#STEAM化ごんぎつね 〜現場検証〜
はじめに
Twitterなどで拝見しておりますと、国民的教材「ごんぎつね」が、今年も小学校4年生の国語で取り扱うピークが過ぎたようです。
板書の提示であったり、各学校、各先生方、様々な工夫が見て取れますが、なぜか、『ごん生存!』という扱いはされずに、国語では授業が行われたようです。
Twitterでは、音読(Youtubeなどとの連携、子どもが宿題で読んでる)の記載や、上述の通り、学校での授業実践の様子、舞台となった愛知県半田市の矢勝川沿いの彼岸花の風景、などが主ですが、他の「ごんぎつね」に関しての「昔読んだ」「昔習った」といった回想的なTweetも多く、その回想での感情は、『哀』『悲』一色であること、なんだか由々しき話だなと感じております。
以前に記しました拙稿で、科学的にごんぎつねを読めば、
「『ごん』生存している可能性が高いやん」
と、いう読み方をすれば、すべからく悲劇や愛憎劇、因果応報、なんていう Bad End で統一された読み方・教えられ方からは解放されるのではないかと思うわけですが。
全く認知度がたりてないよね、STEAM化ごんぎつね、なのです。
ラストシーンを再考する
さて、ラストシーンの再考です。
刑事ドラマに出てくるような、現場再現をし、整理して検証しましょう。
A:登場人物
兵十(ひょうじゅう)➡︎被疑者
⑴ 農村に住む男性。
⑵ 年齢職業不詳。
⑶ 先月あたりに母を亡くし、独居状態。
⑷ 村内でも相当に貧しいが自宅保有。
⑸ 村内または組内の人間とは、円滑なコミュニケーションが取れて孤立化してはいない様子。
⑹ イワシ窃盗容疑の被害者。
⑺ 最近、栗やきのこ(松茸)が自宅に届く。
⑻ 火縄銃(および火薬と発射用具一式)を『納屋』に所持。
(発砲までのシーケンスを考えると、相当な手練れ)
ごん(動物:ホンドギツネとして)➡︎被害者ならぬ被害獣
⑴ 村内に出現するホンドギツネの成獣。ただし小柄。
⑵ 年齢性別住居不明。
(行動範囲から推測すると、村落近辺の里山に居住)
⑶ 村内の人間からは、イタズラキツネと認識されている。
⑷ 巣別れ後、親や兄弟姉妹と縄張りが遠いなど疎遠または死別の可能性。
⑸ 夜行性ではなく、昼間での活動も可能。
⑹ 狩猟ではなく、植物採取が得意な傾向。
⑺ 人間の言語がある程度理解できる知能。
ごん(人格を与えられた存在として)➡︎被害者ならぬ被害獣
a) 人間の言語を理解し、思考する存在。
b) 兵十の識別が可能(視覚か嗅覚か聴覚によるものかは不明)。
c) 村内の人間関係を把握(兵十の家族まで知悉)。
d)『神』『祭』『葬儀』『お念仏』など、人間の習俗にも精通している。
e) 孤独と孤立と阻害の区別はついていない。
f) 鰯、栗や松茸が人間にとって価値あるものと認識している。
g) 因果関係の類推は可能な知能レベル。
B:場所
愛知県半田市岩滑地区(尾張國知多郡岩滑村)、兵十宅敷地内。
被害獣が発砲を受けたのは、母屋の土間の出入り口付近。
C:天候
火縄銃が発砲可能であったことから、雨天ではない。
『青い煙』の記述から、日光が差し込む天候であったと推測される。
D:犯行日時刻
『月のいい晩』の翌日。
有視界で小柄なキツネを物置から視認でき、銃撃可能な照度のある時刻。
参考:
E:目撃者、経緯など
犯行そのものを直接に目撃した第三者はいなかった。
発砲音(銃声)を聞いた近隣住民が、兵十宅へ向かい、銃撃の理由を理解するとともに、庄屋への通報があり、事件が発覚。
事件の概要や経緯は、以下、被疑者の供述による。
被疑者「兵十」の供述と謎
※1 『それで』=「ごん」は被疑者兵十が物置にいることを認識していた。
※2 母家と物置の位置関係は不明だが、少なくとも、母屋の土間の裏口は
物置から視認可能であった。
※3 ⑴「ごん」が平均的な聴力を持つホンドギツネであった場合、足音が
聞こえぬような歩き方をした被疑者兵十は、何らかの特殊な訓練・
経験を有するものと思われる。
⑵ 足音を聞き逃すほどの音が他にあり「ごん」は足音を聞き逃した。
⑶ 「ごん」がいたのは風上側、被疑者兵十は風下側から接近したので
「ごん」は足音を聞き逃した。
※4 ※2での位置関係と、発砲地点と戸口との位置関係が不明。
発砲が、キツネの正面方向、または背後からの場合、弾込めの場合、
着弾可能面は絞られ、精密な狙撃が必要となる。横方向へ「ごん」が
移動した場合、着弾可能面は広がる。
いずれにせよ、戸口を出ようとする「ごん」であるので、精密かつ
予測位置への射撃が必要であり、有弾の場合、デューク東郷ばりの
射撃の腕を被疑者兵十は有していたことになる。
※5 「ごんぎつね」に表記される『オノマトペ』の一種であるが、通常、
銃の発砲音は、「バン」で表現されることが多いのではないか。
なぜ、花火や爆破・破裂を示す「ドン」であるのか。
仮説としては、以下のア)〜ウ)。
ア)通常の火縄銃口径よりも大きな銃であった
イ)火縄銃が筒内爆発をした
ウ)通常の火薬ではなく、脅し鉄砲用の特性火薬(音響大)の使用
※6 「かけよって」とある。
この時の被疑者兵十の履物は、足音をさせずに近寄ったことから、
裸足・草鞋・足袋のいずれかと推定される。(貧しい被疑者の家計を
考えれば、足袋の選択肢は除外される可能性が高い)
どれほどの距離が「かける」に必要なのかは、要検討である。
※A{〜}/A 被疑者兵十が、「ごん」を視認し、発砲までの行動は、
a「ごん視認」
b「物置から納屋への移動」
c「発砲までのシーケンス」
(火薬をどこに保管していたか)
(火縄への火種をいかが調達したか)
d「発砲点までの移動」
の順となる。このa〜dの行動間に要する時間の再現が必要であるが、
数分は要するものと、想像できる。
(新美南吉の草稿からは、物置の存在はなく、鈴木三重吉が、納屋と物置を
分離する編集を実施し、現在の検定教科書掲載へ受け継がれている。
草稿版からすれば、bの行動はなくて良い)
栗を置いて去るだけであれば、数分を要する必要はなく、まして※1
で、「ごん」は兵十を認識していることから考察しても、この
「発砲までの空白の数分間」、「ごん」が何をしようとしていたのか、
新たな謎が生起した。
兵十に殺意はあったのか
ここからは、司法の領域に入ります。私、完全など素人ですので、ちょっと弁護士さんのホームページをお借りします。
仮に「ごん」を人として見做すと、現在の刑法ではいかがなるか?という視点です。発砲後に、
A:「ごん」が死亡した場合 と、B:「ごん」が生存している場合
被疑者から被告人となった兵十が問われる罪が異なります。
A:「ごん」が死亡した場合 (殺人罪・傷害致死罪)
B:「ごん」が生存している場合(傷害罪・殺人未遂罪)
死亡したら、おそらくは「殺人罪」に問われます、というのは素人の私でもわかります。
殺意があったか否かについては、裁判所が判断します。
ここでは、殺人罪の観点で眺めてみます。
さて、あなたは、被告人兵十には、殺意があったと判断しますか?
なんだか、裁判員裁判の予行演習みたいになってきました。
(法曹界の方々、ごめんなさい感があります)
まとめ
第6段落の文章、読めば読むほどに、謎が深まります。
家の位置関係とか、図に起こすと、いろいろとわかってくるかもしれません。(今回、図に起こしていませんが)
今回は触れませんでしたが、射角といった数学的な話にもなるでしょうし、上記に記した理科的な要素(気象条件であったり、ホンドギツネの生態という生物)の話にもなりますし、火縄銃という社会科(歴史)では登場しますが、その機構であったりという技術であったり、これまた理科的(物理や火薬であれば化学的)な要素であったりが出てきます。
単に、文字だけを拾って読むだけではなく、様々な教科や科目、学術分野の知識を総動員すると、「ごんぎつね」はとても論理的に優れた作品であることがわかります。
背景理解を深めれば深めるほど、よりその場面の描写が真実味を帯び、学習者なり読者のイメージが膨らみ、より深く作品を堪能できることに繋がると、私は考えています。
今回は小学校4年生には、いささか難しいミステリー小説(刑事ドラマ)仕立てなのですが、大人になって、このような形で読むと、みなさんが学校で習って、大人になっても「ごんぎつね」=哀とか悲とか、「涙腺崩壊」なんていうトラウマから救ってくれるのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?