そして誰も選べなくなった
かつての日本では、選挙のたびに候補者たちは街角で演説し、実現する気もないことを熱心にマニフェストとして語っていた。政策を検討し、候補者の顔を見て『この人なら』と信頼を寄せられた時代があったのだ。しかし、それは今や古き良き時代の昔話だ。2024年からステルス選挙制度が始まり、候補者は姿を見せず、政策も曖昧な言葉で覆われ、街頭演説も極秘の会場でひっそりと行われるようになった。
そして人々は気づかぬうちに『選ぶ』ことに疲れ果てていた。情報の欠如、耳触りの良い言葉だけが浮かぶ政策、そして候補者自身の姿が見えないことで、信頼も期待も失われていた。いつしか人々は、政治は遠い存在で、自分の生活に関係ないと感じるようになっていた。
日常生活にもまた別の変化が忍び寄っていた。ステルス値上げだ。お気に入りの食品や日用品は少しずつ値段が上がり、量が減っている。けれども、包装のデザインは巧妙に変えられていて、気づかぬ人も多い。
『こんなに小さかったっけ?』と思いつつも、忙しい日々の中で、消費者たちはその疑念を放置する。気づかぬうちに物の選択肢も減り、選ぶべきものが少なくなっていた。
選挙と消費の二つの『選べるはずの権利』が静かに奪われていく。政治も商品も、選択の自由が徐々に減り、選べない、選びようのない状況が当たり前となっていく。人々はその『透明な支配』を感じることもなく、疑うことすら忘れた。次の選挙でも、候補者たちは姿を隠し、わずかな情報をちらつかせては消えていく。消費者もまた、限られた商品の中で無意識に『選ばされて』いるだけの生活を送り続ける。
そして最後には『誰を選ぶべきか』と考えること自体が意味を失い、人々は一切の希望を忘れ去ってしまった。
そして誰も選べなくなった。
武智倫太郎
自己解説
現在、私はイラン、アルジェリア、モザンビークの仕事を掛け持ちしています。
イランに関しては『 #中東のヒトラー 』と称されるベンヤミン・ネタニヤフが率いる『 #ならず者国家イスラエル 』の影響で多忙です。
アルジェリアでは、2024年9月7日に行われた大統領選挙で、現職のアブデルマジド・テブン大統領が94.65%の得票率で再選されました。しかし、この結果にはいくつかの問題が指摘されています。特に投票率の公表方法が批判されており、実際の投票率は24%前後と推定されています。選挙管理当局は公式な投票率を発表せず、地域別の平均を用いた独自の計算方法を採用したため、透明性に対する疑念が生じています。
また、テブン大統領の対立候補であるイスラム系および社会主義系の政党代表は、選挙結果に矛盾や不一致があるとして抗議声明を発表しました。さらに、過去の民主化運動を支持する国民の間では、軍や政治エリートによる操作が続いているとの認識が強く、今回の選挙も実質的に体制維持のための儀式に過ぎないという批判が多く見られます。アルジェリアの政治情勢は、この選挙によって政治的な分断がさらに深まり、国民の信頼を損なっています。
ちなみに、アルジェリアでは、2023年10月には、KFCの店舗がパレスチナ支援を求める抗議活動を受けて閉店に追い込まれました。これは、イスラエルに対する批判やパレスチナ問題への国民の感情が高まっていることを示しています。
経済動向としては、国営石油会社ソナトラックがイタリア、オーストリア、スペイン、ドイツなどの欧州企業とグリーン水素に関する合意書を締結しました。アルジェリアは再生可能エネルギー分野での国際協力を強化し、経済多角化を図っており、私はこの部分のマスタープランを担当しています。つまり、JETROは、私の仕事の成果を日本語で報告してくれる日本の独立行政法人の一つです。
モザンビークでは、2024年10月9日に行われた選挙結果が正式に発表されていないことや、選挙不正の指摘から抗議活動やストライキが頻発しています。特に政治的緊張が高まっているマプト市内では、10月21日に警察がデモを解散させるために催涙ガスやゴム弾を使用し、少なくとも1人のジャーナリストが負傷しました。これらの抗議活動は、主に政府与党FRELIMO(モザンビーク解放戦線)と反政府勢力との対立によるものです。
マプトでは、特定の地域で厳重な警備が敷かれており、警察によるチェックポイントの設置や通行規制が予想されます。選挙不正への反発から、さらなるデモや暴力行為が発生する可能性もあります。ところが、こうした緊張した環境こそが、私が生き生きと活動する場面なので、私は『モザンビークのジミー・ホッファ』と呼ばれているのです。
つまり、私にとっては、イラン、アルジェリア、モザンビークの動向の方が重要であり、自民党の丸川珠代候補のステルス選挙問題などは些細な問題に過ぎません。
そもそも、彼女がステルス選挙を行わなければ、名前すら知らなかった人物です。ステルス作戦で逆に注目を集めてしまうようでは、その作戦は失敗だったと言わざるを得ないでしょう。