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Vol.30 終わらない親孝行

私は子どもの頃からおとなしく
親の言うことに逆らわない。
(気性の荒い母には怖くて逆らえない)

家の手伝いは普通にしていた。
(負担になるほどではない)

勉強は優秀ではないけれど
そこそこできていた。

問題のない、普通のいい子だったと思う。

だから、両親は私に対して
指図したり、余計なアドバイスはなかった。

進学のときは親に相談することなく
勝手に決めていたし、
それについて何も言われなかった。

今思うと
私が両親の思い通りの娘をやっていたから
文句がなかったのだと思う。

親孝行な娘だった。

両親の私への口出しが始まったのは
就職して5年経ち
一旦仕事辞めることにしたときから。

結婚は?
普通はもう結婚するんだよ。

と始まった。

けれど、学生時代からずっと付き合っていた人と別れてしまい、
彼氏がいなかったので結婚の予定はない。

そのあとは

この記事に書いてある状態になってしまい
母から「戻ってくれば?」と言われ、

精神的なダメージが大きくて
独り暮らしに自信がなかったので
実家にもどった。

採血恐怖に苦しみながらも
夜間救急の当直アルバイトをしていたが

そろそろ就職しなきゃなぁ

思い始めた頃、母から

「◯◯市立病院にでも就職すればいいよ」

公務員で安定しているだろうという気持ちで
言ってきたのだろうけど

勝手に私の就職先を決めている母に頭にきて
(実家でのんびりさせてもらっていた恩は置いておきます笑)

職安へ行き
保育園看護師をみつけ
採血がないという理由で決めてしまった。

その頃27才くらい。
それからは

結婚しろ
友達の中で孫がいないのは自分だけだ
誰でもいいから結婚しろ

親戚が紹介してくれた男性と無理やりお見合いさせられた時もあった。

断ったら
両親から食事中に
なんでだめなんだ!?
せっかく向こうは気に入ってくれたのに!

両親対私ひとりで、攻められまくった。

さすがに私は泣いてしまったので
両親もマズイと思ったようで
少し落ち着いたけれど

結婚の特集雑誌を私に渡してきたり
とにかく私に結婚してもらいようだった。

結婚=幸せ

昭和世代の両親なので
この考えが変わることはない。
結婚しない娘がいるのはくらいに
感じてたんだろうな。

でも両親は
心配という言葉に変換されていただろう。

自分達は結婚してケンカばかりの
幸せには見えない生活をしているのに
なんなの!

けれど、怒りと同時に
結婚しない自分は親不孝なのかな
という思いもあった。

そして今の夫と出会い、結婚。
これで親孝行できたかなとホッとした。

そして妊娠したらとても喜んでいた。

妊娠に関しては
口出ししたらマズイと思っていたようで
何も言われなかった。

子どもが生まれて
親孝行できたと思ったら

私の子育てにやかましく口出しするようになった。

お前(私)の連れていく病院は信用できない
違う病院へ行け
お前の母乳なんか出てるかわからないからミルクをあげろ
お前は子どもの気持ちがわかっていない

などなど

孫の子育てについて私を敵視する時もあった。

仕事が休めなくて、子どもの体調が悪いと
両親に頼らざるおえなかったので
頭に来ることはあったけれど
耐えるしかなかった。

でも時々は両親に向かって激怒してました!

時がたち、子どもたちが大きくなると
子どもたちが毒を吐く私の両親を嫌うようになり
実家に行きたくないと言い出した。

嫌がるので連れていかないと

会いたい
連れてきて

子どもたちに会いたい親に対しての罪悪感と
会いたくないという子どもたちとの板挟み。

さんざんイヤな思いをさせられたけれど
頼って面倒みてもらっていたので
会わせないのは親不孝かなと心苦しくなった。

しかし娘は実家に行こうと言うと
泣いてしまう笑
さすがに連れていけなかった。

さみしいから会いに来て
と言われるが
嫌われるようなことをしている両親が悪い。

でも自分達が悪いなんて1ミリも思っていない。

そのまま自然と疎遠になった。

いったいどこまでいったら
親は満足してくれるのかな。

そして、高齢になった両親。
介護問題がさしせまっている。

病院に付き添う私に
娘がいてよかったなー
と言っている。

永遠に都合のよい娘を求めてきそうです。

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