んでいく。
路面はうっすらと湿っていたのでブレーキをかける時には慎重になった。しばらくすると、眼鏡のレンズに水滴がついて景色が見えにくくなってしまった。
神経をいつも以上にすり減らしながら、這々の体で職場までたどり着き、誰もいないバックルームで頭を拭いた。

びしょ濡れとまではいかないが不快感を覚える程度には湿っていた。こうなることは予期できたはずなのだが、目を背けて自転車にまたがった結果がこれだった。
働く前からうんざりとしてしまったけれど、オハヨーと元気に挨拶をして出勤してきたパートの主婦のマスクが異様に派手でウケた。黒地に金色の星が飛び交っていて、右下には鮮やかな虹がプリントされていた。車の中にマスクを忘れてきてしまったが、戻るのも億劫になって鞄をほじくり返したところ、くだんのマスクが発掘されたらしい。
どんなセンスをしてるんだよとは思った。でも、出落ちみたいなビジュアルのおかげで幾分か元気が出たので感謝だった。主婦は、今日も頑張ろうねーと言いながら仕事を始めた。

昼過ぎ頃に出勤してきた年の近い女の子が思いつめた表情で、漠然とした質問を投げかけてきた。仕事や将来に関することだった。
普段は阿呆な会話しかしないのだけれど、たまにこういうことがある。働く中で負の感情というか、小さな悩み、言葉にできないような不安が出てくると、それを投げかけられた。僕の立場から定点観測をしたところ、ふたつきに一回くらいの頻度のような気がする。
周りに同僚がいる環境でできる話でもないので、休みが合った時には喫茶店で茶でもしようということになった。二ヶ月周期でそれを言っている気がするが、その会合が達成されたことはなく、いわゆる世間体というところに収まっていた。そもそも僕らの休みが合うことはほとんどないので、どちらかが仕事終わりの重い腰をあげる必要があった。
今回は必ず行こう、と今までとは違うパターンの終わり方をして各々の仕事に戻った。
それも無意識の世間体だろうか。

夕方になると主婦たちは子供のお迎えや夕飯の準備のために退勤していく。派手なマスクをつけて、じゃあね、と威勢良く飛び出していく姿を見ながら母は強しだと思った。それと入れ替わるようにして学校終わりの大学生たちがぞろぞろとやってくる。
ソーシャルディスタンスくそくらえ、と言わんばかりのバックルーム。お手本のような三密の中で、雨風がやばかったですー今日はリモートだったから家から出たくなかったー、みたいなのんびりとした世間話を聞く。
本屋大賞のやつ面白かったから読んでください、と言われたので、調べておくねと答えた。今思い返すと冷たくあしらってしまった感があった。世間体も大事なようだった。

ひどい天気のせいなのか、客足はあまり伸びず、余裕のある一日が流れていた。最近は忙しい毎日が続いていたのでたまにはこういう日もよかろう、と思った。
お店を綺麗にすることに軸足を置いた。埃やシミをひたすらに綺麗にしていった。見えないところも拭きあげていった。そういった細部に神は宿る。いや、本当だろうか。冷蔵庫を引っ張り出して掃き掃除とモップがけをすれば、そこに神様が宿るのだろうか。社としては最悪の部類だろうが、ともかく、綺麗は心地の良いものだった。

帰り際、店長から学生アルバイトの話を聞いた。
あまりいい話ではなく、声量を抑えながらの会話になった。僕がなんともできる話ではないけれど、ひとまず耳に入れておきたくて、とのことだった。了解しました、と話がひと段落したところで何人かが休憩のためにこちらに来たので「「お疲れ!」」と僕ら二人は爽やかな笑顔で出迎えた。大人の対応が身についているな、と自分に感心した。

なんとなく、大人になるみたいなことは楽しいことだと不意に思った。大人になることは自由になることだといいなと思った。世間体や秘密ごとは増えていくかもしれないけれど、自由になること、それは悪くない気持ちをもたらしてくれるような気がした。
家への帰り道は今朝と全く同じ空模様だった。眼鏡の水滴が疎ましかった。いろんな人に救われたり、救っているのかもしれないなと思いながら、誰もいない路地裏を選んで自転車を走らせ、煙草が吸いたいなあと思いながらぼんやりと帰った。

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