富士山に登る、前の話。
高校時代の女友達、大ちゃんとやっこ、そして私の3人で、出会って10周年目となる26歳の夏に、富士山に登りに行った。
ある日、“そろそろ出会って10周年を迎えるから、何かでかいことをしよう”という話になったのだ。
そこで挙がったのが富士山に登ろう案。
そのときには、男子メンバーも一緒にいたのだが、「大変そう。辛いの嫌」「富士山かぁ〜、ボーリングだったらな〜」「富士山。なんか惹かれないなぁ」「今じゃない気がする」などと御託をダラダラと述べる情けない塊と化していたので、女子だけで行くことにした。
登山そのものが初めてに近かった私は、まず富士山の情報をネットで読みあさった。
その結果、私にはまず基礎的な体力づくりと、完璧な装備が必要だという判断に至った。
そこで、1ヶ月ほど前から市民プールに通い、ランニングも始めた。
また、当時付き合っていた彼のお父さんから、サイズがぴったりだったトレッキングシューズと、登山用のステッキを借り、原宿のノースフェイスで登山用のダウンと雨よけカバーを買い揃え、酸素吸入スプレーを2本調達。準備は万端だ。
これで快適な富士山登山が楽しめる!
、、、はずだった。
いよいよ、当日。
富士山へは、五合目までバスで向かい登っていくため、集合時はそれぞれラフな格好だが、バスの中で各々のフル装備に着替えた。
思いの外、二人とも普通のスニーカーだった。しかもステッキもなし。
「いやいや、ちょっと、あんたたち、富士山なめちゃあかんよ!」
と、言ったものの、私もなにせ初めてなので自信は持てない。
“思っていたより意外と楽に行けるのやも?”と、フル装備であることが一瞬恥ずかしくも思えたが、“備えあれば憂いなしだ!”と言い聞かせ、バスを降りた。
5合目に到着すると、空気が違う気がした。腕を思いっきり広げて新鮮な空気をヒューーッと吸い込み目線をやると、少し先には、富士山が高くそびえ立っていた。
私達は入山口に向かうため、石階段を登った。
“いよいよ”
不安、喜び、恐怖、やる気、色んな感情が湧いてきて胃のあたりがキュンとした。
足を一歩一歩すすめ登る。
すると、段々と足取りが軽くなっていく不思議な感覚に陥った。
“あれ?すんごい軽くなっていく!”
と、なんだかワクワクしてきた。
すると、私のすぐ後ろを登っていた大ちゃんが、「愛子ッッ!!!!!」
と私の名前を叫んだ。
振り返ると、大ちゃんが顔を天にのけぞらせて大声で笑っているではないか!?
“何なに?糞でもふんじゃったか?”
などとくだらないオヤジギャグを心の中で放ちつつ、ふと、足元に視線を下ろすと、なんとトレッキングシューズの底(ソール。一番大事な)部分が、ベロンと剥がれているではないか!!
“がーーーーん”。
大ちゃんならではの、笑い袋のような誘い笑いが、富士のふもとでケタケタと響き渡り、やっこは笑いすぎて泣きだしている。
私の頭の中では、「ゲームオーバー」の文字が、彼女たちの笑い声をBGMにチャラチャラ踊っていた。
トレッキングシューズは、登山などの砂利道などに対応するためのジグザグとした頑丈なソールが肝なのに、これがこれまた綺麗〜にはがれているではないか。
ステッキがなくとも、雨よけがなくとも、トレッキングシューズだけは、、、。
“あれだけ調べて万端に準備したのに”。
その場に崩れ落ちそうになった。
富士の5合目には売店があった。とりあえず店に入る。するとお店のおじさんが寄ってきて「お疲れ様!靴がボロボロじゃないか。よく頑張ったな!」と言ってきた。
「いや、これから登るんです」と小声で告げた。すると、大ちゃんとやっこがまた笑い袋になっていた。
驚いたおじさんが「おぉ💦!そ、そうか!ちょっと待ってな!」と江戸っ子風に言い放ったかと思うと、店の奥からテープ紐を引っ張り出してきてくれて、私の靴にこれでもか!というほど強く入念に巻きつけてくれた。
そのおかげで、無事に富士山を登りきれた。しかもご来光までばっちり拝むことができた。
頂上に到着した瞬間、まずは“おじさん、ありがとう〜〜”。と、心の底から思った。
まさか、富士山に登っているときよりも、その前のほうがエッセイのネタになるなんて、なんだか情けない。
いや、“アッパレ!我が人生にハプニングあり!”
ではないか。
そのたびに、周りに助けられて、私は今日も元気に生きている。
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