気仙沼レポート3
フェリーに乗って!
■大島■
一日目、様子を伺って大体のボランティアの流れがつかめたところで、二日目の活動について考えました。せっかく来たのだけれど活動できる日数も少ないので、ここは力仕事に精を出そうではないか。宿で一緒になって、仲良くなった学芸大学附属中学校の国語の先生と、次の日の活動について話し合いました。大島は、気仙沼からフェリーに乗って十分ほどの島です。島ということもあって、まだまだ瓦礫が残っており肉体労働だということでした。島での交通手段も整っておらず、気仙沼VCで、一日に大島へ行ける人数は十四人です。せっかくだから行こうではないか!二人で意気投合しました。
気仙沼VCでの活動は、早いもの勝ち。朝7時にホテルを出て、大島に挑みました。計画通り、十四名に入ることができ、大島への切符を手に入れました。
■肉体労働■
自分で望んだ仕事なのだけれど、正直不安がいっぱいでした。まず、この日は入道雲がもくもくと、太陽がギラギラと輝くほどの快晴。カンカン照りです。晴れ女の称号は、このときばかりはいらないと思いました。とにかく暑いのです。作業内容は、草むらの中にある瓦礫の撤去作業です。草むらといっても、私の背丈よりも三十センチぐらいも高い草たちです。それを、先頭の人がなぎ倒します。ハチの巣がうっかりあると、刺されてしまうのでハチジェットを常備しています。そして、その藪の中からは、ドロドロのヘドロに塗れた、家の残骸が出てきます。柱についている金具などから、ここはお風呂の一部だ、などと想像ができます。木材には、これでもかっていうほど、五寸釘がとび出ていて、長靴に鉄板を入れていても横から踏み抜く人続出です。破傷風にだけは、ならないようにとのことですが、正直防ぎようがない気もしました。炎天下の中、木材、畳、ガラス瓶、布団、トタン屋根、様々なものを運び出しました。泥水を含んだ畳というのは、本当に重くてグニャグニャで持ちにくく厄介です。家に、五寸釘をどれほど大量に使っているかということも分りました。ハチに刺された方もいて、ハチの毒を抜くフランス製のグッズなんかの存在も初めて知りました。暑く、きつい作業の中、もうろうとしながら、そういった発見を楽しみました。経験しないと分らないことだらけです。そして、究極の物体が出てきました。「冷蔵庫」です。私が行ったのは八月十二日だったので、ちょうど震災から5カ月が過ぎた日でした。5カ月ぶりに開かれる冷蔵庫の中には、ジップロックや瓶など、料理上手のお母さんとその家族の姿が容易に想像できました。ただ、その中身はドロドロに溶け、今までに嗅いだ事のない異臭を放ちました。「ぅうっ。」
臭いによって、吐き気を催したのは初めてかもしれません。とにかく、臭く、目の前にある物体のドロドロ感にやられるのです。「ニュースで臭いは伝わらない!」良く耳にする言葉ですが、本当にそうだと思いました。
休憩の時に、木の陰で昼寝をしていた姿を見て、国語の先生はミレーの「午睡」のようだとおっしゃいました。その時の私にはそんな余裕もなく、疲れ果てて純粋に寝てしまっていました。一日頑張っても、できた作業はほんのこれっぽちと思うと、この5カ月でどれだけの人が汗したのかが想像できます。一人の力の無力さを感じると同時に、一人一人の小さな力が無ければ復興は進まないのだということも感じました。
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