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気仙沼レポート5

この文章は、9年前に書いているので、今見ると恥ずかしい気持ちですが、せっかくなのでその当時のまま残しときます。当時は先生をしていました。これらのレポートは生徒向けにつくったものです。

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 被災地を巡って今思うこと 
■地震、津波と原発■
 ホテルでは、今回の震災について語り合う機会があった。地震発生から5カ月間ずっと気仙沼に住み復興支援をしている若者がこのホテルのボランティアの受け入れを担っている。その人が私たちにいろいろ投げかけてくる。「福島の20ミリシーベルトの問題について、教員はどう考えているんですか。」「今までの基準から20ミリシーベルトまで引き下げられて、おかしいと思ってても、国がそう定めたら子どもには安全ですって言うんですか。」正直私の中では、それはニュースの中での問題で、私の問題として捉えていなかったことに気づく。出す言葉も、考えもないのである。「教員に会ったら必ずこの質問をするんですけど、全然そのことに関して関心がない先生もいたし、国が20シーベルトという基準を出してるんだから、安全ですって言う人もいました。でも先生が一番子どものこと考えて知ってなきゃいけないんじゃないんですか。」
その人の言う通りで、私はこの問題について、スタートラインにすら立っていなかった。「福島で会った子どもたちは、首から放射線の数値を計測する機械をさげてるんですよ。でもそれは、ここは危ないって知らせるものではなくて、ただ、今まで浴びた放射線量を測定するだけのものなんです。その子どもたちが『僕たち人体実験なんですよ』って言ってて、それについて何も言えなかったですね。」私の知らない世界のように、現地では沢山の問題がある。直面してないというだけで、私はこんなにも考えていないのかと、恥ずかしくなった。そして、何より考えたくない問題でもあるように思った。その場にいた、五十を過ぎた先生が、「教員は、子どもの命をあずかってる以上、知らないじゃだめなんだよ。ちゃんと知ってないとだめなんだよ。」と言った言葉が深く胸に刺さった。私にも知ることはできる。知ろうとすることはできる。
■原発と原爆■
 どうしても行きたくなって、広島の平和記念資料館へ足を運んだ。「以前、世界平和に必要なのは何だと思いますか?」という質問に「人類滅亡」と答えた私だが、この資料館の中でも「
人間は本当に滅びればいいのに」と思った。他の生きものたちは、無闇に殺生をしない。人間だけが、欲のために命までもを奪う。自分も自己中心的に生きていると思うが、人間というものは、人間中心に世界を考えている。自然が世界の中心であるという考え方で、世の中は回っていない。組織化された社会では、一人ひとりがそれぞれにおかしいと思っていても、一人の人間の手の届かないところで、社会が回っていく。だれが社会を動かすのか。お金持ちか?政治家か?本当に民衆か?そして、人間は忘れる。どんなに反省しても、忘れて、繰り返す。資料館では、広島市から送られた、原爆や水爆実験に対する抗議文をすべて展示してあった。数として、量として、目の前に示される。小学校のときを思い出す。修学旅行前に平和教育を受け、原爆の恐ろしさを学んだ。原発のことも習った。原発の事故は、チェルノブイリとスリーマイル。原発って恐ろしいのに、日本にもあるんだという驚き。昔は技術が発達していなかったからチェルノブイリは悲惨だ。日本にあるということは、もう大丈夫なんだ。一瞬の疑問は、順応へと変わった。疑問視すらしなくなっていた。資料館の中で、地震の被災地のような写真を見て、焼け爛れた人の写真を見て、思う。なんで原発をやってもいいって思っちゃったんだろう。今更思う。今だから思う。日本は昔から自然災害と共に暮らしてきた。諸行無常が染み付いている文化だ。西洋の文化はどこか普遍的。建物も精神も。百歩譲って、西洋で原発を良しとしても、日本ではやっちゃいけなかったんだと思う。被災地の方は、また違うのかもしれないが、地震の被害、津波の被害というものは、悲しみを乗り越えて、自分達の手でまた頑張ろうという気持ちになる。形あるものは壊れるし絶対と言うものはないし、何より自然の力に人間は無力だ。ただ、原発に関してだけは、人間がもたらしたものだ。例え地震や津波が引き金となっていたとしても、やり場のない憤りをどこにぶつけていいかわからない自分がいる。

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