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気仙沼レポート4

 気仙沼のこと! 
■ずっと燃えていた場所■
 私の泊まったホテル望洋というところのすぐ側に鹿折唐桑という場所があります。そこは、ニュースなどでずっと燃えている映像がながれたところです。ホテルの人に頼んで、そこを案内してもらいました。私が駅からホテルまで、歩いた道にはまだ人が住んでいる気配がありましたが、そこに一歩足を踏み入れると、また別の世界に来たのかという錯覚に襲われました。住んでいる人もいなければ、歩いている人もいません。家はほとんどなく、見晴らしがいいのです。瓦礫も撤去された後なのでしょう。たまに残っているのは、運べなかった船の残骸です。カラスだけがうろちょろしています。案内していただいたホテルの人が、「もう見慣れましたか?」と聞くと、「見慣れるわけないね。」と一緒に歩いたボランティアの人が言います。ホテルの人は、「ぼくは、もう見慣れちゃいましたね。」と答えました。私は、まだまだ、目の前にあって、頭で分っているのにも関わらず、やっぱりこの目の前のものが信じられないという状況でした。目の前にあっても、信じられない状況というのがあるんだという事もその時の収穫の一つかもしれません。不思議な体験です。歩いていると、「あー、ここには車が刺さってたんですよ。」とか、「あそこには、建物があったのにもう片付いちゃってますね」という言葉が上がります。見晴らしの良くなったその場所は、燃えてしまって一面茶色い物体で覆われていたと言います。沢山の戦地を見てきた人が、ここを見て「今まで見てきたどこの戦地よりもひどい」と言ったとか。今は片付いているその場所に、想いをめぐらせます。 

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■八月十一日■
 私が行ったのは、ちょうど地震から5カ月の日でした。午後2時過ぎ、走る車から「ウゥーーーー」というサイレンの音がしました。地震があったら、すぐに避難するように言われていたので、また津波が来たのかとその音に不安になりました。そして、すぐにそれがちょうど5カ月目の地震発生した時間だということがわかりました。一緒にいた皆で、長い長い黙禱をしました。夜は、灯篭流しをやっていました。まるで天の川のように海上を流れていきました。空には明日満月かと思うような月が出ていました。

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■亀の湯銭湯■
 歩いていると、「ゆ」という文字が見えました。おばちゃんが、「入って行きなさい。お金はいらないのよ。」と声をかけてくれました。そこは、百年も続く銭湯。自衛隊が撤退して、今まであった自衛隊風呂というものの代わりに、市が簡易のお風呂をこの銭湯に設置し、管理をおばちゃんが任されているそうです。道端に、椅子とテーブルが置いてあり、「麦茶飲みなさい」と言って、冷たい麦茶やお菓子を出してくれました。冷たい麦茶の美味しいこと。そこで小一時間ぐらいおしゃべりをして帰りました。帰り道、さっきまで通っていた道が、海に沈んでいました。気仙沼は1メートルぐらい地盤が下がったそうです。道が海に浸水するという不思議な体験もしました。

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