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17. 未来への恐れに勇気を。”手放し”はじめる。“引き出し”が増え、可能性が拡がる。

英語への劣等感克服に向け、語学留学を決意。スパルタ校に申し込む。

今だからこそこのように受け止められているが、当時は言葉通り胸が苦しかった。いえ、既に感情を感じる機能が麻痺していたことで、つらいことすら感じられていなかったかもしれない。自暴自棄にはなっていたであろう。三人目のパートナーは何でも聴いてくれるような人であったが、だれかと一緒にいる時はいつも気が張っていた私は、正直にすべての思いを打ち明けられてはいなかったであろう。自分の中に、悲しみや悔しさ、惨めさが渦まいているのを、大切な人に知られるのも恥ずかしかった。心の拠り所がなかったのはつらかったであろう。当分、組織に属したくはない、、人間が怖いよお、、と感じていたに違いない。あの頃、どのように過ごしていたのだろうか。

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毎日下を向いていてはつまらない、一層に惨めだ、と感じたのかもしれない。すこし時が経てば、自分の道は自分で切り開くしかない!と自分を奮い立たせ、上を向いて突き進んでいたようにおもう。心の内には恐れがあり、受け止めきれてはいなかったが、引きずられてしまいそうな人と適切な距離を取り、いつも自分が味方となり背中を押していた気がする。その意味では、心がそれなりには強かったのかもしれない。幼少期に培った自己効力感が手を貸してくれていたのであろう。また、東京に導かれた時からずっと、強く願えば、強く願い行動すれば、直感に従えば、すべては叶っていくことを体感していたことも、後押しになっていたであろう

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さっそく、半年前に感じた英語への劣等感を克服するために、海外にある語学学校を検索。度重なる引越資金や解約金、当時は靴や服などの浪費が多かったことも合わさり、お金に余裕があまりなかった。そのため、とにかく安くそして超真剣に集中して取り組める体制、かつ、ある交渉をしたかったので日本人が経営している学校を探すことに。アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア辺りが語学学校では人気であるが、渡航費含め、とてもじゃないがお支払いできる額ではなかった。物価の安さや独立前はアメリカの植民地となっていた背景から多くの国民が英語を話すことが注目されたのか、フィリピンはセブが学びの地として話題になりはじめていた頃であった。日本の英語学習者のための情報ポータルサイト English Hacker を運営していた友人のご紹介を受け、ある学校に出逢う。Twitter でお問い合わせをし、やりとりをする中で、長期休みが終了してからの人が少ない時期に参加させていただく運びとなった。

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正社員という選択を手放す。社長室立ち上げに参画。たのしかった♡

時間があるなあ、どうしようかなあ、と思っていた矢先、上京後はじめての冬に出逢った知り合いから連絡をもらい、わくわくしていた。元起業家で羽生結弦氏似の彼は、精悍な表情と仕草が美しく、聡明さと可愛らしさが滲み出る魅力で、これまでに出逢ったことのない独特の雰囲気を兼ね備えていたことで、長らく気になる存在。海外にも事業展開する一部上場の大手人材総合サービス会社で、社長室を立ち上げるにあたり、彼が社長室長に就任することになり、「暇なら手伝ってほしい」というお誘いであった。彼と仕事できることに跳ねよろこんでいた自分が容易に想像がつく。語学留学に行くまでの一、二ヶ月間だけお手伝いさせていただく約束で、業務委託で参画。二社連続で苦労した“正社員”には懲りごりしていたため、自由度が高くも緊張感もあり、敬意を持って仕事しやすい待遇がありがたかった。社長室は、いわゆる社内スタートアップ的な立ち位置で、新規事業の立案から企画、運用までを予定。そのためのリサーチや採用、主にエンジニア採用のお手伝いを簡単にさせていただいた。二人で仕事をしていたのだが、ご迷惑をおかけしたことも多々あったに違いない、ごめんなさい。彼の丁寧かつ的確な指示、スマートさや敬意、いたずら心があふれる背中からは多くの学びをいただいた。本当にありがとう、誘ってくれて、一緒に仕事させてくれて。

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こちらの職場では、会長室と社長室の隣に人事部が位置し、どれほどに“人”を司る人事という組織を大切におもっているかが伺えた。当時、人事部の皆様には本当にかわいがっていただいた。これまで同様に小生意気であったはずの私をさらっと受け入れてくれて、敬意を表してくれた人たちであり、私も大好きであった。おかげ様で、のびのびとしていられて、一社目同様に仕事もしやすかった。ああ、お世話になりました。今改めて振り返ると、彼ら彼女らのひとりひとりが、穏やかで、派手さはなくも優しく、落ち着きと活気、責任感があり、堂々とはしていてもエゴが強くない人柄の人が多く、また、チームがお互いに信頼と好意を寄せ合い、一団となって調和していたことを思いだした。毒素やどろどろした感じは微塵も感じなかった。まるで、たけのこのように真っ直ぐ育った中学一年時のクラスメイトたちのようだ。

会社としての器の大きさや社風、大切にしているなにかというのは、社員ひとりひとりの人柄や器に表れるのであろう。こういう人たちが育つ組織を築いている経営層やマネージメント層は、目先の短期的な成長よりも、長期目線で人を育てることを大切にし、注力していることが見受けられた。こちらの組織で関わった人の多くが、今も在籍していることを知り、「あなたを大切に想っています」が経営層から伝わってくるからこそ、“義”が育まれ、貢献したいとおもい、身を置いていたい人が多いのであろうと感じた。

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中でも、無邪気にたのしく過ごしていたのは、創業者兼代表取締役会長とお話している時間であった。彼は大きな笑顔と身体で存在感のある人であった。社員を大切に想い、お慕いしているのが伝わる接し方をされていたのが印象的。また、社員が彼を尊敬しお慕いしていたのも伝わってきた。会長室にお招きをいただいてはうれしそうにぴょんぴょんとお伺いし、好奇心にあふれた彼からの質問にお答えしたり、話題のスタートアップやサービスについてお話したり、事業アイディアの壁打ち相手にならせていただいたり、一緒にランチをさせていただいたり、濃い瞬間を紡がせていただいた。三回り以上歳上の畏敬な存在に対し、私があまりにも物怖じせず接していたことで、社員の皆様からはご感心いただいていた。そのようなコミュニケーションを取る社員はおらず、珍しかったのであろう。得意技は懐に入ることかもしれないね。勝手ながらに、私にとって彼は、家族のようなあたたかい存在、本当に大切なお慕いしている存在と感じている。

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また、秘書の女性とは懇意になり、とってもお世話になった。実は、長らく彼女に失言したことを後悔している。感謝していて謝りたい人の一人であった。言葉にするのも忍びないが、人を信頼できない状況にあった当時の私は、人からの愛の大きさをお金で換算する品性のない卑しい癖があった。細やかに気が利く優しくしとやかな彼女は、私の誕生日に大好きな香水を贈ってくださった。それは特別なセットでいいお値段のするものであり、彼女は心から気持ちよくしてくださったのだが、その背景には無知な私の在り方から表れた言葉が関係していることを感じており、大変申し訳なくおもっているのだ。知るに値しない下衆な価値観を、高貴で清らかで純粋な彼女の心に与えるきっかけを作ってしまったことを深く悔いている。心から赦しを請います。また、どれほどに無茶を言えども、いつも微笑んで受け止めてくださったね、ありがとう。今も贈り物を大切に眺めています。美しくさり気なく咲く一凛の花のような彼女の存在にありがとうを込めて。

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結局、一ヶ月の延長をお願いいただいたほどには、双方にとってよろしい時間となった。その状況がありがたい、よろこびあふれる。秘書を務める彼女に合わせる顔がないと感じ、なかなか連絡をすることができていなかったのだが、ようやく自分の愚かさを言葉にし、素直に認め、受け止められたことで一歩だけ彼女の心に近づけたような気がする。彼女が受け止めてくださる日が近くに訪れることを願って。また逢いたいな。遠くない未来に、笑顔の花咲く皆様の表情を拝みに、オフィスへ足を運ばせていただきたい。ひとりひとりの心の安寧が、社内の安寧があられることを心から願って。改めて、導いてくれた友に深い感謝を込めて。

セブでの暮らしを通して、日本に貢献したい気持ちと感謝が湧いた。

いざ、参らん!日本以外の国で、はじめて“暮らし”を味わうことに。過ごし方は人それぞれ異なるため一概には言えないが、当時の私にとっては旅行と暮らしは異なる感覚であった。暮らすとなると、郷に入っては郷に従えではないが、自然と溶け込むように、現地の人や暮らし方に意識が向きやすくなる。彼らとの何気ない会話が増えたり滞在時間が長いことで、その地により浸透していきやすくなり、一定の固定観念がすこしずつ薄まっていき、これまででは捉えにくかった存在や状態にも気がつきやすくなる気がしている。どうしても固定観念や心の癖で反応しがちになる私たち。あるがままに観て、反応せずに、受け止めるというのは口ほどに容易いことではないことを、日々幾度となく知らされている。

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寮に入った私は、人生初の“未だ知らぬ人たちとの”共同生活を送ることに。トイレやシャワーも現地仕様な四人部屋。日本しか知らず固定観念に埋もれていた私にとって、衝撃の連続であった。外を歩いても、携帯を触っていれば、「その携帯ちょうだい」と言わんばかりに、幼い少年たちがぞろぞろと集まってくるようになる。「お金を恵んで」と若い女性が赤子を抱いて、必死な表情で伝えてくれる。セブはリゾート地として有名ではあるが、当時は落ち着いた安全安心のリゾートといった雰囲気は海辺の方だけで、道を歩けば貧富の差が垣間見えていた。寮の食事にせよ外食にせよ、新鮮な食材を得にくいゆえか土地柄の嗜好ゆえか、揚げ物が多い印象であった。

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異なる地の暮らしに触れていく中で、これまで当たり前として疑わなかった存在に気がつきはじめた。太陽が光で地球にいる生きものを包むこんでくれているように、日本という国が国民に与えてくれているあらゆるものやその状態に、細やかに意識が向くようになった。経済的豊かさの土台があるからこそもたらしてもらいやすい、清潔さや医療体制、衛生管理、インフラ設備による安心、治安の良さや安全性、望めば平等に与えられる学びの場やそれを形作っている教育制度、暮らしをもっと豊かさをと思える余裕そのものが表す食の美味しさへの追求、といった潤沢な恩恵を真に感じた。また、日本人固有の美的感覚や趣深さ、日本人の気質と評される礼儀正しさや勤勉さ、妥協せずにやり抜く精神を、自然と身につけられてきた環境に対し、これまでで最も感謝と誇り、素晴らしさを感じた。この瞬間からであろう、日本国への貢献の気持ちを抱きはじめた。

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日本が抱えている社会問題にはどのような内容があるのだろうと想い、当時書き出したのを記憶している。

・興味があり(取り組んでいて楽しいと思えること)かつ、改善余地の幅が広く、国から評価されるべき価値がある事業をすることで、日本に貢献したいと考えています。(評価されれば、必然とお金は動くので)

・国内で環境作りの向上をした上で、その知識、経験を国外(特に発展途上国など)に共有できるようになれば、海外から見た日本の価値が更に上がり、より大きな意味で貢献できるのではないかと感じています。文化や宗教、国民性の相違から国内で成し遂げるよりも、一段と難易度は上がるかと思いますが、だからこそ、やりがいもあるかと思っています。

・取り組みたい社会問題や貢献方法:私は女性に生まれたので、女性の働く環境の向上にはとても興味があり、そこに注力したいと思っています。

あれから七年弱が経ち、多くの人や暮らしに接してきたことで、固定観念が溶解し、思いの姿に変化は見られるが、根底には変わらぬ想いが全身を包み込みあたたかくしてくれているように感じる。ひとりひとりが生活において安心安全を感じられるように、情報や技術の共有が利権争いなく調和をもって進むことへの願い。私個人にできる範囲として、在り様や行動を背中でお伝えしていく中で、女性だけでなく男性にも貢献できることがあるであろうということ。こうして半生を綴った物語を書き、お届けしているのもそういった思いが背景にある。

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“引き出し”が増えたことで、憧れの会社への扉が開いた。

語学学校は、希望通りのスパルタ指導で、理論的に組まれたカリキュラムに沿って、朝から日暮れまで英語漬け。暗記が苦手な私にとって、英語は中学時代から大大大の好きじゃない科目。真面目に取り組もうとするも苦闘した。随分と若くして先生をしている女性たちが、励まし応援してくれる様や一生懸命に教えようとしてくれる姿勢に胸が打たれ、がんばれた。彼女たちの存在に大いに感謝している。

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ある日、友人からのメッセージで跳ね上がってよろこんだ。世界を代表する某検索サービス企業の日本支社にて新プロジェクトがはじまるので、それに向けて人を集めるという話であった。彼女の友人が新プロジェクトのマネージャーということで、「愛華ちゃん、興味あるかな?」とご連絡をくれたのだ。なぜ、私にとおもうかもしれない。私が一番そうおもったくらいには。幸運なことに、Facebook やブログに英語で文章を投稿しはじめたたことで、まわりの人が「愛華」を連想する上で、これまでになかった英語という“引き出し”が、増えていたようだ。人の印象はこうやって形作られるのだなあ、と興味深かった。

直接連絡を取り、セブで何度かお話を重ねる中で、プロジェクトの第一参画者に決まった。私は顔が広いと感じていただいたようで、他にもメンバーを集めてほしいと希望を託されることに。約三ヶ月ほど滞在を予定していた留学を、一ヶ月半にて切り上げる決断を下す。熱心に交渉したにもかかわらず、自分の都合で予定変更する図々しさには驚くが、自分の願いに忠実な私の懇願を受け止めてくれた貴校には感謝しかない。

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オファーをいただいてから一ヶ月強、間もなくして、プロジェクトが動き出す。NDA を結んでいるため、詳細については一切だれにもお話したことはないが、蓋を開けると、まさに私が関わりたいプロダクトと巡り合うこととなった。あのときの興奮や自分を信じた選択への祝福は大きいものであったろう。その上、その企業の日本支社では non-Japanese の割合が四割ほどを占めることや、そのプロジェクトでは本社の人と関わるため仕事で英語を実践的に使える状況など、願ったり叶ったりであった。毎日のオフィスでの食事も、新たな友人との出逢いもたのしかった。満たされていた。

が、ほどなくして、急遽プロジェクトが明日で終わるとお知らせが入った。本当に突然であった。本社が他拠点含め STOP をかけたのである。当時は相当驚いたが、今おもうと外資系企業あるあるである。こうして、夢にまでみた企業での参画は幕を閉じたが、短い期間でも世界トップクラスの社内環境や制度に触れられたことは非常に有意義であり、感謝している。

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突然の終了に際して、大変申し訳なくおもっていることがある。長らく胸の奥で刺さっている棘が今でも痛む。私はメンバー採用を積極的に行っており、興味ありませんか? と興奮気味に何人かの人にご連絡し、熱烈勧誘させていただいていた。関心を寄せてくれた人の中には、ご自身が参加していた活動を止めてまで本プロジェクトへの参加を決めようとしてくださっていた人が数名いた。が、突然終了したことで彼女たちの想いや葛藤を不意にせざるを得なくなってしまった状況に大変申し訳なく思い、悔いているのだ。より具体的には、期間も不明な中、無責任に誘ってしまった自分に対し、無念さと憤り、落ち込みを感じている。採用は本人およびご家族の人生において大きな選択となる。軽はずみに行っては、両者が unhappy になることが多い。「あなたを大切に想っています」を前提に、適切な材料をご提示し、ご本人が十分に納得するための時間を与え合う。一方の都合で相手を急かすことなく、できるだけ両者が納得を得られる適切な期間を設けて“待つ”ことが大切だと感じた体験であった。改めて、彼女たちに謝罪の意と関心を持ってくれた感謝をお伝えしたい。そして、遅ればせながらで恐縮ではありつつも、赦しを請えればと願って。

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本プロジェクトへの参画を経て、英語への劣等感および学歴への劣等感が、自然と克服されていたことは救われる思いであったであろう。学歴や培ってきた能力が望んでいる状況と異なっていようとも、過去は変えられなくとも、今自分ができることを丁寧に必死に向き合っていく中で、自分の願いを叶えてあげられることができるんだ、と自信につながったはずである。泳ぎは好きでも、大自然そのものである海への苦手意識が強い私が、シャチに触れたり、スキューバダイビングの資格を取ったことも自信の後押しとなったであろう。先のことは“わからない”恐れは多少あれども、それ以上の勇気を胸に一歩ずつ足を踏み込んでみると、見たい景色を開ける扉があると信じて。

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お気持ちを添えていただけたこと心よりうれしく想います。あなたの胸に想いが響いていたら幸いです。