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「気がすんだ」状態をかんがえる

コロナウィルスのため人々の活動が制限されているからか、町の空気がいつもより澄んでいる感じがする。

散歩してみると普段より視界もひらけているような気がして、清々しい気持ちになれる。

言霊(コトタマ)というものがあって、それはこの世界のすべてのもとになっているので、この空気が澄んでいるという状態を言霊に照らし合わせてみるとどうだろうと、今日はひとりぶらつきながら考えていた。


「空気が澄んでいる」とは外の世界、目に見えている世界がすっきりしていて清々しいさまをあらわしている。

辞書を引くと「澄む」は「不純なものを含まず清い」状態だとある。

また大きな動きはなく、静かで落ち着いた状態といえるだろう。


これを内面世界の事象としてみると、「気が済んだ」状態になるのではないか。

例えば、子どもがお菓子欲しさに泣きわめいているときは、お菓子が食べたいという強い欲望に支配されている状態である。

お菓子が手に入れば欲望がかなって、次の「お菓子がおいしい」とか、「ジュースも飲みたい」とかの感情が出てくるだろうが、仮にお菓子が手に入らなかったとしても、ひとしきり泣き叫んだあとの子どもは嵐のあとのようにケロリと静かになることがある。

お母さんは「気が済んだのね」という。


この時の子どもの心のなかは、お菓子が欲しいという欲からくるエネルギーの発散を終えて、執着がなくなった状態だ。

余計な感情にとらわれずにすっきりとした状態。

冷静になって周りがよく見えている「気が済んでいる」状態は、外気が澄みわたって周りが広く見渡せる状態とよく対応している。


また環境も心もすっきりと整理された気がすんだ状態であれば、おのれの内面宇宙にも健全なエネルギーが満ちていて、いわば「氣が住んでいる」状態といえるのではないか。

(このへんは言霊とかスピリチュアルをかじっていないかたには理解しづらいと思うので追々書きます。)


以上のように、「気がすむ」という一つの言葉が、外的世界、内的世界、さらには精神宇宙にも通じている。

究極に「氣がすんだ」状態というのはきっと悟りである。

「空気が澄んだ」の「空」についても、仏教的な「空」の概念にもつながるし、それは言霊が生まれる前の先天宇宙ともイコールだ。


言葉はすべてをあらわしている。

特に日本語には素晴らしい力が秘められている。

いま私が学んでいる言霊(コトタマ)の秘密をここで少しづつ紐解いていけたらいいなと思う。

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