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「道場の掃除」について考えてみた(とてもテクニカルな話)【後編】

【前編】では、
「市営道場の掃除」という個人的な経験を通して見えてきた、掃除(などの伝統的な修行法)の効果について書いてきました。

↓ ↓ 【前編】はこちら ↓ ↓  

【後編】では、
「掃除」のような伝統的な修業法(修業としての「作務」)を言語化する必要性やそのデメリット、そして、「公設道場を掃除すること」についての、私の中でのまとめを書いています。


(4)伝統的な修行法を「言語化」する


①「言語化」の必要性

掃除をしながらこんなことを考えていたのですが、ふと、昔ながらの修行法の意味や効果に思い至りました。

日本の伝統的な技芸には、内弟子制度がつきものです。昔ながらの内弟子は、師匠のお宅に泊まり込み、家事をしながら修行をした、という話をよく耳にします。植芝盛平先生(合気道の開祖)の直弟子へのインタビューにも、そうしたお話が出てきます(『決定版 植芝盛平と合気道〈1〉〈2〉開祖を語る直弟子たち』,どう出版)。

しかし、現代ではそうした修行法は流行りません。師匠の側にも、忙しいとか、弟子を家に置く余裕がないという事情もあるでしょう。

これについては何よりも、弟子(技芸を習う者)の側が、遠回りを嫌うようになった、という変化の影響が大きいと思います。ネットで検索をすれば、大抵の技術はYouTube等で学べますし、オンラインでプロに直接教わることもできます。「師匠の家で掃除をして、なんになる」と言われてしまえばそれまでです。

ですが、昔ながらの修行法にも合理的な意味を見出すことができます。ここまでに書いたように、「掃除」だけを見ても、学ぶ力や心構えを築き上げる効果が(少なくとも私にとっては)内包されていることがわかります。

技芸のお師匠さんや職人気質の親方などは、昔であれば「黙ってやれ」「技は見て盗め」で通りました。

なぜならば、YouTubeなどの「近道」が弟子の側に用意されておらず、師匠や親方から教わることが、学ぶための唯一の方法だったからです。弟子は、師匠や親方から言われたことに対して、自分で「意味」を見出すしかありませんでした。

しかし、こうした学び方を続けることで、弟子はどのような事に対しても(掃除でもなんでも)、そこから自分にとっての「意味」を見出し(時にはこじつけながら)、自らの学びに変えていく力を獲得していきます。

こうした力は、変化が激しく正解の見えない現代だからこそ必要なのだと思います。ですが、多くの人が「正解への近道」を求めることに労力を割くようになった現代では、到底受け入れられません。

昔のように「黙ってやれ」では、昔ながらの修行法は、「無駄」の一言で切って捨てられます。せめて、「こうした良い点もあるから、試しにやってみるのはどうだろう」と示すための「言語化」が必要ではないかと感じます。

今回、このように文章化することで、昔ながらの修行法の意味や効果を、自分の中で再認識するようになりました。それと同時に、「(ある程度の)言語化によって効果を明示する必要性」も感じています。

②「言語化」のデメリット

一方、「言語化」によるデメリットも、もちろん存在しています。

人の耳は、自分の聞きたいことしか聞き取れません。説明をしても、そのほとんどは聞き流されるか、または聞く側の解釈によって変形されます。

1人の先生から同じ話を聞いても、人によって切り取る部分が異なり、その解釈が異なることは、必ず発生します。先生が口を酸っぱくして言うことでも、ほとんどの人の耳には聞こえていない。そんな事態もよく見られます(もちろん、私にもそうした点が多々あるはずです)。

言語化することによって、聞き流されたり、ましてや間違った解釈をされるくらいなら、「言葉にしない」という選択もありだと思います。

昔のお師匠さんは説明をしませんでした。
合気道の創始者である植芝盛平先生は、ほとんど説明をされなかったそうです(*1)。また、その直弟子である多田宏先生(合気会本部師範・最高段位)も、少し前まではほとんど説明をされなかったと、道場の先輩たちから伺いました(今は手を替え品を替え、表現を替えて説明してくださいます)。

師匠が言語化をしないことで、弟子は師匠の言動をよく観察するようになります。そして真似る。こうした過程で得られる気づき・学びは、言葉で表層的に教わった学びと比べれば、遥かに深く、確固とした確信に裏付けられたものとなります。こうした学びのプロセスが、技芸における先人達の観察眼を鍛え、さらなる技芸の探求につながったのだと思います。

(*1)植芝盛平先生は、技に名前をつけることすら嫌ったそうです。これは、技は生み出される(湧出する)ものであり、常に変化するものだから、「名付け」によってそこに留まってしまうことを嫌われたからだと思います。しかし、それでは後進が学べないということで、吉祥丸先生(二代道主)を始めとするお弟子さんが、名付けと体系化を行いました。そのおかげで、今もわれわれが、迷うことなく稽古を続けられています。

(5)「公設道場」のお掃除


① 時間借りの道場では難しい

話を「掃除」に戻します。

時間借りの道場の場合、時間内で準備をして稽古をする。さらには、次の利用者のために最低限の掃き掃除をする。2時間の枠であれば大慌てです。

ましてや見えないところの雑巾がけなど、時間がもったいなくて、できるものではありません。私のような(今は)道場生も仲間もいない主催者だからこそ、今回のような大掃除ができたといえます。1人でも体験会の参加者がいたならば、出来ることではありません。

時間借りの道場を清潔に保つことの難しさは、今回のことで身に沁みてわかりました。時間借りの道場を「自分の道場」と思える人が、せめて少し余分に掃除してみる。少しでもそうした考え方が広まれば嬉しく思います。

②「自分の道場」という感覚があったほうが良い

私が稽古にお邪魔していた同門の合気道月窓寺道場では、稽古が終わると全員が掃除道具を手にして掃除を始めます。誰かの指示が飛ぶことはありません(必要ないからです)。

箒組が縦一列に並び、ごみを順々に掃き渡し、最後に待ち構える人が掃除機で吸い取る。雑巾で拭き掃除をする人もいれば、廊下や玄関を掃除する人もいる。誰もがその行為を「自然のこと」として行っているのが印象的で、私はその時間が大好きでした。

「合気道至心会」は公共機関の武道場を時間借りするので、最低限の掃除以上を道場生にお願いするつもりはありません。

ですが、当会の道場生には、稽古をする場所を「自分の道場」と思えるような、自分なりの方法を見つけてもらいたいと思っています(それは別に「掃除」でなくても構いません)。その方が、きっと合気道は上達しますし、明るくのびのびと稽古ができるはずだからです。

木枠の奥から掻き出したごみ


(本文終わり)



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