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日本国のサイバーセキュリティの危機的実体(19)

ロン・ヤス関係から考える日本がスパイ天国と呼ばれるようになった経緯

#ロナルド・レーガン
元大統領(1911年生)と、 #中曽根康弘 元総理(1918年生)と、 #ヘンリー・キッシンジャー (1923年生)の年齢を比較すると、キッシンジャーが最も若いですが、公的な役職として国家の中枢の最高機密にアクセスできるようになった年齢では、キッシンジャーが最も若くて、その後、ロナルド・レーガン、中曽根康弘と続きます。

 中曽根康弘は1953年にハーバード大学の夏期セミナーに留学していますが、その際に当時大学院生だったキッシンジャーなどと人脈を築いています。

 キッシンジャーは1973年から1977年まで米国務長官で、その職にありました。彼は中曽根康弘と交流があり、またレーガン大統領の外交政策に影響を与えたことから、ロン・ヤス関係を演出したのは、キッシンジャーだと言われています。

 レーガンは1981年から1989年までの大統領で、中曽根康弘と親しい関係を築き、両者ともにキッシンジャーの外交政策の影響を受けています。

 日本にはいまだに今年100歳になったキッシンジャーに影響を受けている現職総理がいても不思議ではありません。

 中曽根康弘は1982年から1987年まで内閣総理大臣で、ロナルド・レーガン大統領との親密な関係は、ニックネームで気軽に呼びあえる #ロン・ヤス関係 と呼ばれています。

 レーガンが大統領になる前の経歴は多岐にわたり、政界入りする前はそれほど著名ではありませんでした。以下に彼の大統領になるまでの経歴を簡単に説明します。

エンターテイメント業界
 レーガンはもともとエンターテイメント業界で働いていました。彼はラジオアナウンサーとしてキャリアをスタートさせ、後にハリウッドで俳優になりましたが、特に有名な俳優ではありませんでした。彼が大統領に就任したときには『三流役者が大統領になった』と揶揄されることが多かったです。

労働組合活動
 レーガンは、映画俳優組合(Screen Actors Guild:SAG)の代表として、『 #赤狩り 』に関与していました。彼は映画俳優組合の委員長として、赤狩りの中心人物であった共和党の #ジョセフ・マッカーシー 議員に積極的に協力しました。また、彼は #FBIのスパイ として『赤狩り』に協力し、ハリウッド内の共産主義者を密告していました。この経験は、彼の政治キャリアの始まりとなりました。

政治的転向
 レーガンはもともと民主党支持者でしたが、保守的な価値観を持つようになり、最終的に共和党に移籍しました。彼の政治的立場は、特に反共主義と強い国防を支持する点で注目を集めました。

カリフォルニア州知事
 1967年から1975年まで、レーガンはカリフォルニア州知事を務めました。俳優からカリフォルニア州知事になった人物としては、現代では #アーノルド・シュワルツネッガー の方が有名かもしれませんが、 #ハリウッド のある #カリフォルニア ♬California Dreamin':The Mamas & The Papasでは、ハリウッド俳優の経歴が有利に働くことがあります。

 ロナルド・レーガンの政治家としてのキャリアが大統領の資質として不十分であったことは、上述の経歴からも明らかですが、彼を諜報の世界で指導していたのが、キッシンジャー元国務長官でした。

 中曽根康弘が日本の内閣総理大臣を務めていた1982年から1987年の間、日本は経済的に繁栄し、不動産バブルが崩壊する前の経済成長が続きました。この時期、日本の半導体産業は『#産業の米』と称され、日本経済の大きな支えとなっていました。一方で、アメリカ経済は凋落の兆しを見せていました。

 この背景の中、日米間で『 #日米半導体貿易摩擦 』が発生しました。この構図は現在アメリカが中国の #Huawei や、 #半導体産業 (CPUやメモリで使う高純度単結晶シリコン)や、ソーラーパネル(ウイグルの人権問題と絡めた太陽光発電用シリコンも半導体)などに対して行っている様々な #経済制裁 と同じですが、中曽根政権時代は日本の半導体業界がアメリカを圧倒していたことから、この摩擦は日米関係において大きな問題となりました。アメリカは日本の半導体産業への制裁を求めていましたが、中曽根康弘は異なるアプローチを取りました。

 当時の中曽根総理はレーガン大統領の支持母体であるアメリカの農家を考慮し『 #牛肉・オレンジ輸入自由化 』を進めました。アメリカは工業国としての側面も持っている一方、世界的な農業国でもあり、牛肉とオレンジは重要な農産物でした。

 その後、中曽根は『 #不沈空母 』発言をし、日本がアメリカを守るための防衛線としての役割を持つという考え方を示しました。この考え方は、日米の安全保障上の関係を強化するものでしたが、日本国内での批判も多く、日本の国益が米国に犠牲にされるものだとの認識が強まりました。

 さらに、この期間中には『#プラザ合意』や『 #自動車と自動車部品の日米貿易交渉 』、『 #通信自由化 』といった、アメリカに有利な方向への譲歩が続きました。これらの動きの背後にはヘンリー・キッシンジャーの影響があります。

 その中曽根康弘の総理時代の有名な発言に『 #スパイ天国 』があります。日本がスパイ天国だと言われる理由は多岐にわたりますが、法律の欠如(日本にはスパイ活動防止法がない)、情報の豊富さ(日本は先進的な科学技術を持っていたので、世界中から重要な情報が集約していた。♬そんな時代もあったねと~:時代 -中島みゆきライヴ)、先端技術の存在(産業スパイの対象となる技術が豊富にあった。♬あんな時代もあったねと~)、スパイを逮捕しない環境、地政学的な優位点(中国共産党、韓国、北朝鮮、ロシア(旧ソ連)などにとってスパイ活動が行い易い国である。♬変わらないもの:奥華子(映画「時をかける少女」より)オーケストラライヴ)、国民の機密情報に関する関心の薄さ、人間的な交流を通じた情報収集の容易さ(中曽根康弘自体が最大の情報源だと指摘されている)、また、近年では政治家や高級官僚や大企業の経営者や大学教授や研究者などが#ハニートラップに弱いという弱点も露呈しています。

第104回国会(常会)
答弁書
答弁書第三九号
内閣参質一〇四第三九号
昭和六十一年五月二十日
内閣総理大臣 中曽根 康弘
参議院議長 木村 睦男 殿
 
参議院議員喜屋武眞榮君提出いわゆる「スパイ天国」論に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
 
参議院議員喜屋武眞榮君提出いわゆる「スパイ天国」論に関する質問に対する答弁書
 
一について
 我が国の現行法制では、外国のために国家秘密を探知、収集し、あるいはこれを外国に通報するようないわゆるスパイ行為一般を直接に取り締まる法規は存しない。したがつて、スパイ活動に関連して行われる行為が各種法令に違反し、それによつて処罰されるとしても、法定刑が軽いことなどからスパイ行為に対する法規制として必ずしも十分とは言い難い場合がある上、例えば、国家秘密の探知、収集に関しては、その手段、方法のいかんによつては処罰することができないなど現行法令で対処し得ない場合も存するところである。このような我が国の現状をとらえ、「現行法制上いわゆるスパイが自由に活動し得る余地がある」旨答弁したものである。

答弁書第三九号 内閣参質一〇四第三九号

つづく…


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