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建築論の問題群 01  〈形態言語〉  静かな文法の発見  

山村健(東京工芸大学准教授、ガウディ学研究所)

「新古典主義時代の建築は文法が高度に体系化された建築である。スフロが設計したパリのパンテオンがその最高峰であり、言語と形態が体系化された最高に美しい建築である!」*1

この言葉は、香山壽夫先生が日本建築学会大会で話された言葉である。
私はこの言葉にとても強い衝撃をうけた。

新古典主義の建築に対してこんなにも生き生きと、そして力強く語る言葉を聞いたことがなかったからだ。自分が学生のときに受講した西洋建築史の講義において、新古典主義が登場していたかですら記憶が怪しい。そんな自分にパリのパンテオンを「最高に美しい建築」と称する香山先生の言葉が強く印象に残った。
 
その秋から早速、香山形態論の読解をゼミに取り入れた。20代の学生と30代の私で、「建築の形態分析」(a+u 73:11, pp. 3-16)から『建築意匠論講義』までを精読し、香山形態論を紐解いた。(香山形態論の変遷については、市原出先生のnoteに詳しい。)香山形態論に当事者として接していない我々にとっては、約50年を経た現在でも新鮮で、ゼミ内で香山先生の述べる共通言語は現在の建築において存在するのかという議論に発展した。かつてのオーダーのような規範の欠如や、幾何学的構成を忠実に実践する必要性のなさを指摘する意見もあれば、グラスホッパーやコードを用いて形態を生成する手法こそが世界中の建築家が用いている新たな共通言語だという意見もでた。つまり、議論が制作の問題へと展開し、それは内発的な制作と、外的な要因による制作の問題へと展開していったのである。おそらく、この議論に結論はない(だろう。あれば教えてほしい)。しかし、現代は香山先生が指摘するようにゴシック時代のような共同性・一体性の意識が希薄な現代において、一つの言語を選択することは不可能だと思われる*2。
 
香山先生は大会で次のようにもおっしゃっていた。

「モダニズムはフランスの建築アカデミーが体系化した言葉を切り捨て、新たな言語で話し始めました。その結果、どの都市も画一的で面白みに欠けてしまいました。新たな言葉はまだあやふやです。今こそ、誰にでも分かる共通言語としての[カタチ・コトバ]の再建が重要なのです!」と*3。

これは香山先生が、過去の賛美とともに未来への可能性について示された言葉である。
そこで、私なりに形態と言語の未来を考えようとしたとき、ラテン語は話者が消え去ってしまったが、ロマンス語にラテン語の文法が残っていることにヒントがあると直観した。
建築論では、V・スカーリーがF.L.ライトの建築に古典的構成を見いだし、C・ロウがル・コルビュジエの建築にA・パラーディオを見いだした。彼らの指摘は、近代建築が表向きは新たな言葉を用いているにも関わらず、その裏には古典的な文法が息を潜めていることを看破したのだと私は捉えている。
 
現代建築を評価するにあたり、スペインで19-20世紀に活躍したアントニ・ガウディ(Antoni Gaudi, 1852-1926)が引用されることがしばしばある。構造的合理性や、有機的な造形、コンピューテーショナル・デザインなどの先駆者としてガウディを位置づけることで、その建築の特徴が説明される。しかし、それはガウディ建築の本質を捉えているとは必ずしもいえない。
言語と形態の関係で考えるならば、ガウディの最大の功績は線織面という、それまでにない形態の文法を発見したことにあろう。そのガウディが形態と言語に関して残した興味深い言説がある。

「建築家は装飾家のように漠然と話すべきではない。建築家は具体的に話すべきである。彼の言葉は幾何学である。各々の機能にふさわしい形態を、あるいは性格を与える形態を発見することは建築家にふさわしい。なにものにも同じ形態を与えるのは技術者である。それゆえ、技術者は性格のない建物をつくるのである。線織面の使用は、造形的卓越性と建設の容易さのために合理的である。(中略)支持柱に適切な形態は…螺旋面である。ヴォールトは内側から見られる双曲面を求める。放物線はすべてを結びつけ、またすべてと結びつく。螺旋面の断片は放物線であり、双曲面の断片も同様である。フリーズ全体がこの歪みある面の連続である。…」*4

前半は、香山形態論に通底する部分もあるが、ここでは後半の太線部分に注目したい。ガウディは放物線があらゆる幾何学を結びつける言語であることを指摘している。これは、サグラダ・ファミリア聖堂の柱のデザインに実際にみられる手法である。螺旋的に上昇する柱の柱頭とそこから枝分かれしていく枝柱は、異なる幾何学形態によって構成されているが、それぞれが線織面に分解された「線」として連続していくことで、連続的な形態を生み出している。ガウディはゴシック建築に対する批判的考察から出発し、その建築言語間に内在する不自然な接続方法を欠点として捉え、その解決方法として古代ギリシアの言葉と言葉のつなぎ方を参照し、新たな接続方法、すなわち文法を発見したのだ。ガウディ建築が現代も引用され、さらに人々を人々を魅了(=魅惑)している理由の一つは、ガウディが発見した文法を未だに誰も習得できていないからだと推察される。
 
「カタチ・コトバ」の再建に文法の発見がヒントになるとは香山先生ならびに門下の方々にお叱りをうけるかもしれない。しかし、少なくとも私にとっては、古典と現代を結ぶ文法の発見が、「カタチ・コトバ」を再建する一助になるように思われる。それはガウディのみならず、近代やさらには前近代の建築家達が発見した文法とその再解釈にこれからの可能性があるだろう(個人的にはG.レヴェレンツやJ.プレツニックらに期待を寄せている)。それが次なる建築を考えるヒントであり、フランス・アカデミーを脇にやり、世界中で次なる形態を模索している現代の我々だからこそ実践できるアカデミックな建築論的思考なのではないかと考える。

*1、2019年大会パネル・ディスカッション時の論者によるメモ。
*2:香山壽夫『建築を愛する人の十三章』、放送大学業書、2021.
*3:1に同じ
*4:入江正之編訳『ガウディの言葉』、彰国社、1991


山村健プロフィール
2006年早稲田大学理工学部建築学科卒業。2006-07年バルセロナ建築学留学。2009年早稲田大学理工学研究科建築学専攻修了。2012年早稲田大学創造理工学研究科建築学専攻博士後期課程修了、博士(建築学)。2012-2015 年Dominique Perrault Architecture入所。2015年早稲田大学建築学科専任講師、2020年4月より東京工芸大学工学部建築学科准教授。2017年TKY-Lab開設。同年建築デザイン事務所YSLA ArchitectsをNatalia Sanz Laviñaと主宰。

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