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♯12.心動いた日

🌱 変化 🌱

人との出会いや、自分の変わりたいという思いが重なり、変化していることを実感しています。

 人生で出会う人がすべて、自分にとって意味があることなのか…そこまでは正直なところ今の私にはわかりません。 

 誰かが言っていた言葉で、何者かになろうとするのではなく、等身大の自分を知る。

 そう言うことなのだろうなと感じれるようになってきている実感があります。

「私は私のままでいい」と良いと思えて、楽になりました。

🌱 育ち 🌱

 生きにくい人生でした。
 幼少期の親との関わりが大きいと学んでいます。

 機嫌の波のある母親の影響で、帰宅して玄関のドアを開けるのに毎日ビクビクしていました。

 機嫌が悪い時は、有る事無い事の説教が数時間コンコンと続き、時にはすました顔を見て憎たらしいと髪の毛を引っ張られてひきづり回されることも、蹴られることもありました。


私は、なんでこんなに怒られているのだろうと…


 考えても、考えても、答えはでませんでした。
 それどころか、「そんなことも知らないの?」と言われる度に、知らないことがあるとか、そのことの情報をキャッチ出来ていない自分が恥で、なんでできないのだろうと感じていました。だから母親の説教が私には理解できなくて、毎回こんなに怒鳴られているのか… いや、そんな風に怒られるようなことは何にもしていないのに悔しいという気持ちの方が強かったかも知れません。いわゆる私は親の顔色を見ていて良い子でしたから、怒鳴りつけられる意味は全く分かりませんでした。

 私は性格的にマイペースなところがあって、内容によっては理解に時間がかかることもありましたし、幼少期からやっていた水泳の影響で中耳炎が悪化して聴力が弱くなり、会話自体が聞こえにくいことがありました。

 人の顔色をうかがうようになってからは、良くも悪くも空気を読みがちで、会話の流れを止めることを遠慮して、聞こえていなくても分かったふりもしてきました。

 賢い方にはとっくに見抜かれていますが、母からは理解できていないことや知らないことに突っ込まれていて
「そんなことも知らないの?常識だよ。恥ずかしい。」と、時に公共の場で大声で晒されることもありました。

 こんなことをされ続けると、自信を失い萎縮するばかりでした。私は能力が無く、要領も耳も悪いんだなと思って、自分の感情に蓋をしていたのだと思います。


 母はいつも機嫌が悪いわけではなく、すごく良いときもあるのです。
 だから、余計に自分がいけないのかと混乱する日もありました。

 この家庭環境は、私にとっても妹にとっても安全基地ではありませんでした。

 今思うと、母は孤独であったとわかる言葉があります。
 『私がいつだって、自分のことよりもあんたたちのことを第一に考えてきて、困らないように、何でも先に先に1人でやってやってきたのよ。』という言葉でした。

 🌱 きっかけと出会い 🌱

 2年前に、clubhouseを通して、赤羽雄二さんに出会いました。

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毎週土曜日、朝9時から『ゼロ秒思考』赤羽雄二の「何でも相談カフェ」〜「自信がない、子育てが大変、夫・彼氏の共感性が低くて」という人、克服できた人、みんな集まって!』というルームに聞きに行ったことがきっかけでした。


 このルームではリスナーの方の多くが、毒親や愛着障害のことで悩まれていました。
 毒親という言葉はキツイ言葉でしたが、まさに私が悩み続けてきた家庭環境は、母が毒親だったからなんだと腑に落ち、自分の状況に気付くキッカケにも繋がりました。

 私は「もう二度と振り回されたくない。余計なことで悩んだり、理不尽さから解放されたくて、生きにくさから抜け出したい。」と思っていた中での出会いでした。
 自分の生き方の悩みの種がわかったこと、私だけじゃなかったと思えたことは、大きな変化への財産でした。

 勇気を出して、登壇しました。ど緊張でした。
 こんな私の話は、リスナーの方にとって不要な話だったかも知れないと当時の私は感じつつも、話せて嬉しい、赤羽さんに私の話を聞いてもらえたという喜びの方が強かったのです。

 そんな風に赤羽さんに背中を押してもらう度に、「話を聞いていて勇気をもらいました」と言ってくださる仲間にも出会いました。

 2年が経ち、clubhouseで様々な仲間との出会いや関わりを通して、今まで何で親の機嫌に振り回されているのか答えが出ずに悩んできたけれど、そもそも悩む問題ではなかったとの気付きや、この環境は異常だったこと、私は自分で自分の生き方や関わる人を選ぶことができるのだと思えるように変化しました。

🌱 仕事を通してやりたいこと 🌱

 現在、保育教諭として、3歳児クラスの担任をしています。
 母親としては、19年目。
 息子たちには、私のようにはさせないと思っていて、やりたいことの選択を任せられるようになりました。

 保育士としては、様々な家庭環境を親子との関わりの中で感じています。
 愛着障害のある子どもたちもいます。
 その子どもの保護者の方は、毒親に育てられている背景も、日々の関わりやコミュニケーションの中で聞かせて頂くことがあります。

 今の私にできることは、目の前にいる親子を孤独にしない姿勢だと思っていて、子どもにも保護者にも、話を聞かせてもらう姿勢を大事にしていきたいと思っています。


 クラスの中での取り組みとしては、『こども会議』を始めました。
 実際にやられている保育園でのドキュメンタリー映画にもなって刺激になりました。

 私が始めた目的は、子どもたちが自分の思いを言葉で伝えられること、友だちの思いを聞けることを大切にすることです。

 自分を表現して良いんだとか、自分と友だちの違いを知り、それは当たり前のことであって、互いに認め合えるって素敵だということに気付いてもられるきっかけになって欲しいと思ったからです。


 この様子は、保護者にドキュメンテーションを作って、視覚的にも伝えています。
 私の保育者としての眼差しから、良くも悪くも子どもに向ける見方のヒントになってほしい。

 子育ての仕方が分からないと言われる保護者が多くいるのが現実です。

 こうしたリアルなことをやり続け、発信もし続けていき、この1年間の成長を見てほしいとも思っています。

 大人の子どもへの見方の変化から、子どもを見守っていくことの大切さを私自身も実感したい。     そして、良かれと思ってという大人の余計な言動を少しでも減らすことが、子どもたちを1人の人間として尊重することになり、自分自身も学んで成長できるということへの気付きに繋がっていけば嬉しいと思っています。

一緒に変わりませんか?

最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。

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