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いろいろと整理していたら

思い付きでいつも初めてしまうので、いろいろと気が多くていろいろと中途半端に今までやってきた痕跡が多い。

ブログを整理していたら、以前書いた気仙沼のボランティアの記事があったので、ここに記録として残しておこうと思う。311から9年が経つそうで、311からちょうど5か月後の夏の話である。


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気仙沼レポート1

■ボランティアセンターへ■
 震災のボランティアといっても、どうやって行けばいいのか、参加はどうすればいいのか、現地がどうなっているのか、分らないことだらけです。しかし、今この時に現地に行ってみなくては、そう思ってボランティアセンターに電話しました。現地での宿泊先を確保して現地入りをするようにとのことでした。
 石巻にボランティアに行った人が沢山いたので、あえて違う場所に行きたいと考えた私の頭に浮かんだのが気仙沼でした。気仙沼の宿に片っ端から電話しては断られました。数件目に電話したところで、ホテル望洋というところが、ボランティアの方を雑魚寝で良ければ受け入れているということだったので、宿を確保し、私の気仙沼ボランティア行きが決まりました。
■降り立った日■
 東京までは飛行機で行き、東京からは夜行バスで気仙沼までの臨時便に乗って行きました。朝6時半ごろ気仙沼駅に着きました。駅や駅周辺は、本当に震災があったのかと思うぐらいに、何の変哲もない片田舎の駅という印象をうけました。高校生たちが学校に行こうとたむろしていたり、おじちゃんがランニングしていたり。日本全国変わらない、朝の風景でした。とりあえず、港の方へ歩いてみよう。駅から港までは、1~2キロのところなので、行ってみることにしました。
 港の方へは、ずっと坂道を下っていきます。見渡すかぎり、さっきと変わらない普通の風景です。私は、「石巻の方が、今もボランティアを沢山募集していたので、きっと被害も大きく自分のできるボランティアが沢山あったのではないか。」「気仙沼では、人手は足りているのではないか。」「学校に帰って、皆に伝えられることはあるのか。」と少し不安になってそんなことを考えていました。ちょうど右に曲がる曲がり角に差し掛かり、磯の香りが漂ってきました。そろそろ、港かな。そう思って角を曲がった瞬間、さっきとは全く違った風景が目に飛び込んできました。「ああ、これか」私はそう思いました。
 道を通る人はいるのに、なぜか冷たい気持ちがしました。音も静かで、どこか違う町に迷いこんだ気がしました。しかし、その壊れた家の前を歩く人は、その風景が当たり前のように、何事もなかったように通り過ぎています。私だけが、珍しいものでも見るように。
 テレビで見た風景と同じものが目の前にあります。テレビでは、震災直後の映像も山ほど見ました。目の前に映る風景は、ちゃんと目の前にあるのに、どこか別の場所にあるような、現実とは思えないような(まるで映画を見ているような)感じがしました。それでいて、テレビで見慣れた、ある意味当たり前の風景のような気もしました。この時の気持ちは、今でもなんとも表現し難いのですが、風化した風景のように受け取れました。ただ、気持ちだけは何とも言えない悲しい気持ちになったのを覚えています。次の日に、ボランティア等を通して、町の人と会話することによって、また町から受ける感じ方が変わったので、それはまた次回。


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