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心がざわつくときはフタをして離れる

何かをうっかり見たり、聞いたりして落ち着かないとき、不安なとき、孤独なとき、どうしてもいろいろなものに手を出したり、何かをしていないとって気持ちに駆られてしまいます。

心がざわざわしているというのに、それから目を背けてはいけない、対処しなければならないという気持ちと行動をすることで、より焦燥感にかられ嫌な思いをするということが度々ありました。

そんなとき、一度全部投げてしまってみたらどうなるんだろうかという好奇心が一瞬だけ芽生えたのです。

普段、このざわざわ期にそんな逃げの姿勢ともとれるようなことを考えると、何をしているんだと自分に喝を入れていました。
しかし、そのざわざわ期の中身の多さや複雑に絡み合ってしまった時がありまして、そのときだけは、ええい!とフタをして投げてみました。

ざわざわしたものを投げる、放棄をするといっても、最初にしてみたのはちょっとの時間だけ触れないとか、少しは考えるけどその原因を見ないとかでしたが、最近、とにかく断ち切って見えない、触れないようにするようにしてみました。
とはいえ、子どものわがままのようにすべて嫌だと投げるわけではなく、ある程度は対処して投げるといった感じです。

そう、それがフタをするということ。

なぜざわざわするのか、そのざわざわはどれが原因か、それは考えるに値するのか、それに立ち向かって解決するのかということを一度メモやSNSの非公開アカウントでつぶやくなど、出して整理してみます。
ここであれこれを出していくと、何を考えてたんだというばかばかしさに気づかされたり、その小さな原因を見なければ何もざわつかないんだなと。
気持ちや思うこと、自身の意見は確かに大切ではありますが、ざわざわしたりもやもやする部分は要らないですからね。

視覚で得てしまったざわざわの原因は頭の中で膨れ上がってしまうので、また視覚に出してフタをして離れてしまうということを、最近、生活の中で学ばされました。
一度その流れの感覚を掴めばこっちのもの。
これはざわざわするな、これはもんやりしそうだなということを察した後、この学びで得た対処法で対処することで、少しだけざわざわ、もやもやを減らせているようになりました。

最近は特に視覚、聴覚から飛び込んでくるものが多いですからね。
それをそのままにして他責にばかりしていてもざわざわ、もやもやって減らないですし、気付きから学べて良かったなと思うばかりです。

#最近の学び

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